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TOSSランドNo: 1143019 更新:2012年12月09日

太平洋戦争を止めることができたとすれば、それはどこか


 子どもたち一人一人に十分な資料を持たせることが前提である。
 実践では、図書室にある児童用の歴史資料から、私が関係する部分だけをコピーして渡すということを行っている。8時間程度かけて行った実践である。

説明1:

8月6日に広島に原爆が投下されました。その3日後の8月9日、長崎に原爆が 下されました。広島では20万人、長崎では12万人もの人が亡くなったとされています。そして、8月15日、日本は連合国のポツダム宣言を受諾して、戦争を終えました。

アメリカ大統領のトルーマンは、原爆投下の理由を次のように説明しています。

説明 原爆投下を許可したトルーマンは、次のように説明しています。
「戦争の終結が1年早まれば、30万人、あるいは50万人のアメリカの優秀な若者 命を救うことができる。それだけでなく、数え切れないほど多くのソビエト人、中国人 日本人の命も救うのだ。これが私の同意した決定的な理由だ。」
   (『原爆投下決断の内幕 下』 ガーアルペロビッツ ほるぷ出版P151)

発問1:

トルーマンの主張は、嘘だという人がいます。どこから、そう考えたと思いますか。

・2発も原爆を投下した。

説明2:

実はアメリカ内部からも反対の声があがっていました。
「私の意見では、広島と長崎に対してこの残忍な兵器を使用しようしたことは対日 戦争で何の重要な助けにもならなかった。日本はすでに打ちのめされており、降伏寸前だった。あれを最初に使うことによって、われわれは暗黒時代の野蛮人並みの倫基準を選んだことなると感じた。あのように戦争を遂行するようには教えられなかっし、女、子供を殺すようでは戦争に勝利したとは言えない。ウィリアム・D・レイヒ海軍大将

発問2:

戦争にルールにもルールがあります。どんなルールがあると思いますか。

 ・大量殺戮平気の使用禁止
 ・市民への攻撃は禁止
 ・けが人、病人、捕虜は安全を保障する。

発問3:

アメリカは、なぜ、ルールを破ったのですか。

発問4:

いったん戦争になると、ルールなど無視してしまう。そこが戦争の本当に恐ろし いところです。太平洋戦争をやめることができたとすれば、それは、どこからだと思いますか。以下の年表を参考にして次のようにして書きなさい。
 「私は○○だと思う。○○の時に○まるしておけば、太平洋戦争は防げたと思う。」 
  1894年 日清戦争
  1904年 日露戦争
  1931年 満州事変
  1932年 5.15事件が起こる
  1933年 国際連盟からの脱退
  1936年 2.26事件が起こる
  1937年 日中戦争
  1939年 第一次世界大戦が起こる
  1940年 日本、ドイツ、イタリアの三国同盟ができる
  1941年 太平洋戦争が始まる
  1945年 広島、長崎に原爆が投下される 終戦

◇自分の立てた仮説を元に調べ学習を行う。最低でも3時間程度は必要である。

考えを発表させる。

説明3:

太平洋戦争を止めると言うことに対して2つ有力な考えが存在します。1つは日 戦争の後です。アメリカが日本が占領した満州鉄道を一緒に経営しようと言ってきました。伊藤博文たちは、これに賛成でした。完全に負けを認めたわけではないロシアがいる以上アメリカも招き入れて満州鉄道を経営した方が安全だと考えたのです

発問5:

これに強く反対した人物がいます。みなさんもよく知っている人物です。誰ですか。

 ・小村寿太郎

発問6:

小村寿太郎はどうして強く反対したのですか。

 ・日露戦争では、日本は多大な犠牲を払ったから。

説明4:

小村寿太郎の考えが通り、結局アメリカの提案は拒否されました。これによってアメリカとの仲が悪くなっていったという考え方です。

説明5:

もう1つあります。それは、統帥権干犯問題といわれる問題です。明治憲法では 軍は直接、天皇が指揮するとなっていました。この部分が1930年に行われた議会で問題となり、政府には、軍を指揮する権限はないということになってしまいました。
 では、天皇はどうかというと、天皇自身は、政治にはほとんどかかわっていません結局軍の勝手な行動が許されることになってしまったのです。現在の日本では、自衛隊は総理大臣が指揮するとなっていて、軍が勝手な行動をと れないようになっています。

第二章 指揮監督(内閣総理大臣の指揮監督権)
第七条  内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。

指示1:

これまでの話し合いをもとに自分の考えを書きなさい。

 子どもたちの最初の考え
 私は日清戦争だと思います。理由は日露戦争で17000人の死者を出したから。
日清戦争のせいで日露戦争が起こったので日清戦争をふせげばよかったと思います。
そして、いろいろ戦争が起こってしまい、太平洋戦争が起きてしまったのだと思い
ます。

 私は第一次世界大戦だと思います。この時には新兵器がたくさん出てきていて、
その新兵器で戦争をひさんにしたと思うからです。その新兵器を使うと、死亡者も
増えてしまうと思うからです。この時に戦争を止めると言えばよかったと思います。
それに第一次世界大戦のあとに、世界が不景気になってしまい、日本がいろいろア
メリカに輸出してしまったので、日本も不景気になってしまったんだと思います。

 ぼくは第一次世界大戦だと思います。第一次世界大戦をしなければ太平洋戦争は
さけることができたと思います。
 それは、第一次世界大戦は、アメリカやドイツ、トルコなどの初めての世界戦争
で、新兵器、飛行機、戦車、毒ガス、潜水艦などの新兵器が登場して悲惨な戦争と
書いてあるからです。それにヨーロッパ各国は、植民地や勢力範囲を巡って対立し
ていたからです。
 それに日本が参加せず、話し合いをしていれば第一次世界大戦から満州事変、日
中戦争、第二次世界大戦、そして、とても大きな戦争、太平洋戦争をさけることが
できたと思います。

 討論後の感想

 満州事変の時に関東軍が命令を無視して、戦争をしたのがいけないと思った。無
視して戦争をしてなかったら太平洋戦争は起こらなかったんじゃないかと思う。

 私は最初は、第一次世界大戦だったけど、いろいろなお話を聞いて意見が変わり、
満州事変になりました。やっぱり私は政府の命令を聞かなかった事が、太平洋戦争
になってしまった事が一番かなと思います。このような戦争というひさんな事はし
てほしくないです。

 私は、最初日清戦争だと思ったけど、満州事変にかわりました。理由は、命令を
無視して戦争をつづけたから。政府も陸軍参謀本部も暴走する関東軍をとめること
ができなかったから。ここでとめていたら、太平洋戦争もさけられたと思います。
 私は太平洋戦争になった原因は第二次世界大戦だと思います。日本と同盟を結ん
だイギリスがドイツと敵なのに、日本からドイツに味方して戦争をしたからです。

以下、本授業を行うにあたって行った教材研究の一部である。

太平洋戦争を止めるとすることが出来たとすれば
 第2回向山型社会セミナー(2003年12月14日東京)の向山先生の講演で、向先生は次のように述べている。

 「戦争を止められたのは誰なのか」「なぜ戦争を止められなかったのか」そして「それはどこから発生したのか」を学習の中心に扱うべきです。この授業で一番重大な問題は統帥権干犯です。統帥権干犯問題を戦争の学習の軸足に据え,そこに焦点を合わせて学習を進めて下さい。

 「戦争を止められたのは、誰か」「なぜ、戦争を止められなかったのか」「それは、どこから発生したのか」このような問いが私の頭の中に、生まれてきたのは、向山先生のこのお話を聞いてかである。

統帥権干犯問題
 統帥権干犯問題とは何か。
 1930年の補助艦の制限を決めたロンドン海軍軍縮条約調印をめぐる政争のことである。このロンドン海軍軍縮条約には、財部海軍大臣が出席し、補助艦総トン数は対英米69.75%で妥結調印するということに決めた。
 ところが、海軍軍は対英米70%でなければ反対の立場であった。4月21日、ロンドン会議の正式調印の前日には、海軍の使者が海軍省に乗り込んで「今回のことには同意できない」と主張する事態となった。
 この時、国会では第58回衆議院特別国会がはじまっていて、その議場で野党政友会の犬養毅、鳩山一郎が「軍令部の反対意見を無視した条約調印は統帥権の干犯である」と発言し政府を攻撃した。
 それまで軍の予算を決めるのは、ずっと内閣(海軍省)が決め、それを軍が承認して決まっていた。誰もそれに異を唱える者はなかった。
 ところが、突然、軍備の決定は軍の管轄であり、内閣がそれを決めるのは統帥権干犯であると言い出した。幸いなことに、ロンドン軍縮条約は、濱口雄幸首相の英断で調印した。日本政府としては事なきを得た。
 しかし、海軍内部では条約批准推進の条約派と条約反対の艦隊派に分かれて大混乱となり、ロンドン海軍軍縮条約を認めた「条約派」は首切りにあって予備役に追いやられた。海軍の主流は強硬派である艦隊派となり、これにより日本は対米強硬路線を突き進むことになってしまう。また、濱口雄幸首相も、1930年に狙撃されて重傷を負い翌年8月に死亡する。内閣も総辞職する。
 この統帥権干犯問題によって、編成権も統帥権に含まれるとする解釈が大勢を占め、その後軍の暴走を誰もとめることができなくなってしまう。

明治憲法の持つ欠陥
 明治憲法では、陸海軍を指揮するのは天皇となっている。
 しかし、これは実際に天皇が指揮にあたるということではない。通常は、内閣が天皇に案を上奏し、天皇がそれを承認するという形で行われてきた。
 天皇中心の憲法として私たちは明治憲法を学習してきた。しかし、伊藤之雄氏らの研究によって明治憲法が、天皇による統治に様々な制約をかけていることが分かってきている。
 例えば、第4条では、天皇の統治は、憲法の上記によるとしている。また、第5条には、天皇は議会の協賛(承認)を受けて立法を行うとある。さらには、法律は議会の承認を経なければならない。

 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
 第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行
 第37条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス

 こうした制約をかけることによって、現人神である天皇が、具体的な事項にまで関与することなど、ほとんどないという状態になっていたのである。
 従って、軍部の指揮権は天皇にありとされ、内閣が口を出せないというようになれば、実際には、どこも指揮ができないということになる。軍部の独走を止めるシステムが存在しないということになる。明治憲法の持つ重大な欠陥である。
 統帥権干犯問題は、この欠陥がもたらしたものと考えることもできる。
 ちなみに日本国憲法はどうなっているのか。日本国憲法では軍は存在しないことになっているが自衛隊は存在する。では、自衛隊の指揮権はどうなっているのか。日本国憲法では自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が最高指揮監督権を持つと規定されている。つまり、文民が統制するということになっている。軍部の人間が、口を挟む余地はない。

現役武官制
 現役武官制とは、陸・海軍大臣は現役の軍人(武官)でなければならないという制度のことである。この制度も、太平洋戦争前に、軍部の暴走を止めることができなくなった重大な要因の1つである。
 現役武官制は1871年にはじまる。この規定がつくられた当時は、特に重い意味があったとは考えられない。1890年に陸海軍省の官制が改正され、「職員は武官に限る」と言う規定が削除緩和され、海軍は、1890年に武官制を撤廃している。一方、陸軍も海軍の真似をして、1891年武官制を撤廃した。
 その後、1900年の山縣有朋内閣において、軍事費削減攻勢を恐れた山縣の思惑で、軍部大臣は現役武官に限るとする陸海軍省官制勅令が公布された。
 この制度が設けられた理由は、現役でなければ現在の軍部の動向に通じておらず、職務が全うできないというのが表面上の理由であった。しかし、実際はこういう規定をつくれば、軍部が「大臣を出さない」と言ったら最後、内閣はつくれないようになる。
 1913年山本権兵衛内閣は、山本首相と木越安綱陸軍大臣の英断で、軍部の強い総反発を押し切って「現役」の2文字が外された。
 ところが、1936年広田弘毅内閣は、寺内寿一陸軍大臣の提案で、23年ぶりに「現役」の2文字が復活させてしまう。これによって内閣による文民統制は完全にとどめを刺されてしまった。つまり、軍部大臣がノーといえば内閣は成立しないことになってしまった。実際その後、宇垣一成の組閣流産や米内光政内閣の瓦解など、軍部による組閣介入が本格化し、日本の軍国主義の深刻化に拍車をかけることになる。

犬養毅と鳩山一郎の責任
 1931年に起きた満州事変は、15年戦争の起点とされている。
 満州事変の開始により、日本は日中戦争の泥沼に入り込み、それが、結果として太平洋戦争を招いたという考えが一般的である。
 この満州事変に対して政府は、当初不拡大の方針であった。ところが、結果として軍部にひきずられる形で、戦争は継続されていった。このような軍部の独走を許す母体となったのは、1930年の統帥権干犯問題であると言ってよいだろう。
 犬養毅、鳩山一郎が、政争の道具として統帥権干犯問題をとりあげなかったら、満州事変も起こっていなかったかも知れない。その後、1936年の広田内閣によって現役武官制が復活し、軍の暴走を止めることを誰もできなくなってしまったのである。
 太平洋戦争をもし、止めることが出来たとすれば犬養毅と鳩山一郎であろう。
 政治家が権力闘争を行うことは仕方がない。
 しかし、真の政治家であるなら統帥権干犯問題が、軍と内閣との関係をどう変質させていくかについてまで、予測をしておべきであった。
 歴史に「イフ」はないと言われるが、かれらが統帥権干犯問題を政争の道具として使わなければ軍部を政府がきちんとコントロールできていた可能性が高い。

小村寿太郎とハリマン
 日露戦争で日本が勝利した後、アメリカの鉄道王・ハリマンは、日本に満州の鉄道の共同経営を持ちかけてきた。提案は、日露戦争の結果獲得した満州における日本の権益の分け前を得ようとするものであった。
 伊藤博文はハリマンの提案に賛成した。日露戦争で国費を使い果たし、その上、ロシア軍の脅威が残っている状態では、満州の鉄道経営をアメリカと一緒にやったほうが得策だと考えたのである。
 しかし、外相の小村寿太郎が、この契約に猛烈に反対した。日露戦争の犠牲によって獲得した満州の権益をアメリカと共有するなど許されないというわけである。その結果、日本政府は約束を取り消すことになった。
 中国への進出を考えてきたアメリカにとって日本は次第に邪魔な存在となっていった。そこへ、満州鉄道の契約の破棄である。日本に対するアメリカの警戒心は次第に高まっていく。
 渡部昇一氏などは、もし、ハリマン提案を受け入れていれば、もしかすると日本は大東亜戦争に突入せずにすんだかもしれないと考えている。
 小村寿太郎が、反対をしなければ太平洋戦争はなかったと考えることもできる。


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