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TOSSランドNo: 8340112 更新:2013年10月05日

母親の愛情が心を育てる 水野 茂一


 「心」はいくつから

  かわいそう   横須賀市 西山光(二歳)
  生まれて一カ月の大貴が泣いていると、
 光「どうしよう、どうしよう!大貴が泣いているよ。」
 台所にいて、泣いている声が聞こえなかった私に知らせてくれた。
 母「あら、ほんとだ。」
 光「もしかして・・・ママがいじめたんじゃないの?早く行って抱っこしてあげなさい。かわいそうでしょう。」
 母「そ、そうね。」いつも弟を抱っこすると、やきもちをやく娘が、弟を思う気持ちを見せ、大変嬉しかった。

 4歳未満の子どもを持つ母親たちに、子どもの「つぶやき」を拾い上げ、記録するように奨励していますが、提出されま
す。「つぶやき」のほとんどに、光さんのような「心の働き」がはっきり読み取れます。
 そうしますと、、「心」は、話すこともできないもっと小さな者達にもありそうなんですが、私には探し出す手段がないの
で、心理学に登場して貰います。
 ~大人でも相手の目を見てほほえみ、声をかける。そして、相手がそうしてきたら必ず応じる。これがどんな年代でも人
の関係にとっての基本である。~これが人間関係の基本ですから、ヒトの子だけは誕生の月から、自発的に微笑みの練習を
始めるのです。この将来に備えての練習のような微笑みを心理学では「生理的微笑」と呼んでいます。
 ~対人的な関係を志しての微笑である「社会的微笑」は、通例生後2,3か月以降に出現してくるのである。~
 ~われわれが子どもをあやすバイでも、声をだし、顔を見つめながらあやすだろう。その何気ない動きに、実は人間関係
のもっとも基礎となる過程が現れているのである。~私は、「人間関係のもっとも基礎となる過程」は、「心が形成されてい
くもっとも基礎となる過程」と言い換えられると思います。心が形成されていくからこそ、次のような行動が見られるのだ
と考えます。

 ~生後2、3か月以降、乳児は自分の発声や働きかけに対して、母親が何等かの形で応じてくれることを期待していくよ
うに思われる。応答がないと、とまどった行動を示すのである。母親の応答とは、1つは声を出すことであり、もう一つは
微笑みを示すことである。~
 ~母親が表情を変えない研究(応答しない)では、乳児の微笑の頻度が減少し、また母親から目をそらすことが増えたと
うことである。(以下、抜粋は『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』無藤隆著講談社現代新書)~
 これらの研究により、新生児は誰よりも、母親の顔と声を求め、敏感に反応していることが分かります。このことは、新
生児に声や顔を識別する知力と、母親を恋い求める感情が働いているということになります。また、母「心」とは、夫々の
辞典に次のように説明されています。
 ~知・情・意などの精神的な働きのもとになると見られるもの。また、その働き~(岩波の国語辞典)
 ~人間の精神活動の根本となる知・情・意の本体(考え・思慮・こころざし)~(角川新字源)
 したがって私は、「社会的微笑」をするようになった時は、「心」の働きがはじまっていると考えています。
 私が小学校の教員時代より、「ヒトの子は、犬や猫の子と違う。生まれた時から、知・情・意の働きがあるのだ」と主張
してきたのも、情操教育イコール幼児教育だった我が国の幼児教育界に、知的教育を持ち込んだ根拠も、ここにあったので
す。

 「心の栄養剤」

 1990年になってさえも、地方の幼稚園・保育園での講演会で、
「子育てで大切なことは、心を育てることです。1、2、3と言ったらご自分の心のある場所をおさえてください。」と言
って号令をかけますと、半数以上が、左胸をおさえるのでした。
 ところが、ここ数年の間に、ほとんどの方が頭を押さえるようになり、常識に大きく変化が見られます。「心」は大脳の
機能なんだという新しい説が急速に定着しつつあります。そこで、ごく簡単に基礎的なことを正しく知りたいと思います。

『脳内革命』(永田勝太郎著、PHP文庫)が、子育てや教育にとって重要なことを指摘しているので、参考にいたしまし
た。
 各層の機能は、次の通りです。
~「脳幹」生存に不可欠な機能(例えば呼吸、食欲等の生理的機能と快感・美意識等)を司る。
~「旧皮質」一般に情動脳と言われているように、主として感情面を支配する。
~「新皮質」人間の理性や知性を支配する。
 この三層をどのように働かせていくと、「心」を育てることができるのでしょうか。
~要するに、脳幹や旧皮質の指令に、新皮質からの指令が逆行すると、往々にしてそれは「悪魔」に変身する(注・現実に
いろいろな「悪魔」が輩出してきています)一方、脳幹や旧皮質の声に耳を澄まし、その指令の方向で新皮質の知性を活用
するなら、それは十分に「神」になりうる可能性を秘めている。~
「神」の方向こそ、「心の教育」だと思います。具体的にどういうことなのか、年齢、環境などをしっかり踏まえて、明ら
かにしていかなければならないことだと思います。この時、どんなことよりも大切なことがあることを、永田先生は明確に
示していらっしゃいます。
~母親の愛情ほど、子どもの旧皮質の自然な発育を促す要素はほかになく、それが脳幹の何よりの栄養剤となり、健康な身
体と優れた思考力を引出、ひいては新皮質の健全な働きをもたらす。~
 母親の愛情が、新皮質の指令を「悪魔」に向かわせず、「神」の方向に向かわせる一番の栄養剤になるというのです。そ
れなら、心配はないということになってしまいそうです。なぜなら、常識では、誰でも母親は子どもを愛していると考えら
れていますから。
 ところが、現代では次から次へと、考えられないような「悪魔」が輩出してきます。何故なのでしょうか。私は「母親
の愛」にも色々あるのだと思います。それらを大別すると、報いを求めようとしにあ「無償の愛」と報いをどこかで求めて
いる「有償の愛」であるほど、嫌悪感が生じ拒絶したくなるものです。
 子ども達の大脳の最高の栄養剤になるのは、言うまでもなく「無償の愛」なのです。現代の母親たちは、はたして「無償
の愛」で、幼い子どもたちを包んでいるのでしょうか。

 母親の愛の変化

 東北から九州まで、かなりの幼稚園・保育園で講演の折に、意識的に聞いてみたことがあります。
「みなさんのお母さんが、みなさんを包み込んだ無償の愛と、今、みなさんがお子さんを包んでいらっしゃる無償の愛を比べてみてください。ご自分のほうが満ち溢れていると思われる方、挙手してみてください。」どこの会場でも、ほんの数人。1人もいない会場もありました。
「お母さんのほうだと思われる方。」と言うと、ほとんどの方が挙手をしたのでした。これが子どもの人間形成に、どれほ
ど大きく悪影響を与えているのか、真剣に考えなければならないと思います。
 それでは、今の母親たちは、出産したときから、無償の愛が欠如しているのでしょうか。決してそうではないのです。

 講演感想文   みのり幼稚園 母

 水野先生のお話を伺った感動は、まさに私が子供たちを出産した時の感動と同じものでした。私の子どもは双子で二人合
わせても、一人分の体重しかありませんでした。保育器の中で管をつけて眠る小さな小さなわが子を見て、、私は全身全霊
で子どもを守っていこう、そのためには、自分はどんな犠牲も努力もおしまない、と涙を流して誓いました。幸い二人とも
健やかに成長して今にいたっているわけですが、日々の忙しさにかまけて、また子ども達の自我が出てくるにつれ、私は出
産のときの気持ちからすっかり遠ざかっていたのです。今日先生のお話をお聴きしなかったら、そのことに気づきもせずに
子どもたちに接していたかもしれません。今日をまた新たな出発点として、母親としての自分に常に見つめながら、子供に
むかいあっていこうと思います。

 この母親のように、ほとんどの母親は子どもの誕生に感動し、新生児に対しては無償の愛で接していると思います。女性
が新生児に対して無償の愛を持てるということは、子育てにとってそれが最高に大切なものであることを知る天の配剤のよ
うに思われます。これは男性には与えられていない女性のすばらしい特権ではないでしょうか。
 さて、せっかく抱けた無償の愛、その尊い愛が次第に薄らぎに消えていってしまうのは何が原因なのでしょう。1つは子
どもの成長だと思います。次第に大きくなり、行動と言語使用が活発になるに従い、母親の気持ちと態度が自然に変化して
いくのが見られます。しかし、これは戦前も同じわけである。とすると、今の母親が昔の母親と違ってきたのは、敗戦によ
る社会の大変化の影響としか考えられません。戦前の在り方を全否定した民法・思想・教育等と、それから生じた社会風潮
が、母親たちの気持ちを大きく変化させてきていると思います。もちろん、戦後の改革で良かったものも少なくありません。
しかし、本質を見失った変化については、厳しく問いたださなければいけないと思います。例えば、人工栄養が持てはやさ
れた頃、「どうして母乳で育てないのですが。」という問いに対して、「乳房の形が崩れるから」と平然と回答する母親達が
かなり多く見られました。形を崩さず、いつまでも飾り物にしておこうということは、女性にとって進歩でないばかりか、
子供にとっては「心」を育てる一番大切なものを失うことになるのです。

 母親は何を夢見て育てているのか

 講演感想          東京こども教育センター教室の母親

…母は私に、「家の手伝いをする位なら、漢字の1つでも覚えてちょうだい。」と言い、いい(有名)小学校・中学校に通っている私を、自慢して歩いていました。が、中流校・中流大に進学すると、「ご飯ひとつ炊けなくて、あなたは今迄何していた。」でした。私は子どもだけには、そういう振る舞いはしまいと思って育てているつもりでしたが、自分も母も同じなんだと反省しています。…国立と有名私立の小学校に合格するためには、幼児期から受験勉強だけに子どもを埋没させていく傾向が強く見られます。
 なぜ、こんなにも「勉強中心」になってしまったのでしょうか。1つは、高校進学が偏差値だけで決定されることにあると思われます。また、公立学校の荒廃もかなり影響しているようです。都会の二流、三流といわれていた私立校への志望者が激増したのは、公立学校への不安からのように考えられます。これらの理由の根底には、敗戦によってなされた過去の人間観の全否定が流れています。戦後50余年、否定し放しで、新しい人間観は創造されていません。ですから、政府が「道徳教育」を口にすると、マスコミも国民も、過去の人間観の悪い部分をのみ取り上げ、反対し続けてきたのです。理想像の描けない親たちが、目の前に突き付けられる点数・偏差値に吸い寄せられていくのは仕方のないことではないでしょうか。元々、親は子供を愛するあまり、よその子より良く育つことを願い、勢い比較し競争に走る要素を持っています。昔から同じころに生まれた子供と比べ、歯が早くはえた、歩くことが早いと喜んだものです。

  講演感想文     みのり幼稚園 母親

…私はいつでも「良い親になりたい」と思っているのですが、そう思えば思うほど、実は「悪い親」になって、子どもの欠点探しばかりしてしまいます。その結果、「○○ちゃんはできるのに、どうしてあなたはできないの。」「前にもやったのにどうして分からないの。」等口にし、叩いてしまったり罵倒してしまいます。…
 昔も今も母親達には、こういう面があるように思います。しかし、歯や歩き方の競争は、やがて自然成長の中で同じものになり、将来にまで大きく影響するということはありませんでした。ところが、現在の競争目標である「いい成績」「いい学校」は「いい就職」に通じ、一生幸・不幸を決定すると、母親たちは固く信じ込んでいるのです。
 ですから、子どもたちに幸せのためにと、この競争に飛び込んでいくのです。そして、知らず知らずのうちに、「無償の愛」から遠ざかっていってしまうのです。子どもが稚いうちから、母子して受験競争や点数の世界に埋没していった時、子どもたちの心は、いったいどのように形成されていくのでしょうか。
 オウムの若きエリート達、厚生事務次官を筆頭とするエリート公務員、第一勧銀、野村証券の大幹部達、宮崎勤や淳君殺害の中学生等、この競争の勝者も敗者も、ごくあたり前の人間として心を、失ってしまっているのはないでしょうか。いいえ、これ等の人々だけでなはなく、多くの日本人の心が歪み傷ついているように思われます。

  心を育てたい

  心を育てたい
 今から20年ほど、有名中学校を志望している6年生を引率して、中央アルプスの駒ヶ岳に登った時のことです。頂上の宝剣岳は大変嶮しいので、鎖に掴まって昇り降りするようになっていました。それを降りてから鎖を手から放した子どもが叫ぶように言ったのは、「先生、真剣って初めてわかった」でした。真剣という漢字の読み書きはもとより、「勉強、真剣にやっています。」と日頃から使用していた子どもでした。
 愛・真剣・信・忍耐等精神的価値は、実行しなければ、大人でも自分にどの位具わっているのか分からないものです。まして、幼児は目に見え、さわれる物資的・具体的な事物や行為の1つ1つの名称・色彩・用途等をあらわす言語を、次々と習得しなければならない時期です。ですから、目に見えない精神活動を理解させたり育てたりする場合には、言葉だけでなく、事物や行動を通すことがどうしても必要だと思います。

「家の手伝いをする位なら、漢字の1つでも覚えてちょうだい」は、「逆立ち育児」ということになります。大体、幼児期は大好きな母親のやっていることを、やってみたくて仕方のない時なのです。模倣の天才とも呼ばれる位ですから、なんとかできそうなことから、家事全般にわたって挑戦させていくことが、心を育て、母子の絆を太くしていくうえで大切なのです。最初は幼児は決して上手にできないでしょう。当たり前のことです。母親はやりなおさなければならなかったり、後始末に一層手がかかるので「向こうへ行って」と言いたくなるでしょうが、この時こそ、寛容の態度をとるべきです。やる気を認め、やったことを誉めていくことが大切です。

 そして、お手伝いが内包している意味、「できるようになったいくことが人間の成長であること、人の役に立ち喜ばれる人になれること、繰り返しやれると、上手に早くできるようになること等」と関係、「動物や植物の生命をいただいてることとそれへの感謝、作ったりとったりする人々のいること、やがて、どのように報いていかなくてはならないか等」分かる言葉で、折々に語りかけていくことが、幼児の心を育てる基本だと思います。

 ほとんどお手伝いさせず、好きな物を欲しがるときに与え続けるようでは、良い心を絶対に育たないと思います。
 ともに、何か仕事をしながら、母親が熱い気持ちを込めて語りかけていけば、何かの折りに、子どもはさまざまな「つぶやき」を必ず発してきます。それは、その時の心をのあらわれです。とことが、放っておくと、その心のつぶやきは泡のように儚く消えていってしまいます。「つぶやき」は心のあらわれですから、大切に記録して、残す価値が十分にあるものです。記録したものを時折読んでやるようにすれば、子どもの心はしっかり育っていくようです。また、多くの子どもたちに自分たちも書きたいという意欲がわきあがり、やがて日記を書きつづるようになっています。体験は言語化することによって、その子の文化になっていくのです。ですから、幼児の日記には、事象や行為や言語に触れて、心が形成されていく過程が、見事に見られます。アルバムが肉体の表面の成長史ならば、日記は精神の形成史と言えます。

が、見事に見られます。アルバムが肉体の表面の成長史ならば、日記は精神の形成史と言えます。
 また幼児期は、母親の無償の愛に包まれていたり、その余熱のぬくもりが鮮やかに残っている時なので、その素晴らしさを実に素直に表現します。子どもがこの世で最高の愛を感じているのですから、しっかりと自分のものにしていくためにも、強く焼き付けていくようにしなければならないと思います。私が、日記書きを幼児教育の大黒柱としたのはこのためで、決して小学校の国語学習の先取りをしようとしたのではないのです。また、幼児の日記なのです。無償の愛と、それから生まれて喜んで「尽くす」行為があってこそ、家庭であり、親子であると思います。それが失われたならば、家族でなくて、ただの同居人となり、心を育てることは非常に難しいと思います。

 これ迄述べてきたことから、最も遠く離れたものは、テレビ・ビデオ・テレビゲーム等です。例をたまごっちにとってみれば、それを育てること、育てるのにひつようなものと、現実に赤ちゃんを育てること、育てるのに必要なものは全然違います。
 なのに、現実を体験していない子どもや若者は、同質のように思い込んでいきます。さらに現実生活から浮き上がっていく子ども達は、ゲームが事実・真実であって、現実はゲームの材料と錯覚していくようになります。親が教師が、これから益々氾濫するようになるそれ等の文明に、どれだけ毅然と対決できるかということが、心を育てる上できわめて重要になると思います。

<引用文献>
①『赤ん坊から見た世界』無藤隆著 講談社現代新書
②『脳の革命』永田勝太郎 PHP文庫


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