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TOSSランドNo: 9325719 更新:2013年10月13日

6年「やまなし」の実践(向山洋一実践の追試)第0時


やまなし 第0時 11月15日(月)

 今年は「やまなし」を以前から隙間時間などを使って音読させてきた。
 「やまなしノート」も早く配布し、
 「やまなしに関する学習をしたい人はどんどんしておきなさい。」
と言っておいた。
 昨日、宿題で
「やまなしの感想を書いてきなさい。」
と指示した。
 こんな作文を書いてきた子がいた。
「感想」ではなく「分析」調である。

 この作品を読んだ時、僕は疑問を覚えました。
 第一に、この作品は最初に「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」と書いている。何故、この文章を幻灯にするのだろう。これは、作者にインタビューしなければ判らないと考えた。
 第二に、この文章からではカニのお母さんが見当たらない。ということは、タコか何かに食べられたか、病気で死んだのだろう。  
  第三に、「五月、十二月」と時が離れていることです。宮沢賢治さんは、十一月に妹を失くしているそうですが、このことと関係があるのでしょうか。この疑問は、討論したいと考えています。
 私は、この「やまなし」を読んで、この話は、「かに」の親子が出てくるのだと分かりました。
 そして、始めの文の、「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」と、いうのと、最後の文の、「私の幻灯はこれでおしまいであります。」という文で、これは、この話者の、宮沢賢治という人が言っていることだろうと思いました。  (以下、略)

 やまなしの感想は一言で言うと「不思議」だ。なぜなら、誰の視点で描かれているか分からない。だからと言って「三人称客観視点」ではない。それはかにの弟の「こわい」という気持ちが書いてあるからだ。
 第二に「クラムボン」である。何だこいつ。何者なのか。
 なのでクラムボンについて考えてみた。パソコンで調べた資料を見ると僕と同じような意見がある。それは「クラブ(蟹)の造語」というのである。つまり、この蟹の吐いた泡であると考える。他にもアメンボだとか、そういう意見もあったがやはり僕は蟹の吐く泡だと考えた。

 今日ぼくは「やまなし」についてかいしゃおくしたことをまとめる。この作品にはクラムボン」が出て来る。
 ぼくは第一に人間の夢とたとえるのだと思う。P五の「かにの子どもらも、続けて五、六つぶのあわをはきました。」とある。これはかにの考える夢なのだ。「ゆれながら水銀のように光る。」とは、子どもは夢にあこがれるものだから、光っているのだ。P6でクラムボンは魚にこわされてしまう。魚は、夢をこわす現実なのではないか。しかし魚がまたもどり下の方へいったことで夢がより大きくうかぶ。だからP6の「クラムボンは、笑ったよ。」とある。そして、「にわかにぱっと明るくなり日光の黄金は降った。」のではないか。
 二つ目は人間の命だと思う。P10に「あわといっしょに白いかばの花びらが天井をたくさんすべっていました」とある。白いというのは亡くなって花びらというのは花が風でとばされて落ちたということ。つまり、命を落とした知らせにかばの花びらがすべってきたのだ。
 P14の「もう二日ばかりまつとね。」とは人間が産まれる時のかかる時を表してる。「それから、ひとりでにおいしいお酒ができる」とある。お酒とはめでたい時などにつかう。つまり子ということだ。
 また最後の「それはまた、金剛石の粉をはいたようでした」は、ダイヤモンドの粉をはくは、きれいで価ちのあるもの。
 よってこの二つのどちらかがぼくの考えたものだ。話しあいで意見が変わるかもしれないが、クラムボンのたとえをはやく見つけたい。


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