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TOSSランドNo: 8002127 更新:2012年12月28日

明治維新を成し遂げた大久保利通


授業のはじめ、中、終わりに活用できるお話しです。
明治時代の授業の中で使って下さい。

西郷隆盛の幼なじみ
 日本人で、西郷隆盛の名を知らない人はまずいません。
 しかし、その西郷隆盛と一緒に日本の近代化を進めた大久保利通の名は、意外に知られていません。
 二人は鹿児島県の出身です。年は西郷隆盛が3歳年上ですが、家が近かったこともあり、小さい頃から一緒に学んだり、遊んだりする仲でした。
 二人とも身分の低い武士の子でしたが、若い頃から藩政についての研究会などを開いていました。この研究会が、のちに薩摩藩を動かして明治維新を進めるときの原動力になりました。

西郷隆盛を救う
 大胆な行動に出ることが多かった隆盛に比べ、利通は常に慎重で思慮深い行動をとりました。
 自分を取り立ててくれた主君島津斉彬が急死して、異なる考えを持つ斉彬の弟久光が主君にとなり、利通や隆盛を追放しようとしても、反旗を翻すようなことはしませんでした。
 久光が囲碁が好きだと知ると、囲碁を習って久光に接近したのです。久光がほしがっている本を八方に手を尽くして取り寄せ、届けたこともありました。
 こうして久光に気に入られるようになった利通は、島流しにあっていた隆盛を、久光に働きかけて藩に呼び戻しています。
 利通のこうした行動を、卑怯だと非難する人もいます。しかし、理想を実現するために、自分の考えを殺してまで、ねばり強く行動するということはなかなかできるものではありません。
 利通の家は大変貧しいくらしをしていました。その上、利通が20歳の時には、藩内での主導権争いがもとで父が島流しの刑にあっています。若い利通が、一家を養うという重い負担を背負うことになったのです。こうした苦しい体験が、利通のねばり強い性格を育てたのです。

倒幕を進める
 薩摩藩は利通と隆盛の指導によって倒幕を進めていきました。当時の日本は、アメリカやイギリス、ロシア、フランスなどの欧米の進んだ国の脅威にさらされていて、いつ植民地になってもおかしくない状況でした。
 ところが、江戸幕府には適切な対応をとることができるだけの力が残っていませんでした。江戸幕府に変わる新しい政府を作って欧米各国から日本の独立を守ることが利通や隆盛の目標だったのです。
 隆盛は、長州藩との同盟や、江戸城の無血開場をめぐる勝海舟との会談など、軍事外交の面で華々しく活躍しました。隆盛は、非常に気さくな人で、身分の低い者にも優しく接したと言われています。また、お金や権力には全く欲を示さなかったと言われています。こうした生来の性格が表舞台で活躍するのにぴったりだったのでしょう。
 この間、利通は藩内の意見を調整したり、公家や幕府、諸藩の思惑が入り交じった状況での政治活動に全力を注いでいました。利通が隆盛に比べて目立たないのはこうした事情にも原因があります。

私利私欲のない人
 利通の銅像は、鹿児島市加治屋町にあります。ひげをはやし、フロックコートを着込んだ姿は、明治政府で活躍していた頃の利通の姿を思い起こさせます。
 彼は、西洋風の洋館に住み、朝食にはパンを食べていました。
 古い大名屋敷を借りて、ふだんは着物姿で通した隆盛とは好対照をなしています。
 ですが、利通は決して贅沢を好んだのではありません。日本の西洋化を進めるため、リーダーとして率先して洋風の生活を行っていたのです。
 その証拠に、彼が暗殺された後には、8000円の借金が残されていただけでした。これらは、すべて日本のために使ったと言われています。彼もまた隆盛と同じように私利私欲のない人だったのです。
 新政府樹立の後、欧米を各国を視察した利通は、日本が西欧に追いつくには西洋の進んだ文化を取り入れ産業を興していくほかはないと考えます。
 そして、そのための政策を1つ1つ着実に実行していきました。目的達成を達成するまでは、どんな困難にも負けない強い気持ちを持ち、ねばり強く行動出来る利通だからこそできたことでもあります。
 また、利通は身分や好き嫌いで人を見ること絶対にしませんでした。後に初代の内閣総理大臣になった伊藤博文は、利通は「度量が広く、何藩の人だからという基準で人を選ぶようなことはしなかった。その仕事に常に最適の人を選んでいた」と言っています。
 こうした利通の努力があって、日本は次第に工業国へと発展していきます。そして、今では、世界に冠たる工業国へと発展しています。

隆盛との別れ
 利通と隆盛が対立したのは、韓国への出兵をめぐる問題からです。隆盛は韓国への出兵を主張しましたが、利通はそれに反対しました。一刻も早く欧米に追いつかねばならない日本にとって、戦争を起こすような行動をとることを、利通は認めることが出来なかったのです。
 自分の考えが退けられた隆盛は、鹿児島にもどり、新政府に不満を持つ士族たちに担ぎ上げられて西南戦争を起こします。かつての盟友と戦わなければならなくなった利通は、とてもつらかったと思います。
 利通も隆盛も日本を思う気持ちは誰にも負けませんでした。利通や隆盛などの私利私欲のない人物の活躍によって、今の日本があるのです。


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