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TOSSランドNo: 9813826 更新:2012年12月24日

いじめと闘う教師こそがいじめをなくせる


一 クラスの問題ではすまなくなった

いじめは,クラスだけの問題ではない。
いじめに関わる全ての人は不幸になる。
いじめで失われる被害者の命。
命を失った子の関係者の悲しみ・怒り。
非難にさらされる加害者とその関係者。
加害者の保護者が職を失い,住居を終われるという報告もある。
「わが子がいじめをした」ことを苦慮し,自殺してしまった父親もいる。
学校には生徒の生命・身体・精神等に対する安全配慮義務がある。いじめが発覚しても、何も手うたなければ、教師や国。都道府県・市町村は法的措置をとられることさえある。
 「いじめを把握できたはずである」と、安全配慮義務違反を認めた判例も出ている。
 教師や学校がいじめに対応できないということは、即ち犯罪ということなのである。

二 いじめ発見システム

いじめは、いつでも、どこでも、誰にでも起こる可能性がある。
しかし、深刻な問題に発展してから対応を悩んでいたのでは手遅れである。
 いじめが起きてもすばやく対応し、解決していく仕組みが必要である。
いじめには,学校のシステムとして対応していかなければならない。
「いじめ」には,次の二つのシステムが必要である。

一 いじめ発見システム

二 いじめ対処システム

いじめは,水面下で進行する。
表面化したときには,深刻化している。
その前に発見しなければならない。
 それが,TOSSが提案する「いじめ発見システム」である。
発見システムには,医療の診断法になぞらえ「触診」「問診」「精密検査」の三段階がある。
「机を離す」「発表をひやかす」など学級の様子から教師が判断する触診。
 アンケートを通していじめの有無を判断する問診。
 例えば「一人ぼっちの子調査」といった特定の観点に沿った具体的調査を実施する精密検査。
 このようなシステムが機能してこそいじめを発見できる。

三 いじめ対処システム

いじめを発見したら,対処しなければならない。そのシステムが学校に必要である。

1 解決までの危機管理
2 深刻化する前の教室での危機管理
3 いじめの事実記録
4 本人、保護者を安心させる危機管理

 それぞれの場面で、誰が、どのように、いつまでに動くのかというマニュアルを完備しておかなければならない。
 このような危機管理マニュアルがそれぞれの学校に明文化され、機能することが、いじめから命を守り、いじめにかかわる人の人生を守ることにつながる。
 これらのマニュアルが使われないよう、いじめを小さなうちから摘み取っていくことこそ大切なのだが、もしものときの危機管理システムは絶対必要である。

四 理不尽な行為に気持ち悪さを感じる

弱いものいじめをしない

集団生活で,子どもに教えるべき規範は,これに尽きる。
「規範」とは,行動や判断の基準・手本である。
 規範は,身体化しなければ機能しない。身体化とは,脳に回路ができることである。脳の回路は,一度や二度見聞きしただけではできない。
 さまざまな場面で繰り返し巻き返し教えられ,やらされてようやくできる。
 人間は,脳にできた回路を元に判断・行動を決定する。
 それは考えるというレベルではない。
 感じるというレベルである。
 例えば,「はきものをそろえる」という規範がある。
 私は,幼少期,母親から,繰り返し巻き返し教えられてきた。
 外出から家に帰ったとき,玄関で言われた。
「玄関は,家の顔なのよ。お客さんは,玄関を見て,どんな家かわかるのよ」
 そして,自分の脱いだ履物をそろえさせられた。そのときに,そろえ方も教えてもらいその通りにやらされた。
 これが毎日毎日繰り返される。(幼児期のことをこれだけ明確に覚えているのだから相当させられたのだろう。)
 やがて,自分からするようになった。この時点で方法記憶になっている(方法記憶とは,考えなくても体が自然に動いてしまうことである。例えば,服のボタンをとめるとか,自転車に乗るとか。習慣化ともいえる)。
 習慣化し,自分でやっていると,「すごいね,きちんと靴をそろえたね」と褒められる。
 賞賛は,行動の最大の原動力である。
 褒められれば嬉しい。
 だから,またやる。
 やってると,お客さんにほめられる。
 またうれしくなる。
 これをくり返すうちに,そろってない靴に違和感を覚え始めた。
「はきものがそろってないと気持ち悪い」と感じるようになったのだ。
 違和感は,よその家でも感じる。
 友達の家に遊びに行ったとき,自分の履物をそろえる。ついでに友達の履物もそろえる。
 それを見た大人からまた褒められる。
 自分は,これっぽっちもいいことしたつもりはない。
「こんな当たり前のことやって褒められるんだ」と思ってしまうがうれしい。
 このように,「履物をそろえる」という回路は強化され身体化した。

そうなっていないと気持ち悪い

 状態にまでなるのが「規範意識」というのではないだろうか。
 理屈で云々ではなく,目の前の状況に強い違和感を感じる。これが,規範が意識化した状態なのだと思っている。
「弱いものいじめをしない」という規範がある。
 いじめをする子は,自分より立場が弱いものをいじめることに,違和感を感じないのであろう。自分のやってることへの気持ち悪さ居心地の悪さを感じないのだろう。

 例えば,次のようないじめ。

 教室に入っても誰も雄二君に話しかけないし,見ようともしない。一日中それが続く。授業でグループごとの作業になると,雄二君と同じグループになった子達は「なんでこいつがいるんだよ」と言い,雄二君には何もやらせない。(「教室の悪魔」山脇由貴子・ポプラ社より)
 いじめには,必ずボスがいる。
 ボスは,弱いもをいじめるのが楽しくてしかたない。自分の企てで困っている被害者を見てよろこんでいる。
「弱いものいじめをしない」という規範が麻痺している。
 小さいころに,親や周りの大人から「弱いものいじめをしてはいけない」ということを,繰り返し巻き返し教えられてこなかったのだろうと推測する。
 周りの子もそうだ。ボスの企てで困り憔悴しきっている被害者を見て何も出来ない。また,「無視」といういじめに加担する。
「味方をすれば自分がやられる」という恐怖もあるだろう。それでもなお,このような不正が我慢できないという状態にはなっていない。
 これも,教えてこられなかったのだろう。
 私は,小学生のときにいじめにあっている。
「無視」である。
 ある日,突然無視がはじまった。
 心当たりは,全くなかった。
 しかし,誰も口を利いてくれなくなった。登校から下校するまで,誰とも話をしない状態が一月続いたのである。
 口を開くのは,授業中の発表(指名されたとき)と給食のときだけである。
 あとは,ずっと一人で過ごした。
 下校も当然一人である。数十メートル先には,ボスが,一ヶ月前までの私の友達と楽しそうにおしゃべりしながら帰っている。
 下校時,私も口を開いた。学校から家までの歩数をぶつぶつ数えた。
 それ以外に口を開く必然性がなかった。友達と話をしたかった。そのときの思いが今でも強く残っている。
 学級の子どもがこのような状態になっているのに,担任は,全く何もしてくれなかった。
 一ヶ月も一人ぼっちにされているのだから,学級で異質な空気が流れていたはずである。
 にもかかわらず,担任は全く何もしなかった。ボスの手口がよほど巧妙だったのだろう。担任は,気づいていなかったのだ。
 だから,向山洋一氏の「いじめ発見システム」の重要性が実感を伴ってわかる。
 担任は,その後,出世して校長になった。しかし,私は,担任を許せない。学級のたった一人の子の苦しみが分からない教師を私は認めない。
 無視がはじまって一月たったころ,以前の友達が打ち明けてくれた。
「ごめんね。ぼくもこんなことしたくない。でも,『やらないとこんどはおもえだぞ』って言われたから」
 たったこれだけだったが,とてもうれしかった。久しぶりに友達と話ができることへの喜びがあふれた。
「なんで,おれ,無視されるの?」
 その子に聞いた。
「おもしろいからって」
 聞いた瞬間に怒りがこみ上げてきた。
 すぐに,ボスのところに行き,殴りかかった。
 ボスは,一瞬あっけにとられた。
 もともと喧嘩がつよくてその位置にいたわけではなかった。
 終始こちらが優勢であった。
 喧嘩が終わり,状況は一転した。
 さっきまでのクラスのボスは,最も弱い立場に転落した。
 これも,小さいときに教えられたことだ。
「悪いことを許してはいけない」「立ち向かえ」と小さいときに刷り込まれてきた。
 だから,このときも小さいとき教えられたことに後押しされての行動だった。いま思えば,手段に問題はあるが。
 もちろん,そんなこと意識してない。
 このように,

無意識に体が動く

状態こそ規範が意識化されたといえる。

五 善悪の判断を教えられる

またまた幼少期の話である。
 テレビ番組で,兄弟で仲良くお菓子六個をわけあう場面があった。
「あんたならどうする?」
と母親に問いかけられた。
 私は,迷わず「弟に3こあげる」と答えた。自信があった。ほめられると思っていた。
 しかし,母親は黙っていた。
 少し考えて,「弟に4つあげる」と答えた。すると,褒められた。そして,言われた。
「どうしたら相手がよろこぶかを考えなくちゃね」
 このようなシュミレーションを小さいころやらされた記憶がある。
 善悪の判断である。
 また,「ものを粗末にすると目がつぶれる」「そんなことしたらバチがあたる」「人をいじめたら自分にかえってくる」など科学的には実証しようないことで善悪の判断基準を教えられてきた。
 でも,それらの積み重ねが,現在の行動の支えになっている。
 このような善悪の判断を小さいころから教え,刷り込まれることにより,規範は意識化する。
 それを担当するのが家庭であり地域であった。
 現在の社会にその機能はなくなった。
 しかし,教えなければならない。
 その役目を学校の担当する。
 授業という形で子ども達に教え受け継いでいかなければならない。
 もちろん,教育の場では「確定された真実」を教えなくてはなりません。「確定された」とは、「それぞれの学会で認められた」ということである。


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