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TOSSランドNo: 6295196 更新:2012年12月30日

川崎宿について


(1)江戸時代と現在の川崎宿について

道としての東海道が誕生したのは、徳川家康が、1601年に五街道整備を行い、五つの街道と「宿(しゅく)」を制定したことからだと言われている。
日本橋(江戸)から三条大橋(京都)に至る約126里6町1間(約496キロ)で、途中にある53か所の宿駅は、東海道五十三次といわれていた。また、関所が箱根と新居に設けられていた。
五十三次の一つ、川崎宿は1623年に制定された。これは、それまでの品川~神奈川宿間が長く、旅に困難を生じたことからだといわれている。制定当時は財政が困難で川崎宿はさびれ、宿を逃げ出すものもいた。田中丘隅はそれまでなんども流失のたびに修復していた六郷大橋の架橋をやめて船渡し(六郷の渡し)とし、その船賃で宿場の維持を行うようにした。これによって川崎宿は、東海道を上る旅人には昼食や休憩をとる宿場として、下る旅人には六郷の渡しをひかえた最後の宿泊地として賑わった。また、川崎大師への分かれ道にもあたっていたため、多くの参詣者が宿場を利用した。70軒以上の旅籠をはじめ油屋、煙草屋、小間物屋、酒屋などの店があり、職人や農民も居住して活気に満ちていた。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも万年屋の「奈良茶飯」が名物として登場している。
だが、現在のまちなみは、中心部はモール化された商店街になり、大勢の人々が行き交う地ではあるが、かつての街道の姿や歴史などは影をひそめている。
これは、関東大震災や、戦争による空襲などで宿場時代の面影を伝える多くの建造物や史跡などが失われてしまったからであるが、その後のまちづくりにおいて「歴史資源を活かす」という視点が弱く、歴史が風化していくのを見過ごしてしまったことにも影響があると考えられる。
しかし、現在も、旧街道付近には、いまだに多くの寺社仏閣、石造物、資料館、また、多摩川(江戸時代の六郷川)川崎大師、古くから伝わる祭事などが残っている。それら歴史資源の保存と活性化が行われている。

(2)市民運動の高まり

 平成9年(1997年)「区づくり」白書に、東海道川崎宿の歴史や文化を活かしたまちづくりについての提案が出された。また、平成13年(2001年)は江戸幕府による東海道の宿駅制度が敷かれてから400年目にあたり、東海道の歴史を振り返り地域活性化の起爆剤とする運動が高まった。例えば、神奈川県(川崎 横浜 藤沢 茅ヶ崎 平塚 小田原 各市 大磯 二宮 箱根 各町)で「東海道ルネッサンス事業」として、歴史的景観や史跡を意識した道路整備、シンポジウムが開催された。川崎でも、史跡を案内するボランティアガイド組織の立ち上げ、「大川崎宿まつり」の開催が行われた。「ふるいものがあたらしい」をキーワードに歴史を活かした観光開発、地域活性化の動き、運動がなされている。

(3)川崎宿400周年

東海道川崎宿ができた元和9年(1623)からちょうど400年目の2023年にむけて、東海道川崎宿の「歴史と文化を活かしたまちづくり」が行われている。具体案をまとめた「東海道川崎宿いきいき作戦市民提案集」が作成され、その提案が実行されている。
また、川崎宿再生への方針・テーマでは、1身近なことから取り組もう 2楽しみながら進めよう 3市民パワーを活かそう という3つがあり、その中の3 市民パワーを活かそうでは、
 商店街・寺社・学校・町会などの地元をはじめ・・・・みんなのアイデアを結集しながら進める。
 多くの市民に川崎宿の歴史や文化を知ってもらい、次代を担う子供たちに伝え、郷土愛を育てる。
ということが明記されている。
現在行われているものとしては、東海道スタンプラリーを江戸口コース(稲毛神社出発)と京口コース(日進町町内会館出発)が行われたり、市観光協会連合会会長の斎藤文夫氏による「東海道川崎宿のむかし、いま、みらい」といったフォーラム、コンサートや大正末期に撮影された東海道川崎宿周辺の写真のパネル展示、東海道川崎宿限定三角おにぎりキューピー(ストラップ)の配布、大川崎宿まつりなどがある。


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