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TOSSランドNo: 2496847 更新:2012年12月16日

「大造じいさんとがん」の授業(1994年版)


1 「問題づくり」に挑戦する

指導時数は,テストも含めて9時間である。
単元の組み立ては,向山先生の「大造じいさんとがん」の実践(※1)の追試にした。
この実践のポイントの一つは,子どもに「問題づくり」をさせるところである。
向山学級の子どもたちが作った問題の数は「401」である。
自分の学級では,どのような問題が,いくつ作られるのであろうか。
追試することによって,教師の力量の差が,歴然とあらわれる実践である。

【第1時】

2学期初めのこの時期の授業では,ほとんど毎時間,漢字の指導に15分間程度使っていた。
だから,実質の時数は,三分の二程度になる。
一単位時間で30分間しか使えないことになるから,本文を1回通読させると,残りの時間は20分間ということになる。
第1時は,まず,20分間程度かけて教師がゆっくりと範読した。

指示1:

読めない字に印をつけながら1回読みなさい。

これで終わりである。

【第2時】

第2時には,まず子どもたちに一人で音読させた。
速い子で7分間,最も遅い子には,25分間たったところで止めさせた。

指示2:

二人組になって,お互いに読めない字を,教え合いなさい。
二人とも分からない字があれば,先生に質問しなさい。

これに5分間程度かかった。
これだけで第2時も終わりである。

【第3時】

東京書籍の教科書では,全体が四つの節に分けられている。
第3時には,第1節から第3節まで,教師の後を一文ずつ読ませた。

指示3:

先生が一文ずつ読みますから,先生の後を追い読みしなさい。

これに30分間かかる。これだけで終わりである。

【第4時】

第4時には,残った第4節を追い読みさせた。
これでひと通り読み方の確認ができたことになる。
そこで,子どもたちに一人で全文音読させてみた。
速い子で4分29秒,最も遅い子で9分20秒かかった。
次に,第1節を,一人一文ずつ音読させていった。
これに6分間かかった。
残った15分間で,問題づくりをさせた。
「問題づくり」と言っても,初めての子どもたちは分からない。

今年も,残雪は,がんの群れを率いて,ぬま地にやってきました。

という最初の一文で,教師が4問作ってみせた。
子どもたちは,配付した西洋紙に,それぞれ10~20問作ることができた。
これを集めて終わった。

【第5時】

第5時には,最初,一人で全文音読させた。
速い子で5分55秒,最も遅いい子で8分57秒かかった。
次に,第2節を,一人に一文ずつ音読させた。
前時の終わりに集めた問題を返した。
その子の作った中で,最も良い問題に,教師が印をつけておいた。
教師が印をつけた問題を,一人ずつ発表させた。こうして「良い問題の紹介」を行った。
残り時間は16分間である。再度問題づくりをさせて終わった。
このようにして,実質30分間程度で作らせた問題を,教師がワープロで打って「問題集」にした。
問題総数は「237」であった。 

2 公開 「心情を扱う授業」

教頭先生に観ていただいたのは,第6時である。
第7時も,別のベテランの先生に観ていただいた。

【第6時】

最初,一人で全文音読をさせた。
次に,第3節を,一人に一文ずつ音読させた。
問題集を配付し,しばらく読ませた後,気づいたことを発表させた。
「『ろくべえまってろよ』でやったのと同じ問題(起承転結に分けなさい)がある」等の気づきが出された。
問題集の中から,次の問題を解かせた。

発問1:

この話では,何回がんの群れがやって来ましたか?

子どもたちの考えは,二つに分かれた。
一方は「話の中でがんの群れが何回飛来するかを数えた」子どもたちである。
もう一方は「何年間にわたる話かを数えた」子どもたちである。
問題が曖昧なので,数え方によって,答えが変わってくることを確認させた。
2問目である。

発問2:

この話の,主人公はだれですか?

これも,子どもたちの考えが分かれた。

・大造じいさん
・大造じいさんとがん    
・大造じいさんと残雪  

どの子も「大造じいさん」をあげていた。
「がん」については,残雪以外のがんも含んでしまうということで消去された。
「残雪」については,「人ではないから主人公ではない」という意見が出された。
これは,1時間の授業に値する問題である。
「大造じいさんとがん」の主人公が「大造じいさん」であることには,どの子も異存がなかった。
問題は「残雪」である。
「残雪」も主人公であるという子たちと,主人公ではないという子たちに,それぞれの言い分をすべて発言させた。

<「残雪」も主人公派>
○ たくさん出てきているから。
○ 物語の中心として書かれているから。
○ 活躍しているから。 
○ 題名に「がん」があるから。
○ 「がん」の群れを率いているから。

<「残雪」は非主人公派>
● 「主人公」とは,「人」のことである。「残雪」は「人」ではないから。

非主人公派も,残雪の重要性は認めていた。
しかし,子どもたちが使っている辞書では「主人公」の定義が次のようになっているのである。

小説やしばいなどの,中心になる人。(三省堂 小学国語辞典第八版)

 意見が出尽くしたところで,私は『ごんぎつね』や『手ぶくろを買いに』の例をあげて「人間のように表現されているならば,動物であっても主人公と言える」と説明した。
 しかし「残雪」は人間のように表現されているわけではない。
 だから主人公ではないと考えられるが,この点については大人でも意見の分かれるところだと話して次へ進んだ。
 3問目である。

発問3:

じいさんは,なぜじゅうを下ろしたのですか?

いよいよ「心情」を扱うわけであるが,残り時間は6分となっていた。
答えを書かせてみたところ,子どもたちは考え込んでしまった。
「この問題には,答えられないと思う人?」と尋ねると,戸惑いながら,全員が手を挙げた。
そこで「はっきり書いてはいないんだけど,こうではないか・・・・ということで書いてごらんなさい」と指示した。
書かせた意見を発表させてみると,大きく次の二つに分かれていた。

A 残雪に(おとりのがんを助けてもらって)感謝していたから。
B 正々堂々と戦いたかったから。

ここまでで時間切れである。
次の時間に,これをはっきりさせることにして終わった。

【第7時】

2名が欠席し,10名での授業になった。
四の場面を各自に音読させた後,一人に一文ずつ読ませていった。
前時の最後の問題について,子どもたちの考えを確認した。

A 「感謝」      1名     
B 「正々堂々」   9名    

前時にはかなりいた「感謝」の子が,1名になっていた。

指示4:

自分の考えの根拠となる文に,線を引きなさい。

「正々堂々」の子たちは,次の大造じいさんの言葉の一部に,それぞれ線を引いていた。

「おうい,がんの英ゆうよ。おまえみたいなえらぶつを,おれは,ひきょうなやり方でやっつけたかあないぞ。なあ,おい,今年の冬も,仲間を連れてぬま地へやってこいよ。そうして,おれたちは,また,堂々と戦おうじゃあないか」

「感謝」の子は,作業の途中で「正々堂々」に変わると言い出した。
そして,次の一文に線を引いた。

残雪の目には,人間もはやぶさもありませんでした。

そこで私は,この一文を検討させてみることにした。

発問4:

この文は,「正々堂々」の根拠になりますか?

「なる」という子は,本人も含めて2名だった。
「根拠にならない」と言う子は,次のような意見を述べた。

残雪の心は,大造じいさんには分からないから。

しかし,討論はかみあわなかった。
意見が出なくなったところで,次の指示をした。

指示5:

この文について,語り手がどこから見ているかを目玉で書きなさい。

この学級で,目玉を書かせるのは初めてである。
予想通り,この文を「正々堂々」の根拠としてあげた子は,残雪の外に目玉を書いていた。
子どもたちにノートを持って来させ,黒板に図を書かせた。
意見は,次のように分かれた。
 
残雪の外に目玉がある(5名)
残雪の内に目玉がある(5名)
 
「内」派が「この文は,残雪の目を通して書いている」と意見を述べたが,「外」派には分からなかった。
私は「目玉が外にあるのだとしたら,次のような書き方になるはずだ」と説明した。

残雪の目には,人間もはやぶさもないかのようでした。

 教科書の文は,残雪を内から見て書いているので,大造じいさんの「正々堂々と戦いたい」という気持ちの根拠とはならないと説明した。
 残りの時間で,あと2問扱ったが省略する。
 
 何ということのない,できの悪い授業である。
 「何だこれは?」と思われた方も多いであろう。
 しかし,私はこの授業を公開し,分析することで,大きな勉強をすることになった。
 
 
 私は「大造じいさんとがん」を素材にして「心情を扱う授業」を2時間連続で公開した。
 こうして,授業を観て検討していただくうちに,自分一人では見えなかったことが見えてきた。

3 授業のパターンを類別する

「心情を扱う授業」では「○○が△△したのはどうしてですか?」のように「Why型」の発問が採用される。
そして,「Why型」の発問をすると,授業の流れは以下のようになる。

Ws000000

問題は,この後の扱いである。
ある子が「ここに~」と示した根拠の文が,はたして根拠と言えるのかどうかについて,子どもの意見がかみ合わない場合がある。
このような時の扱い方には,三つの型がある。

① 「感覚重視」型

子どもの感じ方を多様に出させることで,「ああ,そんな感じ方もあるのだな」という「感じ方の違い」を学習させる型である。
しかし,子ども一人ひとりの感じ方のみに依拠するのであれば,つまるところ「解ははっきりしない」という終わり方になる。
「感覚重視」型は「間違った意見」がない授業になるので,子どもはどんどん発言してくる。
しかし,子どもに論理的思考力を培うことはできにくい。

② 「教師主導」型

子どもから出された証拠の文について,教師が「この文は証拠になるか?」という方向で検討させていく型である。
「教師の解」を優先しながら子どもの思考を引っ張っていくため,きちんとした「まとめ」のある終わり方になる。
「教師主導」型は,最後の「まとめ」を覚えておけばよいのであるから,ある意味で子どもが学習しやすいと言える。
しかし,子ども自身に読みの力を培うことはできにくい。

③ 「討論」型

子どもから出された証拠の文について,子どもたち自身に「この文は証拠になるか?」を検討させていく型である。
「一人ひとりの感じ方」や「教師の解」については,ある意味で禁欲的に扱うため,論理的に共通理解できるぎりぎりの線を明らかにするという終わり方になる。
「討論」型では,子どもたちの考えがぶつかり合い,文章表現の細かい分析が行われる。
しかし,子どもにとって一番難しく,時間もかかる。

4 類別すると見えてくる

私は,①や②の良さも生かしながら,やはり③の「討論」型の授業をめざしたい。
 しかし,実際の授業は,③の「討論」型をめざしながら,②の「教師主導」型になってしまった。
 なぜこうなったのであろうか?
 
 例えば「残雪の目には,人間もはやぶさもありませんでした」という一文は,「大造じいさんは,正々堂々と戦いたかったからじゅうを下ろした」という意見の根拠にはならない。
 しかし,子どもたちは,それを論証できなかった。
 そこで私は「視点」の問題をもち出した。
 「視点」という観点で分析すれば,「この文には,残雪の心を大造じいさんが分かっているという事態が表現されているか」が明らかになるからである。
 もちろん「表現されていない」のである。
 ちなみに,「表現されていない」と「大造じいさんは分かっていない」の二つは,決して同義ではない。「大造じいさんは分かっているかも知れない」わけである。しかし,これは「表現されていない」ことであるから,読み手がどうとらえるかは自由であり,「分からない」というのが正解である。
 「視点」という「分析の観点」をもてば,このように論証できる。
 授業をしながら,私はこのように考えて「視点」を検討させたのである。
 しかし,これは私の勇み足であった。

最初は,子どもに考えさせるのではなく,教師が黒板で説明していくべき。

だったのである。
 最初の扱いには時間をかけずに,

次の「Why型」の問題について検討させる段階で,改めて子どもに「視点」について考えさせるべき。

なのである。
 そして「もう一歩の突っ込み」を行うならば,次のように問う。

この文をどのように変えたならば,証拠の文になるのでしょうか?
この文を,証拠の文になるように書き直してごらんなさい。

向山先生ならば,このように授業なさるような気がする。
 
一番よいのは,「話者」および「視点」といった「分析の観点」を,きちんと何時間かかけて指導しておくことである。
「心情を扱う授業」においても,これらの「分析の観点」がなければ,子どもは文章表現にもとづいた討論ができないという事実が,授業を通して明らかになったのである。

(※1) 『分析批評』で授業を変える(明治図書)向山洋一著 P.92~148


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