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TOSSランドNo: 4565267 更新:2012年12月12日

国際人「最上徳内」


【授業のねらい】
 生涯を通して北方探検を行い、アイヌ民族、ロシア語にも精通し、シーボルトと交流を深めた郷土の偉人「最上徳内」は、北方の防衛、開発、保護などに関係した数々の業績を持つ。厳しい環境にある蝦夷、北方探検を9回も行ったことは、まさに困難の連続であった。 その困難を乗り越えられたのは、「最上徳内」の不撓不屈の精神があったからである。また、アイヌや外国人に対して衣食住、文化、言語を自ら受け入れていく国際人であったことでもある。その知的で好奇心あふれる偉人の生き方に触れることがねらいである。

最上徳内の蝦夷全図(1790年)を提示する。

説明1:

今から200年以上前、江戸時代後期に描かれた地図です。

北方地図を提示する。

説明2:

さらに詳しく描いた地図です。間宮林蔵の樺太探検より19年前、伊能忠敬の 全国測量開始より10年前にこのような地図を描いた人物がいます。

最上徳内像を提示する。

説明3:

山形県村山市出身、最上徳内です。

北方探検の行跡を提示する。

説明4:

最上徳内は、生涯に9回、蝦夷地、樺太、千島へ渡り、調査・測量を行いました。

発問1:

当時、蝦夷地など北方を探検するには、多くの困難がありました。一番大変だったのは、どんなことだと思いますか。ノートに書いてごらんなさい。  

説明5:

当時、蝦夷をおさめていた松前藩の役人でも、道案内はつとまりませんでし た。

発問2:

では、誰に道案内をしてもらったのだと思いますか。

アイヌ人の絵を提示する。

説明6:

アイヌの協力です。道なき道を進む、海を渡るには、その土地にすむアイヌの案内なくしては、北方探検を行うことはできませんでした。徳内は、アイヌの言葉を覚え、衣食住を共にし、アイヌの声に耳を傾けました。 

説明7:

最上徳内は、多くの困難を乗り越えながら調査や測量を行い、蝦夷や樺太、地図を描きました。

説明8:

晩年、最上徳内は、ドイツの医師シーボルトとの出会いがありました。 シーボルトは、最上徳内が描いた地図によって、はじめて北方の地形を知りました。当時ご禁制の品であった地図をシーボルトに渡しました。

発問3:

ご禁制の地図を手渡した徳内はどうなってしまったと思いますか。

説明9:

シーボルトは、最上徳内の手書きの地図を厳重に国外に持ち帰り、25年後にヨーロッパで発表をしました。それは、学界で高く評価されているのです。

説明10:

シーボルトは、著書『日本』の中で、最上徳内の肖像を揚げ、世界に誇るべき老探検家」と、最大級の言葉でほめたたえました。

説明11:

現在、村山市では、毎年「徳内まつり」を行い郷土の偉人をたたえています。

【参考文献】
「最上徳内」(吉川弘分館)
「よし北辺にはてるとも」(あうん社)
「北冥の白虹」(新人物王来社)
「最上徳内年譜」(最上徳内記念館)
「最上徳内小伝」(第23回北方領土返還要求のつどい記念誌)
「山形人物館」(山形県連合小学校長会編)
「やまがた人物風土記―外はふぶきでもー」(山形県小中学校校長会)
「蝦夷草子」(東京経済)
「赤い流氷」(光和出版社)
「北方領土と海峡防衛」「シーボルト記念館鳴滝紀要 第5号」(シーボルト記念館)


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