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TOSSランドNo: 8151530 更新:2013年09月02日

【松藤司氏修正追試】日本人の気概・伊能忠敬


【松藤司氏修正追試】日本人の気概・伊能忠敬

インターネット上にある伊能忠敬の情報を使って、伊能忠敬の業績を知る1時間の授業を行った。

なお、本校はコンピュータは設置されているが、インターネットに接続できていない。したがって、私は個人的にインターネットに接続し、ダウンロードしたものを、教室のテレビに接続して子どもたちに見せた。

伊能忠敬の画像を出す。

発問1:

この人は誰ですか。教科書や資料集で調べなさい

指示1:

何をした人ですか。ノートした人と書いて持ってきなさい。

次のことが出た。

・ 全国を測量した人。(これが一番多かった)

・ 全国を歩いて測量した人。

・ 17年かけて全国を測量した人。

      日本全国を国のために測量した人。

    全国を測量して歩き、「大日本沿海輿地全図」を作った人。

指示2:

伊能忠敬の作った地図を見てみましょう。

古河歴史博物館のホームページにある地図を見せる。

関東地方であることはすぐわかった。

発問2:

伊能忠敬はどんな道具を使って、こんな地図を作ったのでしょうか。まずは道具を見てみましょう。

伊能忠敬の肖像画からこの地図、次の測量器具はマイクロソフト・パワーポイントに画像を貼り付けして次々の見せていった。

 子どもたちは資料集(文溪堂2000年版)に載っている道具と見比べていた。

幕府に上呈された伊能図はそのすべてが罹災していまっているため、上図はが書写した地図である。したがって、この道具は鷹見泉石が使った道具であるが、忠敬も使用したと考えられる。 

指示3:

ここまでの感想を書きなさい。

 次のような感想が出た。

・ 日本中を歩いたのがすごいと思った。

・ あの細かい地図を何年もかけて書くのに、あきなかったのはすごい。

・ 1人で地図を作るなんてすごい。

・ 地図の絵がうまい。

・ よくあんなに細かくかいたなぁ。

・ 1人でここまで書くとはこの人はすごい。

・ 立派な人だ。

・ 体力があったんだ。

指示4:

伊能忠敬が作った地図をもうすこし見てみましょう。

国立国会図書館のホームページより、次の地図を見せる。

大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」伊能忠敬測量・製作 〔明治6(1873)頃〕写 地図43枚 

発問3:

伊能忠敬が作った地図は今とどれぐらいちがっていると思いますか。

 次の5つの選択肢を与えた。

  ア まったくいっしょ  2人

イ ちがっている地域もあるが、ほとんどいっしょ。 4人

ウ 3分の1くらいちがっていた  13人

エ 2分の1くらいちがっていた  6人

オ ほとんどちがっていた     1人

http://www.sawara.com/tadataka/yugami/yugami.htm

より、
現在の地図と交互に見せて考えさせた。

何回か交互に見せていると、しだいに子どもたは集中してきた。

  そして、最後にこの2つを重ね合わせた。

 本当にずれは少ない。

 北海道と東北地方、九州地方にだけずれがあるだけであった。

 伊能忠敬が作った日本地図は、緯度の狂いはほとんどなく、経度に少し狂いがあるだけであった。江戸時代に世界でもまれな正確な地図を作る人物が日本にいたなんて、日本人はなんてすばらしい能力を持った人間だったのだろう。

これは私が思った感想である。

この地図を見て、今の地図とのずれを見比べてほしい。ほとんどない。子どもたちもこの精密な地図に感動したようだ。

指示5:

ここまでの感想を書きなさい。

感想を発表させた。

・ 今の地図とあまり変わらないのはすごい。

・ 歩いただけなのに、ほとんど同じ地図なのですごい。

・ 私の場合、伊能忠敬のように、全国を歩くのはたぶん無理だと思う。

・ 歩くだけでこんなに正確な地図を作ったからすごいと思う。

発問4:

1 日本地図を作るのに何年かかりましたか。
2 何歳から何歳までかかりましたか。
3 地図を作るのにかかった日数は?
4 地図を作るのに歩いた距離は?

問題1は指示1で答えが出ている。17年間である。
問題2は、20歳から37歳が多かった。正解は56歳から72歳である。
問題3は、3737日。
問題4は、35000km。およそ地球を1周したことになる。
前ページの答え合わせは、 「6年社会科資料集」に載っている資料で行った。

説明1:

 伊能忠敬の作った地図は、「大日本沿海輿地図 (だいにほんえんかいよちず)」と言われて、第13代将軍徳川家斉に献上されました。幕府は、その地図のできが、あまりに素晴らしかったので、国家機密としました。
 地図が外国に行きわたって、侵略されるのを防ぐためです。それぐらいの威力がありました。

説明2:

怖れていた事態が起きました。
1828年シーボルト事件で、医師のシーボルトが、伊能忠敬の地図を国外に持ち出そうとして、見つかり、永久国外追放になりました。結婚していた奥さんや子供と生涯離れて暮さなければならなくなりました。

発問5:

1853年、誰がやってきましたか?

サイトに提示されたペリーの肖像画を見て、子供たちは「ペリー来航」と答える。

説明3:

 この時、アメリカ合衆国は、日本をアメリカの植民地にできるかどうか極秘に調査していたそうです。
 しかし、伊能忠敬の「大日本沿海輿地図」を見て、とても簡単に侵略できないとペリーは報告して、断念しました。

説明4:

 1861年開国後、ひどい事件が起きています。
 イギリス海軍アクテオン号が、幕府の制止を無視して、勝手に測量を始めました。これは、日本にとって、もの凄く屈辱的なことです。
 この時、たまたま幕府役人が所有していた「大日本沿海輿地図」の写しを見て、その優秀さに大いに驚き、測量計画を中止して幕府からその写しを入手することで引き下がりました。

1877年・明治10年。
明治時代に入り、近代の地図を作る際には、「基本資料」として「大日本沿海輿地図」は活用されました。

指示6:

後の時代にも、多大な影響を与えた伊能忠敬の業績を見て、今日の授業の感想を書きなさい。


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