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TOSSランドNo: 2210058 更新:2014年01月03日

障害者の方に対する自分の心は


発問1:

この写真は何の写真だと思いますか。

写真を掲示し、思ったことをどんどん発表させる。

説明1:

これは座敷牢の写真です。座敷牢とは、外にでられるように厳重に仕切って罪人・精神異常者などを押し込めておく座敷のことです(角川国語辞典)

資料を読む

資料:これは「止揚学園」という重い知恵遅れの子の施設を作った福井達雨(ふくいたつう)という人の話です。福井さんは二十歳の時に、四人の障害児と出会い、障害児教育の世界に入りました。今から四十年も前のことです。そのころは重い知能障害を持った子どもたちに対しての理解が少なくずいぶん冷たかったようです。 四人のうち二人は、一日中家の奥の部屋や天井裏に隠され、もう一人は土間に掘ってある穴の中で生活をしていたのです。

もう一度写真に注目させる。

発問2:

福井さんは、この姿を見てびっくりして、お母さんに大声を出してしまいます。あなたなら、このお母さんになんといいますか。

この場面を子どもたちの頭の中にイメージさせるための発問である。

説明2:

福井さんは「なんてひどいことをするんや」と大声を出して怒鳴りつけました。

発問3:

お母さんのとった行動は正しいと思いますか、間違っていると思いますか。正しいという人はノートに○。間違っていると思う人はノートに×を書きなさい。書いた人は理由を書き込みなさい。

ほとんどの子がお母さんのとった行動は×と書き込む。理由は、障害を持った子供がかわいそうというのが多い。

発問4:

お母さんは福井さんに何といったと思いますか。書きなさい。

「ごめんなさい」と謝るという意見が多い。

資料:すると、お母さんは目に涙をあふれさせ、こう言ったそうです。「この子を外に出すと、あほとからかわれ、石を投げられ、自動車にとび込んでいっても、みんな助けてはくれないのです。この子はこうして穴に入ってじっとしているときが一番安全で平和なのです。」福井さんは自分が恥ずかしくなりました。この子どもたちを、穴や天井や家の奥の部屋から出さないようにさせていたのはお母さんではなく、周囲の冷たい日本人だったのです。「お母さんは、子どもを守るためには、ああするしかなかったんだ。子どもたちを差別してきたのはお母さんではなく、僕だったんや」と気づいたとき、福井さんはお母さんに必死で謝りました。福井さんが障害児の教育を続けていこうと思ったのは、この出来事がきっかけだったそうです。

発問5:

もう一度聞きます。お母さんのとった行動は正しいと思いますか。正しいと思う人は○、間違っていると思う人は×、どう考えてもわからないという人は△を書きなさい。そう考えた理由を必ず書き込みなさい。

書き終わった後、○、×、△という順番で手を挙げていかせる。そして×・○・△の順で自分の考えを発表させる。
お母さんの言葉から自分たち周りの行動について考えさせる。

発問6:

これは40年も前の話です。今障害者の人への接し方は変わったでしょうか。変わったという人手を挙げなさい。変わっていないという人手を挙げなさい。

資料:朝日新聞への読者の投稿です。
変わらない障害への目
 私はいわゆる身体障害者として生まれた。この醜い体が、そもそもの原因だった。私は人の物に触れてはいけなかった。触れると「腐る」から空気を吸っても吐いてもいけないとまで言われた。「ビビディバビディブー」という曲を「さわらないでさわらないで、あかがつくからあなたなんか嫌いよ、顔も見たくない」という替え歌にして歌われた。図書館での授業では男子生徒に閉め出された。大人になって、私は「いじめ」から解放されたであろうか?否。私を見る好奇なまなざしは子どもの頃と少しも変わらない。何かおぞましい物でも見るような目。これが社会の「いじめ」でなくて、何であろうか?(秋田県横手市 石川 洋子 書店員26歳)

現在でもこのようなことがあっていることを知らせる。

発問7:

ズバリ聞きます。間違った行動をとっているのは誰ですか。

わたしたち・周りの人
差別や偏見を持たないように心がける社会連帯のの精神が必要だということに気づかせる。

資料:これも朝日新聞の天声人語というところに書かれていたものです。斉藤直希君は今月山形中央高校を卒業した。三年間、無遅刻無欠席。大変なことである。というのは直希君は車椅子の生活です。。脳性小児まひで、両方の手足が自由にならぬ。鉛筆を口で取り、不自由な手に運ぶ。でも字は書ける。成績はいい。自分で希望して養護学校から中央高校に進んだ。「障害者を見たことがない級友も多く、はじめは親しくなるきっかけがつかめるかどうか心配だった」が半年も経たないうちに友達が大勢出来た。学校側は施設を改造して彼を迎えた。出入り口に緩やかな坂をつける。車椅子にあわせた机を四つ作って教室や理科室などにおく。山上市の家から山形市の学校まで毎日の送迎は母親のあやこさんの仕事だった。エレベータがない三階の教室まで直樹君を背負って階段を上がる。休み時間に教室を移動するとき、おぶって走ることもある。授業中は、学校の掃除、草むしり、購買部の手伝いをした。もちろん無償である。それぞれ心に思い定めたいたことがある。加藤稔校長「特別な扱いはしない」直希君「手助けをしてもらうことへの感謝を忘れない」あやこさん「人に迷惑をかけてはならない」実り多い三年間だった。卒業式の後加藤校長はあやこさんに感謝状を渡した。亜矢子さんが生徒たちに与えた影響も大きかった。

指示1:

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