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TOSSランドNo: 2844373 更新:2012年11月15日

茶道の精神から気高さを学ぶ 中地 直樹氏の追試


説明1:

鎌倉時代、中国に留学していた一人の僧が日本に帰ってきました。「栄西」と言います。栄西は、禅宗を伝えた人物ですが、ある薬も伝えました。

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禅宗が仏教の一派であることを簡単に伝えておく。

発問1:

その薬とは何でしょうか。

「抹茶」である。僧侶の間で睡魔を取り除くために広がったといわれている。

説明2:

この抹茶は、庶民の間には広まりませんでした。高い茶道具や茶の種類を当てる賭け事などにも利用されました。

この習慣は戦国大名まで伝わり、織田信長は茶道具集めや部下への恩賞にも取り入れていた。

説明3:

一方、室町時代に豪華なお茶を否定した新しい文化を広めようとする動きが出てきました。

僧侶、村田珠光が心を追求したわび茶を始め、その弟子、千利休が日本の伝統的な詩情を加えた茶道を完成させた。千利休の画を掲示する。

説明4:

豪華なお茶ではなく、心の内面を重視したお茶を現代まで広めた人がいます。「千利休」と言います。

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2枚の茶碗(鑑賞用と実用)の写真を掲示する。

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発問2:

どちらが千利休が広めた茶道に使われる茶碗でしょうか。

正解は右の実用の茶碗である。

指示1:

左右の茶碗を比較して気がついたことを箇条書きしなさい。

左が「豪華」「派手」、右が「地味」「質素」などの考えが出る。
左が「鑑賞」を目的としていたのに対し、右は「実用」を重視した。つまり、右の茶碗はお茶を点てて飲むための道具なのである。

説明5:

千利休はそれまでにあまり普及されていなかったお茶を一般庶民にまで広めました。豪華さ、派手さを否定した精神文化として茶道を完成させたのです。

千利休は日本的な美の世界を演出していった。

発問3:

千利休が広めた茶道では、お茶会を開くためにどんな準備や演出をすると思いますか。

①露地(庭園)を整える。
②掛物や水指、茶碗、釜などを用意する。
これらをインターネットから画像を取り出し、順に提示していく。

説明6:

お茶は中国から伝わりましたが、これらのものは日本独自のものです。千利休は、お茶会に招いた人を「もてなす」心を必要としました。また、亭主と客の間に通う「温もり」が重要だと考えました。これを「和敬清寂(わけいせいじゃく)」の精神と言います。

茶道のもつ精神文化をふれておく。

発問4:

千利休は茶室も工夫しました。工夫前の茶室と比べて広くなったと思いますか、狭くなったと思いますか。

狭くなった。
豪華さを競うお茶に対して、千利休のわび茶は、精神性を追求して世に出てきた。それまでの「茶の湯」が応接間である書院で行われたのに対して、千利休のわび茶は4畳半や2畳という狭い茶室で行われた。この茶室で亭主と客が静かに時間を過ごすことがわび茶の精神「和敬清寂」なのである。にじり口の写真を掲示する。

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発問5:

千利休が造った現存する最古の2畳の茶室です。入口はどこにあるでしょうか。

写真奥にある小さな茶色の四角い戸が入口である。これを「にじり口」と言う。(高さ60㎝、幅65㎝ほど)「にじる」とは、座ったままの姿勢で膝をするようにして動く(大辞林)ことをいう。

説明7:

にじり口から茶室に入るためには、どんな身分の高い人であっても頭を下げる状態になります 。つまり茶室の中では、すべて平等なのです。また、狭さ故、武士の刀を持ち込めないようにしました。こうして千利休が広げた茶道の文化は現在もなお多くの人々に受け継がれています。

指示2:

授業の感想を書きなさい。

参考文献
1 栗田 勇 『千利休と日本人』  祥伝社
2 勅使河原 宏 『私の茶道発見』 光文社
3 千 宗室 『お茶をどうぞ』 日本経済新聞社
4 中地 直樹 「千利休と茶の道」『日本の教育授業案50選』 TOSS大坂風来坊


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