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TOSSランドNo: 2181942 更新:2012年12月16日

 「も」の「否定」性をどう授業するか


 第1回「『法則化』向山洋一DEEP研究会」課題レポート 1998.11.14(土)

「も」の「否定」性をどう授業するか

  伴 一孝(長崎市立小江原小学校)

 「学級通信スナイパー」第一巻№39(向山洋一著:東京教育技術研究所<03-3787-6564>)に,次の文章がある。

 国語 Aりんごはあって,みかんはない
     Bりんごはあっても,みかんはない
 A,Bのちがいの授業。「も」について調べてみる。ノート4ページになる。広辞苑がやはりいい。

 向山先生教師3年目5年生担任時の日記(1/22)からの引用である。
 向山先生が,この授業をどのように行ったのかを推定する。

    1.助詞「も」の意味を調べる

 「りんごはあっても」の「も」は,「感情の高まり」あるいは「詠嘆」の「も」ともとれるのである。
 しかし,この場合の「も」の意味として,最も適しているのは,「接続助詞」としての「も」である。

 a 動詞または動詞的活用の助動詞の連用形に接続して譲歩の気持から進んで逆接を表す。
       ex. 矢は当たざらしも痛手は負ひぬ
 b 現代の文語的用法として「とも」「ども」に通用して用いる。
       ex. 期限は今日に迫りたるも準備は未だ成らず

 いずれにしても,「逆接」の意味がある。
 他に,三省堂の「新明解国語辞典」や,角川書店の「必携国語辞典」等,10数冊ほどあたってみたが,やはり広辞苑が一番よい。

    2.助詞「ても」の意味を調べる

 ここで教材研究終了としたいところだが,見落としてはならない点がある。
 「りんごはあっても」の「ても」も,助詞の一種として,辞書に掲載されているのである。
 同じく広辞苑には,次のように記されている。

 ても「助詞」(接続助詞テに係助詞モの添ったもの。イ音便の一部・撥音便に続くときは「でも」となる)
  ① 仮定の条件をあげて,あとに述べることがそれに拘束されない意を表す。たとい・・・ようとも。・・・とも。
       ex. 命を捨てても,おのが君の仰せをば叶へむ。
  ② 事実をあげて,それから当然予想されることと逆の事柄を述べるのに用いる。・・・たけれども。
       ex. これだけ言ってもわからない。

 二つとも,やはり逆接の意味があるが,ニュアンスが微妙に違っている。
 こういう当たり方(調べ方)も,授業で触れておくべきであろう。

    3.「逆接」をどう教えるか

 以上,先の二つの文を授業するならば,「逆接」の意味が生じるか生じないかという点を押さえるべきなのである。
 「逆接」ということは,そこに「否定」性が存在する。
 言い換えれば,「も」(あるいは「ても」)に,「否定」性があるということを,授業しなければならない。
 こういう場合,向山先生がどう授業を組み立てるかイメージしてみると,二つのパターンが私の脳裏に浮かんでくる。

① 同じ言葉を使った文例を集めて分類させることによって,意味を明確にする。
② 「も」(あるいは「ても」)そのもののもつ意味を考えさせ,補足しながら,意味を明確にさせる。

 ①は,「たかの巣取り」における“かける”の授業のパターンである。(『国語の授業が楽しくなる』P.69~79:明治図書)
 ②は,「やまなし」における“の”の授業のパターンである。(四代目やまなしCD:東京教育技術研究所<近日刊>参照)
 ①は,かなり時間のかかる実践であり,向山先生自身が次のように述べている。

  五年生になったばかりの国語の授業である。
  その授業が,冒頭の一文でひっかかって,何時間もの授業になってしまった。
  わずか一語「かける」の意味を明らかにするのにこれだけの時間がかかった。
          (『国語の授業が楽しくなる』P.78~79:明治図書)

 「も」をこの方法で授業するにしても,おそらく1時間では終わらない。
 「りんごはあっても」の授業は,向山先生の日記の書き方からして,何時間にもわたって行われたものではないようであるから,おそらく②のパターンであった確率が高い。
 だとすれば,教師の「補足・補説」をどう行うかが,授業のポイントとなる。
 辞書的に様々な「意味」を並べていっても,おろらくつまらない授業となる。
 ここが思案のしどころである。

    4.伴の授業(1998年11月10日)

 私は,次のように授業した(40分間)。
 修学旅行の前日である。(この日は午前中のみ授業)

指示1:

 黒板に,二つの文を書きますから,ノートに写しなさい。

 向山先生の原実践どおり,次のように板書した。

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。

 二つの文を書いた後,黄色のチョークで枠囲みを書いた。
 子どもは,赤鉛筆で枠囲みを書くことになっている。

指示2:

 この二つの文の違いを分析し,ノートに書きなさい。時間は5分間です。

 子どもたちは,辞書を引いたり,図を書いたりしながら,分析していった。
 どの子も,ノート1ページ以上は使っていた。
 5分後,「時間を延長してほしい」と言う子が多かったので,1分間延長することにした。
 6分後,机を討論の形にさせて,意見を発表させた。
 35名中,21名が発言した。
 代表的な意見を,子どものノートと共に紹介する。

<泉田直輝>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 
 この二つのちがいを,分析する。
 Bの文をみていると,何かもの足りないような感じがする。それに対して,Aの文では,少しだけだが,満足感が感じられる。
 だが,これはぼくの思考によるイメージにすぎない。
 一度,もを辞典で引いてみると,「必要以上に感じられる」とあった。つまりBはAに対して,足りないというイメージがあるのではないだろうか。
 だが,ほかのとらえ方もできる。ふつうの「も」はそうであろうが,この「も」はちがう。この「も」でいくと,Aでは「どちらでもよい」というふうに表しているのだろう。だが,Bでは,「りんごはいらないのに,みかんがある」と言っているのだろう。
 図にしていくと,たぶんこうなるであろう。
 この図でいくと,AでもBでも,場面はどちらとも同じである。だが,そのA・Bでは,その話者の思考が,まったくちがう。つまりたった一文字の「も」がついただけで,AよりBの方が,想いが非常に強い。この「も」だけで意味と感情がまったく変わるものなのである。
 

 泉田が述べているのは,話者の「感情の違い」である。
 Aの「りんごはあって,みかんはない」からは「満足感」を感じ,Bの「りんごはあっても,みかんはない」からは「物足りなさ」を感じると言うのである。
 同じように,話者の「感情」を述べている意見を引用してみる。

<片渕郁美>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 この二つのちがいを分析する。
 まずは,Aの方だ。これは,図にしてみると,上(省略:伴)のようになる。りんごがあるが,みかんがないということだ。
 それに比べてBの方は,図にしてみると同じだが,文で比べてみるとちがうのだ。Bは,「りんごがその場にあっても,みかんはない」となるのだ。
 それに,Aは「どちらでもよかった」というカンジだ。
 Bは「りんごよりもみかんの方がイイ」とはっきりとしている。
 Aには感情がなく,Bには感情が入っている。
 もをつけることで,Bの方に感情が入ったのだろう。

 片渕は,Aには「どちらがいい」という感情がなく,Bには「りんごよりみかんの方がいい」という比較感情が込められていると言う。
 同じく,「りんご<みかん」という図式で見ている子が,他にもいた。

<松永彩>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 この二つの文のちがいは,Aは「りんごはあるけれど,みかんはない」という文で,Bは,「りんごはあってもみかんは一つもない」である。
 「りんごはたくさんあっても,みかんが一つもない」と「りんごはたくさんあって,みかんは一つもない」というAとBの文は,とても似ているのである。
 いったいどこが違うのだろうか。
 「りんごはあるよ,でもみかんはないよ」という文はAである。
 「りんごはあるのにみかんはないよ」この文はBである。
 共通点は,「りんごはある」と「みかんはない」という全体の文が共通点なのだ。共通点が文全体だけど,どこか違う。それは,Bにもがついていることで,大きく想像のしかたが変わってしまう。
 「も」という意味を調べてみると,「そのものごとがほかのものごとと同様であることをあらわす」と書いていた。ということは,この文はそっくりなのだ。
 でも問題は違いである。話者はみかんを食べたくて見たら,りんごしかなかったのだ。これは,話者の感情である。
 もがつくことで,意味が大きく変わってくるのだ。

 しかし,この二人とは,また違った見方をする子もいる。
 文の解釈というものは,やはり読み手の経験や人生観を反映するものなのだ。

<中村真衣>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 「この二つの文のちがい」の分析。
 私は,この二つの文のちがいは,一言でいうと,好ききらいだと思う。
 この文を読んでみよう。
 さいしょのAは,ただ,ふつうに言っているが,Bはちがうのだ。
 Bを,よく読んでみると,「自分の好きなりんごが出たが,もう一つ好きなみかんがない」と表しているのだ。
 あるいは,「好きなみかんがない」ともできるが,正確なのは「好きなみかんがない」という表し方だと思う。
 Aは,「どうでもいい」と表していて,Bは,「好きなみかんがない」と表しているのだ。
 文に,たとえ一文字もがついても,意味ががらっと変わるのだ。

 中村は,片渕や松永とは違う。
 Bの話者は,「りんご」も「みかん」も好きなのだと言う。
 中村の方が,楽天的・肯定的で欲張りな解釈である。

<勝美羽>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 「AとBのちがい」を分析する。
 まず,言葉がちがう。
 Aにはなくて,Bにはあるものというと,「も」である。「も」は何を意味しているのか。
 この「も」は,私の予想だと,「そのものが例外ではない」ということを表していると思う。
 「そのもの」とは「りんご」のことで,「りんご」が例外ではないということならば,原則だ。
 どんな原則なのだろうか・・・
 この文,A・Bを読んでいると,Bの方は感情が持てる。Aの方は「別にどちらでもよかった」という感じだ。
 次は,イメージの違いを分析する。
 Aは前に述べているように,「別にどちらでもよかった」という感じだ。
 Bが感情が持てるわけは,「りんごしかない」ということで,「みかんがほしかった」というイメージがもてる。
 つまり,AよりもBの方に引きよせられるように,作者は語っている。

 勝の解釈で,前の三人と違っているのは,話者が単に「みかん」をほしがっているのだという点である。
 勝の解釈においては,「りんご」と「みかん」との比較はなされていない。

<池田亜利沙>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 この二つの文の違いを分析する。
 まず,Aは「りんごはあるけどみかんはない」という意味。
 Bは,「りんごはいっぱいあっても,みかんは一つもない」ということだろう。
 まず,AにはなくてBにはある「も」を辞典で調べてみると,「いくつかのものごとをとりたてて,またはならべて示すはたらきをもった助詞」と書いてあった。
 この二つを図で表す。
 こんなふうになるが,Aはどちらでもあってもいいが,Bはみかんがどうしてもほしいと強調しているようだ。
 それは,もがつくことで,「みかんがほしい」と強調しているのだと思う。
 これを考えた人は,AよりBの方がほしがっている感情を表現しているのを伝えたかったのかもしれない。
 だから,Aは「りんごはあって,みかんはない」ということは,べつにりんごもみかんもいらないという事なのだろう。
 Bはみかんをほしがっている様子。「りんごはあっても,みかんはない」これはやっぱり「みかんがほしい」ということを表しているのだろう。

 池田も,「りんご」と「みかん」の比較ではなく,Bでは単に「みかんがほしい」という話者の感情が強調されているのだとしている。
 同じことを,別のカテゴリーで論じている子もいる。

<藤井由希子>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 この二つの文を分析する。
 AとBと文を読んで違うのは,Aはどちらでもよく,ただあるかないかを答えているように聞こえる。しかしBは,みかんが好きだという人が,りんごはあるんだけれども,大好きな,かんじんなみかんはないと言っているように聞こえる。
 つまり,Aは,説明である。例として,店などに行ったときに,目的はあまりなく,りんごとみかんを見て,「ある・ない」と説明したのだ。
 Bの場合は,Aと違い,みかんがほしかったのに,りんごがあり,みかんはなかったと言っている。
 だから,AとBは,感情の表し方が違うと考える。

 藤井は,「感情」の差なのではなく,Aの「りんごはあって,みかんはない」は,単なる「説明」なのだと断定する。
 一方のBは,「説明」ではなく感情が入っている。つまりBは「意見」なのだと言っているのである。

<小笠原啓介>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 この二つのちがいを分析する。
 まずAの文を見てみる。
 りんごはあって,みかんはない。これを図にする。
 これは,ただ,りんごがあって,みかんがないように思える。
 しかし,Bはちがう。これを図にする。
 これは,りんごより,みかんがよかったかのような言い方だ。ということで,話者は入っていると思う。しかし,これを,この人が,顔で表現しているなら,話者は外にいても分かる。
 たぶんこの二つのちがいは,「も」がつくことで,みかんの方が,よかったということを表現していると思う。

 小笠原は,同じことを視点論で述べている。
 Aの「りんごはあって,みかんはない」においては,話者は「単なるカメラ」だと言っているのである。
 一方,Bの「りんごはあっても,みかんはない」においては,「みかんがよかった」という感情が表現されているので,話者は「人間」に入って語っているはずだと言うのである。

<長岡勇樹>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 

 AとBのちがいを分析する。
 まず,すぐに分かるのが「も」という字だ。読み比べると,Aはりんごとみかんがあったけど,もうみかんはありませんよと言っているようで,Bの方は,みかんがどうしてもほしいけど,みかんはなくりんごがあると表しているようだ。
 もう一つ考えがある。これは,店で起こっていることだ。
 A店は,みかんは商品にしていないけど,りんごは商品ですと言っている。
 でも,B店は,りんごもみかんも商品なんだけど,みかんは売り切れですと言っている。
 図に表そう。
 このもというのは何だろうか。
 もというのは強調しているもだ。
 Aは,もが入ってないから,気持ちなどが入っていない。
 でも,Bは,もがあるから,どうしてもほしいという気持ちが入っているようだ。

 長岡は,状況設定が違うのだと述べている。
 Aの「りんごはあって,みかんはない」は,商品としてりんごは置いてあるが,みかんは置いていないのだと言う。
 Bの「りんごはあっても,みかんはない」は,商品としてりんごもみかんも置いてあるのだが,みかんは現在品切れなのだと言う。
 なかなか説得力のある見方である。
 しかし,同じ「状況設定」を論じながら,以下のように,視点が全く逆の子もいる。

<峰貴之>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 この二つの文の違いは何なのか。
 一目見て分かるように,この二つの違いはもが付いているかどうかだ。
 そうすると,もがあるのと,もがないのでは,どういう意味の違いがあるのだろうか?
 「も」を辞典で引くと,
①その事物と同様,類似物が他にもあることを示す。「わたくしー見たい」②事物を列挙するのに使う。「山ー川ー」③全部の意味を表す。「だれー行かない」
などだ。
 そして,この二つの文には,いろいろな場面が想像できる。
 通りすがっただけとか,買いに来たとか・・・
 Aの場合は,通りすがったとか,別に買わないとかいう風な場面が想像できる。
 一方,Bは「も」が入ることにより,「感情」が入るのだ。なんだか,残念そうな感じだ。
 なぜ,もが入るだけで,こんなにも「残念」な気持ちが表されるのか?

 峰は,買い手の視点である。
 Aの「りんごはあって,みかんはない」では,話者は単なる通りすがりなのだと言う。
 一方,Bの「りんごはあっても,みかんはない」では,話者はみかんを買いに来たのであり,そのみかんがないので残念なのだと言う。

<大重さやか>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 二つの文の違いを分析する。
 違いは,Aの文には「も」はないが,Bの文には「も」があるということだ。
 もう一つの違いは,読んだ時の落ち着きが違う感じである。Aは,落ち着きがなく,Bは,Aに比べて落ち着きがある感じだ。
 Aは,別にどっちでもいいという感じで,意志がふらついている。それに比べてBは,「りんごはあるが,本当はみかんがほしい」と言っている。Bも少し意志がふらついているが,「ないものはしょうがない」ということで,ふらつきがなくなる。
 つまり,この二つの文は,落ち着きがあるかないかを言っているのだと思う。

 大重は,「文体論」を述べている。
 Aの「りんごはあって,みかんはない」という文は落ち着きがなく,Bの「りんごはあっても,みかんはない」という文は落ち着きがあると言う。
 Aは単なる並列であるから,物語性・完結性がないと言っているのである。
 同じように,「文体論」的分析をしている子がいる。

<土居祐一>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 <この二つの文の違い>
 Aの「りんごはあって」というのは,一言でいうと「りんごだけあるかぁ」という感じだ。
 Bの「りんごはあっても」というのは,「りんごはあるんだけども」という意味だろう。「も」がついただけで,「みかんはない」ということが想像できる。
 AとBどっちが分かりやすいかというと,Bの方が分かりやすいだろう。Bは「りんごがほしい」という思いと感情が強いと思う。

 土居は,「も」があることによって,「別の○○はない」という以下の文脈を予感させているのだと言うのである。
 
 以上,このような解釈が出されたところで,発表を打ち切った。
 ここで子どもたちの意見を整理してみよう。
 子どもたちから出された解釈は,全部で10種類である。
 
① Aは「満足感」を表し,Bは「物足りなさ」を表す。(泉田直輝)
② Aは感情がなく,Bは「りんごよりみかんがいい」という比較感情を表す。(片渕郁美・松永彩)
③ Aは感情がなく,Bは「好きなりんごとみかんのうち,みかんはない」という感情を表す。(中村真衣)
④ Aは感情がなく,Bは「みかんがほしかった」という感情を表す。(勝美羽・池田亜利沙)
⑤ Aは「説明」であり,Bは「意見」である。(藤井由希子)
⑥ Aの話者は単なるカメラであり,Bの話者は人間に入っている。(小笠原啓介)
⑦ Aは商品としてみかんを置いていないが,Bは商品として置いているみかんが品切れである。(長岡勇樹)
⑧ Aの話者は通りすがりであるが,Bの話者は「みかん」を買いに来たのだ。(峰貴之)
⑨ Aには落ち着きがなく,Bには落ち着きがある。(大重さやか)
⑩ Aは何も想像させないが,Bは「みかんがない」ことを想像させる。(土居祐一)
 
 これらの子どもの意見のうち,教師がどれをとり上げても,それなりの授業になるであろう。
 
 しかし,私は,これらを出させっぱなしにしておいて,自分の解釈を述べた。
 まず,子どもたちに,机を普段の形態に戻すことを指示し,全員に前を向かせた。

説明1:

 先生ならば,これらの文を二つに切ってみます。
 どちらの文も,実は二つの文をつないでできたものなのです。

 私がそれぞれの文を二つに分けて板書し出すと,子どもたちも口々に自分の分け方を言い出した。

<板書>

 A りんごはある。    みかんはない。
 B りんごはある。       みかんはない。

発問1:

 この空いているところに,何か言葉が入るはずなのですね。

 こどもたちは,「そして」はすぐに当てた。

<板書>

 A りんごはある。そして みかんはない。
 B りんごはある。そして___ みかんはない。

説明2:

 「りんごはあって」の「て」は,「そして」の「て」だと考えることができます。
 「りんごはある。そして」を短くすると,「りんごはあって」となりますね。

 問題は,Bに残された___である。
 これはなかなか当たらない。「も」の付く言葉が出てこないのだ。
 普段あまり発言しない益田真琴が,控え目に「でも」と呟いた。

説明3:

 Bの方には,「そして」の他に,「でも」や「けれども」が入るはずなのです。
 「そして」の「て」と,「でも」の「も」をつなぐと,「ても」となりますね。

<板書>

 A りんごはある。そして みかんはない。
 B りんごはある。そして でも みかんはない。

説明4:

 「でも」という言葉は,「これから今までとは逆のこと,反対のことを言うよ」という時に使います。
 これを「逆接」と言うのです。(「でも」の横に「逆接」と板書)
 ですから,「りんごはあっても」の「も」には,逆接の意味があることになります。
 ついでに言っておくと,みんなは「も」を辞書で引いていましたが,「ても」で辞書を引くこともできます。
 ちゃんと「ても」は逆接の意味があるということが載っています。

 子どもたちは,私の板書を見ながら,ノートをまとめている。

説明5:

 この逆接というのは,言っていることを入れ替えてみると,非常によく分かります。

<板書>

 A りんごはなくて,みかんはある。
 B りんごはなくても,みかんはある。

説明6:

 このようにすると,Bの場合,「なくても,ある」という形になりますから,やはり「ても」が付くと逆接なのです。

 子どもたちは,「なるほど」という顔で聞いている。

説明7:

 しかも,この「ても」には,何人かの人たちが言っていたように,下の部分を強調するはたらきがあります。
 「りんごはあっても,みかんはない」
 「りんごはなくても,みかんはある」
 のように,「ても」より後の方の意味が強調されるのです。(「みかんはある」の横に「強調」と板書)

 このあたりは,たたみかけるように話している。

説明8:

 ということは,同じことを表現するにしても,どちらを前に持ってくるかで,意味あいが変わってくるのです。
 例えば,Bの「りんごはあっても,みかんはない」の場合,これは「みかんはない」ということが強調されます。
 同じことを,逆にして言ってみましょう。
 「みかんはなくても,りんごはある」になります。
 これだと,「りんごはある」が強調されます。

発問2:

 「プラス思考」「マイナス思考」で言うと,どちらが「プラス思考」だと言えますか。

 子どもたちは,口々に,「みかんはなくても,りんごはある」の方だと言う。

説明9:

 「ても」の「も」には,逆接で「前の言葉を打ち消す」はたらきがあります。
 だから「ない」という言葉を前に持ってきて「ても」でつないでやると,後には「ある」がきて,しかも強調されますから,プラス思考になるのです。
 同じことを言うにしても,「ある」を前に持ってきて「ない」を後に持ってくると,マイナス思考になってしまうのです。
 例えば,「走るのは速くても,ボールは遠くへ投げられない」これはマイナス思考です。
 これを逆にして,「ボールは遠くに投げられなくても,走るのは速い」これだとプラス思考です。
 このように,言葉には,不思議な力があるのですね。

 ここからは,少し角度を変えて扱う。

説明10:

 「も」という言葉のもつはたらきを,もう少し考えてみましょう。

 次のように板書した。

<板書>

 ① 少しは □。

 ② 少しも □。

発問3:

 四角の中には,どんな言葉が入りますか。

 ①は「少しはある」,②は「少しもない」となる。
 続けて,以下のように板書した。

 ③ ちっとは面白____。
 ④ ちっとも面白____。

発問4:

 棒線の部分には,どんな言葉が入りますか。

 ③は「ちっとは面白い」となり,④は「ちっとも面白くない」となる。

説明11:

 このようにして見ると,「も」という言葉には,「否定する」「打ち消す」はたらきがあることが分かります。
 「餌どころか,水もやらない」とか,「一円もくれなかった」などで使われる「も」も,同じことですね。

 この部分は,大野晋の「日本語相談」(朝日文芸文庫)からの引用である。
 以上で,この授業を終えた。
 授業内容をふまえて,ノートをまとめてくることを宿題とした。
 修学旅行を終えた次の日(11/13),提出されたノートを,以下に紹介する。

 <藤井由希子>

 

Aりんごはあって,みかんはない。
Bりんごはあっても,みかんはない。
 
 右(伴注:上)のAとBの文について分析する。
 まずこれは,二つに分けると,左(伴注:下)のようになる。
 A→りんごはある。そしてみかんはない。
 B→りんごはある。そしてでもみかんはない。
 Aは,ただりんごとみかんがあるかないかを説明している。または,どちらとも希望していたから,どちらでも良かったと感じ,考えられる。
 Bは,「でも」がつく事によって,反対の事をいっている。逆接しているのだ。つまり,りんごはあるんだけど・・・希望してたみかんがなーい!と,みかんがないという事を強調していると考える。
 またマイナス思考の文であると考えられる。この文を反対にすると「みかんはなくても,りんごはある」となる。これは,みかんはなくてもりんごはあったんだよ!と物事をいい方にいい方にと考えていっているのでプラス思考だ。だから反対のもとの文はマイナス思考である。
 とにかくマイナス思考ということは自分が思ったこと考えたことなのだから,Bの文は感情がまじっているということになる。
 Aは説明だ。
 つまりAとBの違いというのは,説明と,説明プラス感情という所の違いだ。
 例として店に行ったとする。Aは自分の意志ではなく母などからたのまれたなどとなる。だから,母にいう時は説明となる。
 Bの場合は自分の意志であり,みかんが買いたかった。しかし,みかんはなくて,りんごはあった。みかんの方を強調したいために,このような順序にしたのだろう。
 これで分析を終わる。
 

    2.助詞「ても」の意味を調べる


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