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TOSSランドNo: 3494273 更新:2012年12月24日

現場からの提言・小学校「道徳」の評価―どこが問題か


一 教える内容の「明確化」「区別化」

これまでの道徳教育は,教える内容が曖昧だった。
例えば,現行学習指導要領低学年に「みんなが使うものを大切にし,約束やきまりを守る」という内容がある。
「約束」と「きまり」が併記されている。
辞書によると,両者は同義である。
しかし,併記されているということは,「明確に区別せよ」ということである。
約束とは,当事者の間で決めたこと。
きまりとは,集団できめた守るべきこと。
強制力があるのはどちらか。
「きまり」である。
「きまり」は,集団が正常に機能するための行動基準である。
「きまり」が守られなければ集団は崩壊する。
これを無政府状態(アナーキー)という。
一方「約束」は,まもらなくても集団が崩壊することはない。
しかし,信頼は失ってしまう。
「約束」と「きまり」は,「守る」べきレベルが違うのである。
これまでの道徳授業は,同じレベルで教えようとしてきた。
「ならぬはならぬ」と「しない方が良い」を同レベルの「守るべきこと」として教えてきたのである。
だから,デッドライン(侵してはならない限界)を越えて暴走する子が続出した。

二 ルール・マナー

1 道徳教育の教科化に賛成である。

社会生活には,「ルール」と「マナー」という行動指針がある。
「ルール」とは,社会に参加する大多数の人々が健全に生活するために決められた基準である。
「物を盗んではいけない」「順番を守る」などである。
「ルール」は,社会生活の厳守事項である。
「マナー」とは,行動のお手本である。
「あいさつをする」「くつをそろえる」「こまっている人を助ける」などである。
「ルール」ほど強制力はない。
実行すれば,関わった人が心地よくなる。
守らなくても,罰せられることはない。
しかし,守らなければ,批判・非難を受けることはある。
社会生活をする以上ルールは守らなければならない。
社会のルールを具体的に教える教科はない。
ルールを教え守らせる教育を道徳教育は担うべきである。
また,人として社会生活を送る上でのマナーも子ども達にきちんとした形で教えるべきである。
数十年前までは,このような教育内容を子ども達に教える役目を地域や家庭が担っていた。
今はない。
それを憂うだけでは現状打破はできない。
地域・家庭の教育機能を学校が復活させるべきである。
学校で教科として授業がはじまれば,家庭は注目せざるを得ない。
成績がつくからである。
学校での教科化が,家庭の徳育復活を促す可能性もある。
教科になれば,当然そこには評定が伴う。
道徳教育教科化の反対者の最大の理由は,評定への嫌悪である。
しかし,徳育の評定はそんなに悪いことなのか。
具体的な生活場面を提示し,そこでの人物の行動がルールという視点で○か×か問うのは当然である。
マナーとしてどうすべきかを問うことは少しもおかしなことではない。
現代社会の規範意識が低下している。
規範を教えてきた地域や家庭がその機能を失いつつある。
日本人の規範教育は危機的状況である。
日本人の規範意識崩壊にどこが歯止めをかけるのか。
学校教育しかない。
学校教育は,これまでも道徳教育を推し進めてきた。
効果はあったか?
否。
ここ数年の成人式報道が学校教育への評価である。
道徳教育で規範をきちんと教えられた子があのような振る舞いをするか?
道徳教育は,規範教育をなし得なかったのである。
全体的に見て。
もちろん,大多数の学級では、しかるべき規範教育がなされてきた。
多くの学級では,社会的に逸脱した行為をする子はいない。
しかし,少数の学級では踏み外した行為に及ぶ子どもがいる。
これは,何を意味するのか。
現時点での,学校現場での道徳教育成否は,担任の教育力に左右されるということである。
もちろんこれは,国語や算数の教科教育にもいえることである。
しかし,国語や算数は,教えるべき内容が明確に決められている。
学習障害のある子を除けば,ほぼその学年で学習すべき内容は最低限クリアーして次学年にあがっていく。
道徳教育にこれはない。
「なんとなく教えた」という実感しかない。
私の体験的実感である。
異論がある方は,ご意見いただきたい。
教える内容を明確にし全体で取り組めば,成果はでる。
今から,十数年前に一年生を担任した。
学級は,二つの園出身の子ども達で構成されていた。
一つは,規律をきちんと教え,行動として身につけさせることを方針とした保育園。
一つは,規律より本人の意思を優先する自由保育を方針とした幼稚園。
子ども達の行動は,明確に分かれた。
規律を重視する保育園出身の子は,あいさつをきちんとする,時間を守る,順番を守ることがきちんとできた。
自由保育の幼稚園の子は,あいさつはできない。授業がはじまってもずっと砂場で遊んでいる。自分の思い通りにならないと泣き叫ぶ。
一部の子に見られた傾向ではない。
ほぼ全員である。
後日,聞いたのだが,保育園は,園全体で,教えるべき規律を明確化し職員全員で指導を徹底しているとのこと。
規範を心の問題としておくのではなく,行動まで具体化して取り組むとどうなるかを物語る明確な事実である。

2 教科になれば,指導が平準化する

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七年務めた前任校に赴任した年,荒れていた。
着任式,始業式での私語の多いことにびっくりした。
学校生活は,子ども達にけじめがなかった。
授業中,平気で立ち歩く子が多かった(特別支援を要する子ではない)。
朝学の時間は,どこの教室も騒乱状態だった。
対外的な行事での子ども達の素行も悪かった。
学力も低かった。
学校全体がガチャガチャしていた。
この状態に,校長は憂慮していた。
そして,「これではまずい」と職員全体が立ち上がった。
生徒指導部会で,改善の方向を論議した。
出てきた結論は,次のようなものである。

1 子どもが守るべき行動基準をつくろう。
2 しつけは,学校全体でやろう。

子ども達は,何がよくて,何が悪いのか,わかっていなかった。
それを,子どもに分かる形でしめしていこう。
生徒指導部会で検討の上,職員会議の論議を経て決まったのが,次ページの行動基準である。
教室に掲示し,一つ一つ子ども達に教えた。
また,いくつかについては,道徳・学級活動で授業も実施した。
毎月の生徒指導部会(各学年から一名参加)で,学級の到達度についてABCで評定し,改善案を話し合った。
改善案の中心は,「どの子も学校全体で指導していこう」ということだった。
「ある先生が指導したことを,ある先生は見逃す。これでは,指導した先生が悪者になる。」
「指導者サイドが教師によってブレるのでは,子どもは,どれが望ましいのか,正しいのかわからなくなる。結局,子どもの行動は正されない」
といった意見がでた。
そして,「部会できまった方針は,どの子にも指導していこう」という共通理解をした。
「自分の学級の子も,よその学級の子も同じように指導していこう」ということになった。これは,なかなか勇気のいることである。
その結果・・・効果は,すぐには出なかった。
しかし,毎年,緩やかではあったが子どもの行動は落ち着いていった。
そして,取り組みから三年後の始業式。私語をする子は,一人もいなくなった。
朝学の教室は,シーンとしていた。または,元気な音読の声が響き渡った。
校内の負傷者人数も減った。先生の言うことを素直に聞ける子が増えていった。学力もあがっていった。
なぜか,運動能力もあがっていった。
これは,まぎれもない事実である。
規範をルールとモラルにわけ,子どもがなすべき行動をしめしたけっかである。
このように指導内容を決めて,共通理解して指導していけば,子どもの行動は必ずよくなる。
道徳教育の教科化は,指導内容の具体化と共通理解が目的である。
道徳の評価は,心を評価することではない。ルールがわかっているかできているかを評価することである。
今の道徳教育では,何も変わらない。


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