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TOSSランドNo: 6574121 更新:2013年08月24日

青年海外協力隊(サモア・柔道)写真集・報告書


昭和64年1月に受験し,平成元年3月合格,同年8月に講道館で3週間の柔道トレーニング,9月より3ヶ月間ほぼ缶詰状態のトレーニング。そこで,国際協力,予防接種,語学訓練をし,同年12月サモアに向けて成田を出発。それから,2年3ヶ月の柔道隊員としての記録です。その時の隊員報告書を載せました。そこから,協力隊の実際の活動の一部をご覧ください。

ゼロ号報告書(派遣前)平成元年11月16日作成

1.任国事情

(1)国名  サモア

(2)位置  南緯13~14° 西経171~173°の南太平洋上 ニュージーランドの北 ハワイの南

(3)面積  2,934平方キロメートル  兵庫県の約3分の1 ウポル島とサバイ島の2つの大きな島が中心

(4)人口  160,000人  人口密度56人/k㎡ 首都アピアの人口35,000人

(5)自然  火山島 周囲はリーフに囲まれている。 最高峰 ウポル島(1116m)サバイ島(1858m) 土壌は黒土で肥沃,気候は熱帯雨林気候(5~10月乾期,11月~4月雨期) 台風,ハリケーン,地震はほとんどない。年間平均降水量2,880mm

(6)歴史  紀元前2000年~1500年頃にメラネシアからの最初の移住が始まった。 1772年にオランダ人がヨーロッパ人としてはじめて島を発見。1830年イギリス人の来訪によりヨーロッパ文化が入り込む。1899~1914年 ドイツ領,1914年ニュージーランド委任統治領,1947年同国の信託統治領1962年独立国となる。東側にアメリカ領のアメリカンサモアがある。

(7)文化   言語:サモア語と英語が公用語     宗教:キリスト教が国教    ポリネシアン文化が継承されている。社会の基盤はマタイ(酋長)制度

(8)政治経済  政治:立憲君主制  首長は国家元首マリエトワ・タヌマフィリ2世                          
 国会:1院制で47議席  内閣:総理大臣以下9名 通貨:タラ(Tala)1タラ=約65円  国民1人あたりのGNP 780USドル

(9)産業  コプラ,ヤシ油,ココア,バナナ,タロイモ,木材  輸出相手国:アメリカ,ニュージーランド,オーストラリア  輸入相手国:ニュージーランド,オーストラリア,日本

(10)対日関係  1972年国交が始まる。 ニュージーランド大使館が兼任
日本よりの政府無償援助 1987年までの11年間に約60億円 他に青年海外協力隊,研修員,機材供与2.5億円 

(11)風土病  デング熱,フィラリア(2年間ぐらいの滞在では症状はでない),マラリアはない

2.任地・配属先について

(1)任国における協力隊活動  青年海外協力隊の派遣人数が多い。現在も約40名活動している。

(2)配属先の機構および事業内容  配属先:青年・文化・スポーツ省 スポーツセクションに配属予定 この省の職員は,全体で12名。内外国人は2名

(3)業務内容  スポーツアドミニストレイター(コーチ)として,柔道全般の指導を行う予定。
 業務形態:警察署の練習場での警察官の指導,地方での柔道の普及,啓発活動。 アピアパークでのクラブの設立および指導,ナショナルチームの結成と指導 しかし,現在柔道は全く行われていない。よって畳も柔道着もあるわけがなく全く無の状態からのスタートとなるであろう。当面の目標は,サウスパシフィック大会の参加である。サモア人は体格が柔道に適しているということで活躍が期待されている。

3.協力隊参加の動機・隊員としての心構え

(1)動機  この協力隊に参加した動機は,国のためとか世界で働きたいというようなことではなく,自分のためというのが本当の動機である。しかし,自分を試すこと,こういう機会をとらえようとすること,そして自分を少しでも鍛えてみたいと思うことが協力につながると考えている。

(2)協力隊としての活動のあり方   活動は,自分が今できること,できそうなことはやってこようと思っている。そして何よりも大切と思うのは,その地で生活することであり,その土地を人を理解することだと思う。

(3)赴任を前にしての抱負と不安な点  抱負は,柔道をやる人を1人でも増やしていきたいということである。ここ10年間位柔道は全くやられていないみたいなので,まず初めから行えるということに不安と同時に楽しみを抱いている。その他の抱負といえば,サモアの生活を知りたいということである。不安はと言えば,すべてが不安であるが,やはり何もないところからの一歩が一番不安である.体が巨大なのも不安である。本当に指導できるのかなと思ったりもする。しかし,何でも現地へ行き,見て話してから考えていきたい。 

(4)具体的活動   まずは対象者の確認。そして畳またはそれに代わるものの調達。そして柔道着。ここまでくるのに何ヶ月かかるだろう。そして,まずは警察官を指導することになると思うので基本動作と同時に護身術を指導していきたい。その後は,定期的な練習と練習生の確保。そしてその人々を低年齢層にも拡大していきたい。できたら中学・高校で指導し,底辺からの指導に手がけてみたい。             

1.業務内容

(A)配属先
a)MINISTRY OF YOUTH SPORTS AND CULTURAL AFFAIRS(青年・文化・スポーツ省)のSPORTS SECTION

b)配属先の組織と規模
 省といっても全スタッフが17人(内日本人3名)の小規模である。私が所属するスポーツセクションは,上司と私の2名しかいません。各セクションともセミナー,大会,催しがある時は全スタッフが協力して行うようである。

c)日本人を含めた外国人スタッフの有無及び役割
 日本人スタッフはオーディオセクションに日本人専門家1名,青年海外協力隊員1名,そしてスポーツセクションの私,計3名である。
その他外国人スタッフはいません。オーディオ分野では,サモア文化・スポーツの記録とカウンターパートへの撮影,編集等の指導のようである。
私は,sports administrator(コーチ) として柔道全般の指導を行うことになっている。

(B)協力活動
a)今後2年間の決意と心構え
 私は青年海外協力隊に参加できた事をたいへん幸運に思っている。私は現職参加なので日本の現場に多大な迷惑をかけてきました。ここに居るのもその人たちのおかげと思いたいへん感謝している。
 さて,今後2年間,隊員として考えていることは,まず,楽しくそして充実した日々にしたいということである。何でも手に入る日本,何でも決まっていた現場と違い,何もない所,手に入れることができない所からのスタートが多いと思う。ここでできることを考え,不平不満の日々にならぬように楽しく充実して生活していくのが第一のねがいである。
 また,西サモアしかできないこと,見れない物,感じられないことは,スポーツ,レジャー,景色そして人の心であれ自分の心に留めて置きたい。まだ3ヶ月しか生活していないが,日本では失われつつあるもの,人の優しさ,自然ののどかさなどを感じさせられました。
 協力活動としての柔道については,新規という事もあり準備に現在も戸惑っている状態であるが,組織,基礎づくり,そいて宣伝に力を入れていきたいと思っている。

2.支援体制

(A)受入体制

a)隊員の配属先での位置付け
 MINISTRY OF YOUTH SPORTS AND CULTURAL AFFAIRS においてSPORTS SECTION の中のSPORTS ADMINISTRATOR として柔道の指導の全般を行うことになっている。

b)予算的裏付け(任国の予算措置状況・JOCVの支援資金)
 この国は,スポーツは盛んで各種大会,OLYMPIC GAMES ,COMMONWEALTH GAMES ,SOUTH PACIFIC GAMES,MINI GAMESへ参加している。
また,各種のスポーツセミナーが外国から特別コーチを招き行われている。予算は主に大会,そしてセミナーに当てられている。
 現在は柔道に対しての予算はなく,JOCVの支援資金に頼らなければ活動を始めるのは難しい状況である。

c)計画
 要請としては、一般市民、警察における柔道の普及・発展とナショナルチームの結成であったが、実情は柔道そのものを知る人は少なく、STUDENTを中心とした指導から活動を開始していく予定である。
 まず、アピアパークへ柔道クラブをつくり、中高生を中心に柔道人口の拡大を図る。また、セミナーを開き柔道を普及・拡大していく。将来的には小~大人までのクラブをつくり底辺の拡大を行い、日本人指導者がいなくなっても指導が継続可能にしたい。

d)隊員の住居手配状況(①相手国側が手配した場合 )
 西サモア マリファ地区のGOVERMENT HOUSEに住んでいる。現在は,借り住まいということで大きな家に4人で住んでいる。水道料金なし,電気料金一人当たり100ワットまで無料。
 古い家なので何カ所か雨漏りがし,柱・床も何カ所か腐りかけている。中は,天井が高く広々としている。

3.一般状況

任国事情
a)任国の印象  
 気候は,日中は暑くその上現在は雨期のためむしむししていて夜中でやっと涼しくなる程度である。地震もたまにある。
 食べ物は,米があるので苦労はない,サモア料理もおいしく口に合う。けれど,野菜類が少ない上に高いので困っている。肉類は日本と比べると安いが,卵が高い。輸入品は高い物がほとんどである。日常品(文具・洗剤・洗面用具・台所用品・シャンプーなど)は,ほとんどが輸入品なので高く感じる。
 2月の初旬に24年ぶりにハリケーンが来襲したが,その被害もかなりでた。復旧後も食料品が値上がりした。とくに,野菜類は一時姿を消し,あってもいつもの数倍の値段であった。そして,値上がりしたものは下がりはしない。
 生活習慣は,家には壁がない。オープンな社会で村々ごとに一つにまとまっている。家族は大家族制で数家族がいっしょに暮らしている。各家族は、プランテーションをもっているので食べ物には困っていないようである。しかし、現金収入を得るため多くの人が海外で働き家族へお金を送っている。
 サモア人は、明るく親しみやすい。どこか純朴なところをもっている。道を歩いていても子ども、老人と言わず挨拶を交わす。時には走っている車の中からも声をかけられることもある。サモア人はよく笑い、よく話し、よく歌い、よく踊る。本当に楽しそうである。
 サモア人のほとんど100%はキリスト教徒である。毎日曜日には教会へ通っている。熱心な信者の多い。各村では大酋長(マタイ)が実権を握っている。
 治安は全体的に良いが、空き巣がたまに出る。私の家も鍵を破られ空き巣に入られた。警察は伝統的にしっかりとしているようである。

b)現地訓練
 現地訓練は、サバイ島のアオポという山の中腹の村で行った。首都アピアを前日の午前中に出発し、サバイ島サレロロガ港で一泊し、バスそして徒歩とヒッチハイクで夕方雨の中アオポに到着した。海抜が500~800m位あるので昼間は暑いが夜は涼しく気温差がかなりあった。ここからは西サモア最高峰のシシリイ山(約1800m)を望み眼下には海が見える景色のいいのどかな村である。ちょうどクリスマス・正月にかけて3週間滞在したので他で働いていたり、学校へ行っていた家族が帰ってきてたいへんにぎやかであった。

ここは、サモア文化をそのまま残しているもっともサモアらしい所でサモアを理解するにはとても 良い所であった。
 また、派遣前にサルモネラ菌による食中毒で衰えた体力を取り戻すのにもサモア料理はボリュームたっぷりでやくだった。
 壁のない家、コンクリートにござ一枚の上での睡眠、蚊、ハエ、ノミ、アリには戸惑ったが後半は苦ににならなくなった。

 ここの家族はみんな親切で何かと気を遣ってもらい大切に扱われていた。夜は2時間しか電気がつかないが、その間歌ったり、踊ったり楽しい時を過ごさせてもらった。夕方に始まる村人のバレーボール、クリケットも少し参加させてもらったが上手でついてゆくのがやっとであった。友達も何人かできた。
 言葉はこのファミリーで英語ができる人がサモア語を教えてくれたが、なかなか覚えられない。できの悪い生徒であった。
 しかし、ここで、サモアの教育の仕方、衣食住、そして働いている姿、教会へ行く姿、葬式などを見ることができ、サモア人、そしてサモア文化を理解するのに十分役立った。

サイクロン「オファ」100年ぶりの台風で大木が倒れる。

Ofa

第②号(6ヶ月)  隊員報告書

1.業務内容

(A)着任時の配属先の状況(担当業務を主とする)
a)MINISTRY OF YOUTH SPORTS AND CULTURAL AFFAIRS(青年・文化・スポーツ省)は、Youth Section,Cultural Section, Audio SectinそしてSPORTS SECTIONに分かれている。
Audio Section を除く各セクションでは、各種セミナー、ワークショップ、ミーティング等を計画、実施し、芸術や社会問題などいろいろな分野へ参加する機会を与え、国民の視野の拡大、能力開発、スポーツの振興、伝統文化の維持継続を目的としている。
Audio Sectionがそれらの行事の撮影をして保存している。
Sports Section は、I.O.Cやユネスコの援助を受け、年間数回のスポーツセミナーを計画・実施している。また、各国際競技、例えばCommonwealth GameやSouth Pacific Gameの選手派遣についても関わっている。双方とも各各スポーツには協会が設立されているので省と協会の協力によって行われている。
各種スポーツセミナーは、指導者向け、競技者向けのものがあり、講師は海外から専門家を迎え行われている。期間は、1週間が普通である。私はスポーツセクションに属しているが、この計画に関わることはなく、実施にあたりFlexibility Exercise の担当として30分間ウォームアップを兼ねたストレッチ体操を行っている。
 私の要請目的である「柔道の普及・発展」については、私が計画・実施している。

(B)業務実施計画
 今までに何度も細かい計画の変更があった。ここには現在行っている計画・現状を示すことにする。
目的は、
一つは、西サモア国における柔道の普及・発展、
そして、もう一つは、1991年に開催されるサウスパシフィックゲーム柔道競技への参加である。
対象は、
まず、college students(14歳~20歳)で、このジュニアの育成・指導をサモア柔道の基礎にする予定である。
他に、警察官と一般である。
警察官は、最初は必要ないという事で計画に入れてなかったが、、また新たに体育の授業で柔道を指導してほしいと要望があり加えることにした。
頻度は、college classが週2~3回、警察官が週2回、そして一般の部が週1回である。
人数的にはcollege classは、最初30名程で多かったが徐々に減り、現在10~15名ほどになってしまった。
また、警察官も10名程度、一般は5,6人とまだまだ少人数である。
計画に合わせて募集・宣伝する予定である。
場所は、
college classが、アピアパーク(運動公園)内の体育館にレスリングマットを使用して行っている。一般の部も同様である。
警察官は、警察署の2階に畳にして30畳位の部屋にレスリングマットを敷き行っている。
一般の部を除き、最初は柔道着なしの指導であった。
時間は、1時間半~2時間程度である。
実際の指導計画は、15日ごとに分け、全部で4ステップ60日計画としている。30日分終了後新しい生徒の募集を計画している。
長期的見通しとしては、このセミナー形式の指導で柔道全般の理解を深め、その後試合用の練習計画を立てる予定である。
問題点としては、
場所(アピア体育館)の常時確保の難しさ、
人数が不安定の上、流動的なので系統的な指導が困難であること、
柔道着なしの指導で興味意欲を惹きつけるのが難しいことである。
ドイツ人柔道家との対決

10年前に柔道を習ったことのあるサモア人2名と練習会を始めた頃(赴任後半年ぐらい)のある日、
突然事務所へ電話があり、サモアへ医学の研修に来ている元オリンピック選手(自称ソウル大会ベスト8)が柔道の練習をしたいと連絡があった。
もちろんOKということで、いざ練習場へ。
会ってみると180cm、80kgほどのドイツ青年であった。たぶん減量して71kgの選手だろう。さっそく4人で練習開始。いよいよ私とそのドイツ人が乱取りすることになった。
2人とサモア人は、乱取りをやめ、私の上司と一緒に私たちに注目。私は、本家日本。彼はオリンピック入賞者。
周りの視線を感じながら、どきどきしながら乱取り開始。パワー柔道である。相手も真剣なのが伝わってくる。一進一退。袖つり込み腰がするりとかわされた。相手の帯をとっての技とどうにか防ぐ。横に誘って横巴投げ。これが決まって一本。続いて寝技。相手は、すぐに締めをねらってくる。首に自分の手をいれ防いでいるがものすごい力でその上から絞めてくる。だいぶ時間がたったが、はなす気配がないので、参ったをする。お互い「一本」ずつである。たったら、彼から「もうやめよう。」私もほっとした。お互いサモア人の前で面目が立ったというところであった。「よっかた。」が本音である。

2.支援体制

(A)要請内容(要請背景調査表と比較して)

a)任務の「変更」事項について
 変更事項としては、対象が一般・警察官の指導からcollege stuentを中心とした指導に変わった事である。
理由は、この国で柔道を継続発展させるためにはジュニアクラスの指導の方が効果的であることが予想されること。
また、サモア人の結婚は早く、若くして家庭をもっていることが多いので、ある程度の年齢になると、柔道を長く続ける人は少ないであろうと予想したからである。

b)相違点とその措置
 大きな相違点はないが、対象が生徒中心という事で学校の施設を利用し、生徒確保を確実にしようと考えた。各学校の施設の状況を考え、各学校の交流の場としてアピア体育館に数校を集める形をとることになった。しかし、これが交通手段等から人数確保の問題点となっている。

c)要請されている技術水準
 まったく初心者が対象なので初めのうちは高い技術水準は必要ないと思われる。それよりも語学力と指導経験の豊富さが大切である。1年後、2年後を考えるとサモア人の体格、筋力から判断して体格的にも恵まれた人の方が指導しやすいと思われる。

(B)機材(担当業務に関連して
a)所属先が備えているもの
 畳の代わりとしてレスリング用マットあがる。全てを使用すると畳100畳分以上になる。しかし、これは、レスリング協会の所有なのでレスリングシーズンには使用制限があると思われる。
 また、I.J.F(国際柔道連盟)へ畳の援助を要請中であるが、確かではない。

b)JOCV調達分
5月に柔道衣40着をJOCVより調達した。また、他に私の母校である茨城大学の柔道会が中古の柔道衣を援助してくれることになっている。

c)今後必要と思われるもの(機材要請書)及びその利用目的
早く柔道畳が必要である。初心者にはレスリングマットの方が安全であるが、ある程度の段階に来ると柔道本来の体さばき、足技等の習得に難がある。
また、柔道大会開催のための器具、用具(柔道審判用掲示板、旗、帯、計器等。さらに昇級審査に備えカラー帯を必要としている。

3.一般状況

(A)任国事情
a)自分の生活環境
○気候
4月頃から西サモアは乾季に入り、晴れの日がかなり多くなってきた。この頃は空気も乾燥してきている。
また、一日の気温の日較差が大きく日中は日差しが強いが、夜はジャージを着て、毛布をかぶらなければ眠れないほどである。そのため風邪を引く隊員もいる。

○住居
私は、Goverment House 21に今は、他2名n隊員とともに住んでいる。高床式の住居で中は広く蚊も少ない。ここは私の職場からは近く通勤には自転車で5分徒歩で15分である。

○食
この頃は、肉料理にも飽きたので、あっさりしたものをとるように心がけている。特にビタミン不足が心配なので野菜をとるようにしている。店も自転車で10分くらいの所になるので便利である。そこへいけば、生活に最低限必要なものは一応そろっている。

○電気
ハリケーン来襲後(2月初旬)2週間電気が切れ、またその後も車が家の門に突っ込み電柱を折ってしまったので2週間電気が切れていた。2・3月はよく電気が切れていたが、現在はほとんど止まることはない。しかし、乾季に入ると水力発電用の水が不足するので時間帯で止められることがあると聞いている。すでに一部の地域では実施されている。

○水道
他の地区では水が止まる所もあるが、この家は災害時以外は止まることはない。しかし、雨が降った後は泥水で使用できない。また、水道管が古いので蛇口がとれたりもれたりの故障はしばしばある。

○電話
幸運にもこの家には電話がついている。連絡等で便利である。多くの隊員の家には、電話はついていないことが多い。

○交通
この家は、クロスアイランドロードというメインロード沿いに建っているので、タクシーを拾うにも、バスを利用するのも便利である。
料金もアピア市街までタクシーで3分、1タラ50セネ(約100円)。バスで30セネ(約20円)である。
日常は自転車、徒歩で充分であり、利用することはほとんどない。

○病気
こちらへきてからは、私は大きな病気はしていないがよく下痢をする。また、他の隊員はデング熱を経験している人が多い。

○余暇
仕事後は、トレーニングジムへ行ってジャズダンスやウエイトトレーニングで汗を流すように心がけている。また、週休2日なので余裕のある生活をしている。休日は、たまにゴルフをしたり他国のボランティアとソフトボールをしたりと楽しく過ごしている。

○その他
家には冷蔵庫もついているし、トイレも水洗洋式である。テレビはない。
家の前は小学校、中学校、教員養成学校、南太平洋大学が密集して建っている。午後はこの学校のグラウンドでサモア人がよくラグビーの練習をしている。家の裏は川があり小さな滝になっている。サモア人はそこによく飛び込んだり、水浴びをしている。
近所の家はヨーロッピアン ファレと呼ばれる壁のある西洋式の家で、どれも立派である。サモア人の中では裕福な家族が住んでいるようである。近所つきあいはないが、通勤に会うサモア人とは毎日あいさつをかわしている。

高校生を集めてのデモンストレーション(巴投げ)

Tomoenage

第③号(12ヶ月)  隊員報告書

1.業務内容

(A)中間報告
a)業務進捗状況
 ここサモアで中心とする予定のジュニアクラスは、常時10~20名程度の人数で練習を続けている。(登録者は40名程)
練習日は、週2回、月・水 14:30~16:30である。さらに、金曜日に、上手な生徒を集め10月から形の指導を行っている。
今問題となっているのは、人の出入りが激しく、常時練習に参加しているのはほんの一部の生徒しかいないことである。また、小学校の児童も参加を希望したため年齢が当初の予定より低くなったことである。
改善されたことは、支援機材で柔道衣40着が5月下旬に届き、6月から貸し始め、柔道らしくなってきたことである。また、道場がJICA事務所の協力でJICA事務所1階の一室(畳40畳ほど)に移動し、常に使用でき、町の中心に近くなったことで人が集まりやすくなったことである。

問題となっている生徒数の件だが、10回参加したら柔道衣を貸与している。しかし、それまでにあきらめてしまう生徒が多い。
原因は、空手、カンフー、忍者のイメージを持って参加する生徒が多く、地味な練習に耐えられないことである。
10回を越え、柔道衣がもらえると張り切って参加する生徒が多い。しかし、中には学校の長期休業期間、試験を契機に道場を去る者もいる。
名簿上は、40名を越えているが、4月から続いている者は7,8人である。残りは、途中参加者となるので、練習を効果的に行うのは難しい。
また、生徒の低年齢化だが、将来的に柔道に興味を持ってくれれば大きな発展材料と思っている。
しかしそれには、子供用の柔道衣の調達が必要と思っている。

技術的には、30%の生徒が投げ技、固め技の基礎技術を一応習得したと思われる。今は、簡単な試合もできる。
色帯を入手しだい昇級審査を行い、動機付けとともに、柔道技術細部への意識付けを行いたい。

 次に警察クラスである。こちらは週1回木曜日の午後に指導している。もっと回数を増やそうと提案したが「仕事が忙しい」とあっけなく断られてしまった。
現在指導している警官は、20代前半が主で、特別訓練をしているスワットチームである。柔道はその訓練の一つになっている。
指導内容は、柔道の基礎、そして護身術を加え指導している。しかし、週1回、1時間半、そして仕事の関係上、月に1~2回キャンセルされるので進度は遅れている。6月から指導しているが技術的には低く、力だけの柔道になっている。絶対量が不足しているが、体力的に恵まれているので、いづれ選抜チームを組んで数多く練習すれば相当のレベルアップが望めると期待している。ただし、選手があきらめなければの話ではあるが。
また、このクラスは柔道衣を貸与していない。柔道衣の絶対量も不足しているが、省の上司も貸さない方が良いとアドバイスされたからである。現在もTシャツのまま練習をしている。乱取り時は、私が上着だけ持参し、実施している。やはり、常に柔道衣をつけた練習をさせたいものである。

 3つ目は、シニアクラスである。こちらは少人数で週2回、水・金の夕方練習をしている。一時は15名以上集まり盛んであったが、地味な受け身の練習ですぐにあきらめる者が多く出て、今は5・6人しか続いていない。やはり、映画の影響かちょっとやればすぐに強くなると錯覚しているように思えてならない。
しかし、中には週3日やりたいということで積極的に参加している生徒も1、2名いる。技術的には、3つのクラスの中で一番進んでいる。また、JOCVの隊員も何人かこのクラスに参加し、サモア人とともに汗を流している。
問題点は、柔道衣不足で、練習時だけ2~3着の上着を貸し、終了時に回収・洗濯をしてまた貸すという方法をとっている。生徒が固定されないの柔道衣がサモア人にとっては高すぎるので柔道衣の管理が一番難しい。現に少年クラスでも2、3着は方向不明で探している最中である。
 
 その他、来年1月にI.O.C企画の柔道セミナーが開かれるのでその準備も進めている。

2.支援体制

(A)支援経費

a)当面支出を必要としているもの
 すでに、柔道衣40着の支援を受け利用している。また、畳と色帯、試合用具一式をすでに申請し今は到着を待つばかりである。
しかし、現在も柔道衣の数が不足している。現地では柔道衣の製作・調達ができないため、当面柔道人口に合わせた柔道衣が必要である。

b)プロジェクトとして取り組む必要性のある業務の有無及び内容について
 サウスパシフィックゲーム(4年に一度開催)柔道競技への選手選考を兼ねた国内大会の開催を計画したいと考えている。
人数的にまだまだマイナーなので柔道の宣伝も兼ね、デモンストレーション等を含めた内容の濃いものにしたいと考案中である。

(B)カウンターパート
a)カウンターパート質的水準
 7月にインドの体育大学で柔道を専攻したサモア人が帰国しカウンターパートとして一緒に働いている。インドのジュニアチャンピオンでもあり、質的水準もかなり高い。専攻が柔道であったため、歴史、技等においても通じている。インドではエアフォースへの指導経験を持つ。しかし、現在腰痛(ヘルニア)がひどく医者から運動を禁止されている。

b)人数
一人。名前はセミ・エパティ。サモアンカレッジ卒業後、インドの体育大学に3年間留学し、柔道を専攻する。25歳。柔道1級。

c)カウンターパートの所属先での位置づけ
スポーツセクションのオフィサーとしてスポーツ関係の事務・計画を行っている。位置的には私の部下ではない。彼は、レスリングを中心に、私は柔道を中心に計画を進め、お互いに助け合うように上司から言われている。(スポーツセクションには、上司と私とカウンターパートのセミの3人しかいない。)
しかし、現在はレスリングの計画は停滞中なので柔道のみの指導となっている。

(C)後任の問題
a)任期延長の有無t交替の必要性 
 私は派遣職員であるため原則的に任期延長はできない。しかし、西サモアの柔道は私が初代と同じなので今後隊員派遣の継続を希望する。
柔道衣、柔道マット、道場、人数が一応揃うことになっている。施設・環境面の整備が充実してからが本格的な指導であり、発展が望める。予算的裏付けは少ないが、I.O.C柔道セミナーも開催される事になり、それなりに省も力を入れているので交替を希望する。

b)交替隊員に希望すること
 一つは、指導経験。
現在はナショナルチームなど作れる状態ではなく、(予算もない)柔道を広め、底辺を拡大する段階である。各レベル、目的、年齢に合った指導ができる人が望ましい。特に、健康安全面の配慮は大切である。
 二つ目は、体格である。
私は、173cm、72kgであるが、警官、一般のクラスの中では私が一番小さい。85kg~90kg位の人が最も多い。一番大きい人は、130kg近くある。それでいてラグビープレイヤーでもあるので足腰は強いのである。今後は体格の恵まれた人の方が指導しやすいし、見た目も良いのではと思う。
 最後に酒である。
サモア人は大酒のみである。警察署で練習していた頃は、よくポリスに酒を誘われる。言葉が多少通じなくても一緒に飲むと親しさも増すので役に立つ。つまらないことだが、一考の余地有りと思う。

3.一般状況

(A)余暇活動
a)余暇の過ごし方
 7,8月頃はサモアのテニストーナメントに参加し、サモア人とともにテニスで汗を流した。土曜日が試合である。その他週1回、after work に練習をしていた。初めてのスポーツで興味深く、初勝利を飾ることもできたが、ねんざや腱鞘炎などけがも多く、私には向いてない事が分かった。
 他に、ほとんど毎日曜日にゴルフをしている。年会費200tala(約1,2000円)で1年間やり放題である。今度はゴルフでサモアのトーナメントに挑戦し、サモア人とゴルフを競いたいと考えている。しかし、今はキャディーの子どもにも負けている。

b)任国の人との交際のあり方
 主につきあうのは省のスタッフである。若いスタッフと他のセクションのJICA,JOCVのメンバーとよく飲みに行く。サモア人とは飲み会やパーティーでのつきあいが多い。サモア人は明るく陽気で、歌あり踊りあり楽器あり、その上朝まで続くのでとても体がついていけない。体力負けである。しかし、たまにならとても楽しい。
 その他、ホームスティをしたサモア人のファミリーがたまに家に遊びに来る。

c)生活上の創意工夫について
 特別していない。
しいて言えば、水道の蛇口に布をつけて、汚れをとったり、いったん沸騰させてから冷蔵庫で冷やして飲んでいる。

(B)コミュニケーション
a)公私における外国語の習熟度について
 活動当初よりずっと良いが、まだ日常会話等しかできない。正確に言うと日常会話ができるようになるまでは早かったが、それから先が進歩していない。上司に言われた事は50%、会議では10%もわからない。スタッフとの会話はかなり分かるが、他のスタッフ同士の会話がよくわからない。地元の新聞も辞書なしでは分かる記事は少ない。飲みながらの英語はよく分かった気になるが、まじめな話は難解である。まして、サモア語ではほとんどわからない。
 また、ニュージーランド、オーストラリア人が話す英語もチンプンカンプンとういのが現状である。
 今後飲み会英語を脱し、ビジネス英語に近づけるよう努力したい。また、日常会話のサモア語もマスターしたい。

シニアクラスの練習風景(JICA事務所1F)レスリングマット利用

Judosenior

第④号(18ヶ月)  隊員報告書

1.業務内容

(A)任国業務水準
a)担当業務の一般状況
 ジュニアクラスとシニアクラスは順調に進んでいるが、ポリスクラスは週1回の上、休みが多くうまくいっていない。
 ジュニアクラス(週3回)は、10才以下の生徒も受け入れ始めたため年齢層がかなり広くなった。人数的にも名簿上は80名を越え、30畳の道場では狭いため4月から2クラス(12才以下、13才以上)に分ける事にした。それぞれのクラスは10~20名程度が常時参加する。時々20名を越えてくると練習に支障をきたすことがある。数年後にトレーニングジムが建設されその中に柔道場が設営される計画はあるが確かではない。
 シニアクラス(週3回)は、人数は少ないが(10名程度)熱心に参加してくれている。この中から将来の指導者が出てくれるのがいいのだけれど、仕事との両立はたいへんそうである。
 ポリスクラスは、本来無理してきているのが大半なので熱心さに欠け、全員で休むことがよくある。仕事の為とは思うがこちらの意欲も減退気味である。
 今年の1月にはニュージーランドのナショナルコーチ(イギリス人)を迎え、1週間のI.O.C柔道セミナーが開かれた。毎日30度を超える暑さの中30名の生徒が参加した。たいへん良い刺激になったと思う。最終日には大会も開かれ、盛り上がりを見せた。たいへん良い技も何回か見ることができた。
最終日の大会では、シニアの部では各階級とも警察官が優勝した。練習回数は少ないが、筋力が優れているので力で勝ったのが現実である。
 このセミナーは、上司(省の次官)がI.O.Cの委員であり、同じ委員である東京オリンピックの金メダリストのアントン・へーシンクに話をし実現したようである。たいへん感謝している。当初講師もアントン・ヘーシンクの予定であったが、直前で変更になった。
 3月にはJICA事務所の1階の空き部屋に畳を敷いて道場を開設し、西サモアの柔道協会長、青年文化スポーツ省の人達、JICA所長、JOCV調整委員等を招き、「道場開き」を行った。デモンストレーション(投げの形、護身術の形)とパーティーを行った。地元新聞にも掲載されたので、良い宣伝となった。この後生徒も増えた。
 3月下旬には、昇級審査(第1回)を行い、5人に5級(黄色帯)を授け、指導の際リーダーとして指導の経験を積ませている。
 これからは、定期的な昇級審査と国内大会を開催しようと計画中である。

b)日本と異なる点
 まず、気候である。年間を通じて昼間はいつも30℃を越えている。その上分厚い柔道衣、狭い道場、暑くて長く練習が続かない。特に雨季は1年で一番暑い上に湿気がほぼ100%。柔道は、この地に根付くのだろうかと思ったものである。柔道衣も洗濯が間に合わないので週に3回がいまのところベストと思っている。海外での国際大会ためにもナショナルチームができたら、練習計画はまた、別に考えるべきである。
 また、サモア人の経済状況からすると柔道衣は高く個人で買えるのはほんの一握りの人になってしまう。
 サモアにもサモア柔道協会というものが昨年発足したが、経済的な基盤はなくほとんど運営能力はない。これからスポンサーを捜すのも一つの仕事と思われる。
 各種行事の計画実行もサモアペースで進むのでのんびりしている。当初それで慌てたり不安になったりしたがそれでも実行してしまうから頭が下がる。

c)特に注意すべき点
 要請されて来たが、協会、サモア事態もそんなに大きな希望を柔道の普及に寄せていないんじゃないかと思うことがよくある。もしかしたら希望をもっているのは自分だけじゃないかなと思う時もある。また、カウンターパートらしきスタッフもいるが大学(インド体育大学)で柔道を専攻し、柔道協会の秘書(セクレタリー)の地位にもありながらあまり期待できない。けれど金のかからない協力は出来る限りしてくれるので自分のペースでやることが大切と思う。
 また、柔道衣の維持・管理が難しい。 

2.支援体制

(A)支援経費
a)3号報告書とその効果(プロジェクトの現況と見通しについて)
 JICAからは、柔道衣、畳、色帯、試合用具、安全器具等を支援していただいた。柔道衣は1990年6月に第一回目の支援として受けた。その他母校である茨城大学の柔道会より1990年5月に8着、1991年2月に40着の中古の柔道衣を援助された。管理上熱心な生徒にしか貸し出していないため数的にはいまのところ間に合っている。
 柔道衣を着て初めて柔道らしくなるので、貸与されてから熱心になる生徒がいる。
 また、茨城大学の柔道会より半数以上の柔道衣を支援されたわけだが、送料等でJICAからの支援はされないのか。東京本部からはNoの返事を調整員を通じて受けたが、数の調達、航空便利用による輸送期間の短縮、中古等のため経済的メリット等もあるとおむのでもう一考願いたい。
 畳は、今年の1月下旬に届き、I.O.C柔道セミナーの時に使用することができた。それまで(セミナーの3日目まで)は、レスリングマットだったので足が沈み、柔道本来の動き、足技の習得に問題があった。畳が入ってからは「痛い!」という不評もあったが、ずっと柔道らしくなったと思う。
 2月下旬に遅れてクッションマットが届き、30畳の道場を設営した。クッションをい使って安全措置も充分行ったので安心して柔道の指導が出来る。
 着任後、1年と3ヶ月が経過し、柔道衣と畳が揃い、やっと柔道らしくなったという感じがした。
 色帯-これは1月下旬に畳と一緒に届いた。ヨーロッパ式の昇級審査を考慮し、5色の帯を申請した。3月に初めての昇級審査を行い、5人に黄色帯(5級)を授けた。これは、生徒達の自覚、やる気を促すのにとても効果的だったと考えている。また、個々の技術、知識、審判法などトータルな面での評価ができ、指導上からも有意義であった。これから2ヶ月ごとを原則に昇級審査を実施していく予定である。今年度末までに2級程度の生徒が数人出ると良いと思っている。
 その他、スコアーボード、ベル、タイムウォッチ等の試合用品の援助を受けた。まず、I.O.Cのセミナーの最終日の大会で一度使用した。これから昇級試合、国内大会、インタースクール大会等幅広く利用していきたいと考えている。

 これからの見通しについて
・サウスパシフィック大会に柔道競技が採用されなかったので、私の任期中に当面海外での大会はなくなってしまった。来年、1992年にオセアニア選手権があるのでそれを目標に選手作りをしていく予定である。
・6月中にできればインタースクール大会とナショナル大会を開く予定である。その後、定期的な昇級審査を行いながら10、11月位ににもう一度インタースクール大会とナショナル大会を開こうと考えている。

3.一般状況

(A)任国事情
a)衣・食・住の観察
 衣-サモア人は普段、村ではラバラバ(腰巻き)一枚または、ラバラバとTシャツというラフな格好をしている。ファーマルは、フォーマルラバラバまたは、スラックスそして開襟シャツ、ポロシャツ等である。ネクタイをしているのはめずらしい。
 食-サモア人は、タロイモ、バナナ、ブレットフルーツ、マモエ(羊の肉)、豚肉、鳥肉等が主食である。一日二食(朝・夕)しか食べない人が多くいる。
私たちは、米(オーストリア米)、醤油等が手にはいるので簡単な日本的な料理を作って食べている。
 住-全体的に伝統的な壁なしの家が多いが、町(アピア等)周辺はパラギハウスと呼ばれるヨーロッパ式の家が多い。私たちが住んでいるガバメントフラットはヨーロッパ式の家で水回り、電気等に多少トラブルはあるが現在は住みやすい。

b)文化・習慣の相違点
 まず、生活のペースが違う。のんびりムードが漂っている。常夏のせいもあるが、その他に経済的には最貧国であるが食べ物の不安がないというのも原因がある。多くのサモア人が働くのは、現金収入を得るためで、食べるためではない。そのため治安も最近悪くなって来ているとはいえ、全体的には良い方である。
 文化的にはマタイ(酋長)制が伝統的に続いている。今年になって初めて選挙権がマタイだけから21歳以上の市民(サモアでは、21才になると大人と見なされる)全員へと変わったばかりである。村ではマタイの権力は大きく、若い者は口を挟む事はできない。
 また、サモアはドイツ、ニュージーランドの統治下にあった時代があるので、ヨーロッパの影響を大きく受けている。政府の建物は今だにドイツ統治時代のものだし、「バイリマ」というドイツ風ビールもおいしい。サモア人は、ドイツ人に好感をもっている。
 サモアは熱心なクリスチャンの国で、日曜日は、多くの人が協会へ行く。立派な協会が多く、壁のないサモアの家と対照的な風景をつくっている
 公用語は、英語とサモア語である。

(B)協力活動(特に後続隊員に参考となる事項)
a)エピソード又は「ケーススタディ」となるような体験
 赴任早々フランスのネービー(海軍・潜水艦)がサモアとバレーとサッカーの親善試合をしたいという申し込みがあり、私の所属する省でオーガナイズした事があった。当日になり私はまだ何もわからないのでぼーっとしていた。すると、女性の職員がバレーボールを見に行こうと誘うのでついて行くことにした。練習を見ていると、その職員が「バレーボールを知っているか?」とういので、当然「Yes.」と答えた。さらに、「審判できるか?」と聞いてくる。おかしいなと思い「いや、できない。でも、学校で指導したことはある。」と正直に答えてしまった。「プリーズ、ジャッジ」とその職員。「どうして?」と私。「だれもいない。プリーズ、プリーズ」・・・。つまり、審判がいないので始めから私に審判をさせる気だったのだ。渋々承知し、「笛は?」と私。「ないから捜してくる。」と駆けだした。見つかるまで試合は、笛なしでやらされた。「ピッ、サービス、プリーズ」本当にこれでいいのかなと思いつつ・・。始まってみると得点係はフランス語でアナウンスしている。「アン・ドゥ・トワ」までしかわからない私は戸惑った。フランスチームには英語を話す人は一人しかおらず、困った。サモア人助けてもらってどうにか事なきを得た。この様に行事も突然である。せめて前日に言ってくれれば準備もできたのに。その他、各種セミナーの時も当日の朝になって「今日から陸上セミナーだ。準備体操でストレッチをやってくれないか?」と言われる。でも、やるしかないのだ。
 柔道の方では、ポリスクラスが問題であった。赴任後、要請書通りポリスを中心に教えるものと思い、ポリスステーションへ上司と行った。そこで、警察署長に「ポリスはみんなマタイ(酋長)なので護身術はいらない。声で充分なのだ。だから銃も必要ない。」と断られた。「あれ!」と思いながらも計画を変更し、それからポスター、宣伝用ビデオを作成し、学校回りキャンペーンを行った。その結果、高校生のクラスを始めることになった。ちょうど地元新聞社が取材に来て、次の日写真入りで新聞に載った。すると、その翌週にポリスステーションから電話で「うちも教えてほしい。」と。「ふざけるな。」と思いながら週2回教える事になった。いざ、開始1日目人数20人以上、上々の滑り出しである。整列の仕方から軍隊のようでいやに気合いが入っている。体も大きい。私も気合いを入れて初日から1時間半びっちり受け身。2日目10人。興味を持たせるため投げ技、抑え技を入れ、1時間半。3日目5人。4日目ついに「0」!。その後も警察署に通ったが誰も来ない。自分の上司へ3週間後文句を言った。そしたら署長よりレスキュースワットという若手の才能がある隊員を送るとのこと。しかし、週1回。さすがにいい素材がいたが、3ヶ月もするとすぐに、「十分だ。もうやめよう。」と弱音をすぐ吐く。1ヶ月も無断でさぼる。また、上司に文句を言うと3ヶ月はしっかり来る。また、突然来なくなる。現在3週間連続すっぽかしに合っている。でも道で会うと「やあ!元気!」と明るい。怒る気にもなれない。
 
(C)任国内外旅行(任国又は任地との比較あるいは、後続隊員に参考となる事項)
 任国外旅行は、1990年12月中旬から1991年1月始めまで、ちょうどクリスマス・ニューイヤーホリデーにかけて行った。この時期にしたのは、自分がいない間、柔道クラスの面倒を見る人がいないからである。ルートは、フィジー島(1日)、タヒチ諸島(2週間)、ラロトンガ島(5日間)という日程であった。中心はフレンチポリネシア・タヒチ諸島だったのでそれを中心に記述する。
 タヒチもサモアと同じポリネシアに属するので肌の色等、人種的に似ているところが多い。しかし、タヒチはフランス人との混血が進んでいるためか、純粋なタヒチ人というのにはめったにお目にかかれない。また、サモア人のような太ったひとも少ない。言葉はフランス語を話し、2週間の間タヒチ語を聞いたのは一度もなかった。
 フランス資本がかなり入っているためか道路等公共物はしっかり整備されている。特に、パペーテの町はきれいで久々に都会というのを感じた。中心産業観光と思われる。各島々も観光化が進んでいる。その他の産業はほとんどない。リゾート地となっているのでのんびりムード、のどかな風景の中にホテルが建ち並んでいる。観光資源である海はたいへんきれいで、一日中いてもあきない。
 経済的にはサモアと比較すると段違いに豊かさを感じた。おみやげでタヒチ風の腰巻き(パラオ)は売っていてもサモアのようにそれで町を歩いている人はめったにいない。みんなきちんとした服装をしている。車は、ポンコツや荷台に人がたくさん乗った車が走っているサモアと違い、タクシーでさえベンツである。もしかして料金も割り増しに取られるのではと不安になった。
 ここで一番驚いたのは物価の高さである。とにかく高い。東京が世界で一番高いと聞いていたが、パペーテはそれよりも1.5倍は高い。ビールは小さなコップ1杯450円程度で酔ってもいられない。でもワインはそれほどでもない。その他の物でもサモアの2倍はすると思う。一日2食、ワインを飲み、フランスパンをかじり、あとは海でじっとしているのがタヒチの観光である。
 また、パペーテには、軍艦が何隻も停泊している。フレンチポリネシアのフレンチを実感させられた。
 タヒチで感動したのは、島の美しさ、海の透明度、タヒチ美人、物価の高さであった。

タヒチーボラボラ島のビーチ

Tahiti

IOC柔道セミナー:参加サモア人(左から2人目)

Seminer

完成した柔道場(30畳)ジュニアクラスの子ども達

Juiorclass

第⑤号(24ヶ月+延長3ヶ月)  隊員報告書

1.業務内容

(A)最終報告
a)実施計画からみた達成度等実践活動のまとめ
 実施計画を作成するに当たって、まずは東京で見た要請書に基づこうとした。しかし、実際現地へ来てからはその要請書とは違う方向で活動を開始する事になった。その後は活動過程で思いついたことはすぐに計画、実施するという経過をたどった。その時役に立ったのが、サモア赴任の時、先輩隊員からアドバイスをもらい作った「アイディアノート」であった。「2年とういのはたいへん短い、やろう、やれると思ったことはすぐに計画実行しないとあっという間に終わってしまう。」という先輩の言葉はたいへん貴重であった。
 現在は①ジュニアA(小学生)1時間、週3回
     ②ジュニアB(中・高生)1時間半、週3回
     ③ポリスクラス(警察レスキュー部隊)1時間半、週2回、
     ④シニアクラス(一般)1時間半、週3回 
計11クラス  メンバー数約80名である。

 6月下旬には、念願の第1回国内柔道トーナメントを開催することができた。やっとサモア柔道も形をなしてきた。

 8月には第3回昇級審査を終え、3級合格者が5人生まれた。この審査も次期指導者を育成するために技名、審判も同時に講習をしながらトレーニングを続けてきた。

 9月14日にオーストラリア、ブリスベンで開催されたクイーンズランド国際柔道大会へ選手2名を派遣した。初のサモア柔道の海外遠征で重量級の選手がオーストラリアの選手を破り貴重な国際大会1勝をあげた。参加した選手も柔道歴1~1年半の初級者だが、将来に希望を抱かせる試合内容であった。(中量級に参加した選手は、リーグ戦で3敗であったが、2試合は試合時間一杯戦う善戦であった。)この参加に当たっては、事前の準備の方がたいへんであった。招待状を受け取ってから参加にこぎつけるまでには、上司への説得、参加計画、資金作り、航空機の予約に到るまで初めて続きで戸惑いとあきらめの連続であった。

クイーンズランド国際柔道大会エピソード

○オーストラリアの空港で足止め
 オーストラリアの空港で、サモア人2人を連れていたことで、別室に呼ばれ尋問された。最初は「英語がよくわからない。」と言って逃れようとしたが、事態はそんなに甘くないのが分かり、説明。つまり、サモア人が不法滞在者になるのではないかという疑いであった。わかってもらって、3人とも開放された。緊張であった。
○練習場所探し
 せっかくの国際大会、ベストの状態で試合をさせたい。まずは、練習場探し。目をつけたのがクイーンズランド大学、電話をかけ柔道場を使わせてもらいたいと嘆願。やっと柔道師範につながると、日本で何年も柔道留学したことのある人であった。快く受け入れてくれた。
○宿は、ユースホステル
 資金がないので宿はユースホステル。料理は私が作ってあげたカレーライス。味は??。そこにはワーキングホリデーで来た日本人青年2人。この二人は大会まで見に来てくれて応援・ビデオ撮影等大いに助けてくれた。
○海外で救急車
 2日目の無差別級に挑戦した選手が試合中に肘を脱臼。救急車で病院へ。私も付き添いで一緒に乗る。初めての救急車それもオーストラリアでであった。病院で何時間も休養しユースホテルに帰った。脱臼したにもかかわらず、次の日は動物園へ行った。サモア人はタフである。
○絞め技で人工呼吸
 女子の試合中絞め技が決まり、相手が気絶した。日本ならすぐに審判が活を入れて目覚めるのだが・・・・。なんと審判は救急隊を要請。なんと女子選手に人工呼吸を始めた。助けてあげようと思った時、その女子選手は復活。びっくりした。

この大会を知った時、チャンスを生かそうと考え、6月の国内大会の準備とともにクイーンズランド国際柔道大会参加への計画を立て、同時進行させることにした。そして、第1回国内大会を海外遠征の選考会と銘打って開催したのである。この大会では、軽い階級では、高校生が優勝し、中量級以上はすべてシニアクラスの生徒が優勝した。今年の初めに行ったI.O.C柔道セミナーでの大会で優勝を飾った警察官は、みんなシニアクラスの生徒にことごとく負けてしまった。練習量の差がここで歴然としてきた。相変わらず力に頼る警察柔道に対し、シニアやジュニアの技と動きの柔道が勝っていた。この後警察からは練習回数を増やしてほしいとの要請があった。高校生に見事に投げられ「一本」をとられたのが刺激になったのだろう。逆転現象は活動を活性化させるものである。
 次は、資金づくりである。これが最大の懸案事項である。他のスポーツ協会や在サモア邦人にサモアでの資金づくりの方法を教えてもらいJICA事務所にも相談しながら進めた。レター作り、会社まわり、空き瓶の回収、中古バザーを計画し、多くの日系企業、他の協力隊員の協力を得て参加に到った。さらに、参加選手は、募金を友人・親戚に募って少しでも資金を自分たちで調達する努力を行わせた。
 2名の海外大会に参加した選手はその後リーダーシップを発揮し、柔道クラスを引っ張っていく役割を果たしている。審判法も国際大会を経験することによって理解が深まった。
 また、サモア柔道協会にとっても少し強引であったが、国際大会に参加したことはこれからのサモア柔道にとって
①柔道生徒達が目標と希望(がんばれば海外の大会へ参加できる)をもつことができた。
②海外の大会へ参加に到るまでの経緯を一度体験したので次が実施しやすくなった。
という二つにおいて大きな財産になったと思う。
 また、私個人においても大会参加への計画、実行、資金作り、コーチとしての参加等たいへん貴重な経験を積ませてもらった。

 その後、昇級審査を2回行い2級に3人の合格者を出した。クラスも私が去った後のサモア柔道を考え、生徒の中のリーダーに指揮させ、私はスーパーバイズするという指導方針をとりました。そして、今年最後に第2回国内柔道大会を開催し締めくくる予定であった。
 この大会は、まず、経費を半分以上柔道協会自身から出費させ、自主運営のステップとした。大会は、2日間で、インタースクール大会とナショナルチャンピオンシップ大会を行った。1日目のインタースクール大会は、審判・計時等の主要な運営をシニアクラスの生徒達に行わせ、サモア人自身での大会をめざしたものである。賞品から会場等すべて予定通りに進んだが、巨大サイクロンの直撃で中止せざる得なくなり、来年2月に延期となった。とても残念であった。柔道場が無傷だったのが不幸中の幸いだった。

 このように後半は、選手育成と同時にリーダー、コーチ育成も同時に行った。多少無理もあったが数人の熱心な生徒達のおかげで軌道に乗りかけている。また、年間通して柔道を練習するという事も、シーズン制でスポーツするサモア人の中で定着しつつある。しかし、カウンターパートとしてついたはずの柔道1級のサモア人スタッフはまったく当てにならない。彼が柔道協会のセクレタリーを兼ねているので不安である。理想は、今育成中の生徒n中から協会スタッフが育つことである。しかし、この人事面は難題が残っている。
 3ヶ月n延長が決まったので、私が去った後の指導体制づくりと大会実施、そしてイラスト入り、参考書等の作成、子供用柔道衣の家政隊員との共同製作を進めていく予定である。

b)延長時の活動報告(平成3年11月29日~平成4年2月28日)
(1)オセアニア柔道選手権大会への選手選考と練習プログラムの作成
 この選考会を兼ねた第2回国内大会は、平成3年(1991年)12月、8・13日(2日間)に開催の予定だったが、巨大サイクロン「ヴァル」来襲(4日間)のため2月21・22日に延期することになった。この大会は当初の予定通り、ジュニア大会、シニア大会と2日間にわたり開催した。
ジュニア大会は、サモア人シニアクラスの生徒の審判・運営で行われた。
資金面でもかなり協会の自前で賄うこことができ、第1回大会に比べかなり現地中心の大会となった。
参加者は、ジュニア23名、シニア25名(含カナダ人1名)である。2日間とも試合前に投げの形(10本)、講道館護身術(10本)を実演し、好評を得た。 
試合内容も過去2回(I.O.C柔道セミナーでの大会、第1回国内大会)に比べ、レベルアップが感じられ、2年間の進歩を感じ取ることができた。
賞品等もトロフィー3つ、Tシャツ(協会作成)と大会を盛り上げるに充分なものだった。
問題点は、運営面で人員不足で他の人の協力を得なければできない事である。
柔道そのものでは、スタミナ不足である。特にシニアは各階級・オープンを合わせると4分×8試合を行った。後半は選手が動けないことが多いのが気になった。技・闘志は充分感じられるので、次はスタミナ養成のトレーニングを積めばまだまだ全体のレベルアップが望める。
これからは、これまで行ってきたトレーニングメニューを日々こなし、本等でチェックしながら彼ら自身で練習していくことになる。

(2)昇級審査
 最後の昇級審査を2月上旬に行い、1級を3人が合格した。事前にも昇級審査のため講習を2週間実施し、合格の為万全を期させるようにした。1級合格者の3人は、その後の第2回国内大会では、-86kg級優勝と2位、+86kg級 優勝 と結果を残し、実力的にも申し分ないことが証明された。また、その大会には柔道1級のカナダ人が特別参加した。結果は、-86kg級で3位であった。他国の柔道レベルと比較してもサモアでの昇級審査は順当なものあったと確信した。ジュニア大会の審判と形の演技も彼らが行い、審判法、技術、経験、実力も1級にふさわしいと思っている。(日本で昇段審査を受ければ、初段は間違いないと思う。)
また、かねがねあまり柔道普及には熱心でないカウンターパートのセミ1級とグレード的にも同じレベルになったということも柔道スクール運営面で重要だと思っている。これで、サモアで1級を取得した3人に日々のコーチ役を担当させ、次期隊員が来るのを待たせる体制ができた。(残念なのは、その中の一人が数ヶ月後ニュージーランドへ働きに行ってしまい、欠けてしまうことである。)

(3)イラスト入り柔道教本の作成
 いろいろな本からイラストをコピーし、ちょっとした英語の説明を加えた100ページ分の柔道教本を、最後の大会の参加賞として配布した。2年前から少しずつためていたのをコピーし、バインダーで止めただけの簡単なものだが、これからのコーチなしの練習に少しでも役に立てば良いと思っている。

(4)子供用の柔道衣の作成
 サモアでは、柔道衣の入手が普及の課題であった。そこで柔道衣の現地製作の第1歩として家政を専門とする協力隊員と隊員が活動している学校との協力で子ども用の柔道衣の作成を手がけた。これは、柔道の普及と家政隊員の働く学校にとっても技術を使う場としてまた現金収入源として協力したものである。
結局は、帰国のため試作の8着(1着50タラ、役3000円)しか製作できなかったが、子どもクラスで今でも使用に耐えている。 

子供用柔道衣

Judowear

c)全任期の協力効果について
 最初に協力という意味を考えてみる。赴任当時は「協力」というイメージを簡単に言うと「サモア人もしくは省が柔道を取り入れようと計画し、それに応じて私が協力をに行く。」というもであった。実際に所属した省の中にはそんな雰囲気はほとんどなく、中には何しに来たのか、柔道とは何かをわかっていない人がほとんどであった。「いったい誰が要請したのだろう」というのが実感でした。当然のように要請書とサモアでの実情は違うし、予算、組織、計画などひとつもありませんでした。その上カウンターパートのはずのサモア人スタッフは「何かしえほしいことがあったら言ってくれ、いつでも協力するから」と言われ、何かおかしいぞと思ったものである。そう思っているとやる気というのは消えてしまった。また、何か必要なものが出るとすぐに上司は「J.I.C.Aに頼めないか?」と言う。援助目当ての言動に嫌気がさしたものである。
 しかし、せっかくサモアに来たのだし、また、私は初代隊員でもあるので、あのカウンターパートが言うように
自分のやりたいように計画・実行してうまくいかないところがあったらサモア人に協力してもらおうと思った。これが、協力隊活動の大きな転換点であった。つまり、私は、サモア人に協力してもらったのである。
 また、柔道の技術移転にに関しては、現在も課題・問題はたくさんあるが、柔道がサモアに根付く方向に向かっていると思う。根付くためには正しい技術移転が必要なわけだが、ここでは日本のような試合優先ではなく基本技術のマスターに重点を置いた。昇級審査もその点を考慮したもので、数人は基本技術をマスターし、中級の段階に入っている。審判技術についても同時に伝授・トレーニングしたので日本の初級者に比べてもはるかに知識をもっていると思う。完全に根付くまでにはあと2代ぐらいはこの方針を貫いてもらいたい。希望としては何人かを日本で研修させ黒帯を獲得し、サモア柔道をリードしていってもらいたいと思っている。J.I.C.A研修にスポーツ分野はないので、講道館に依頼したがちょっと無理なようである。
 このあと何代隊員が続くかわからないが、サモアに一つしかない柔道スクールなので、シニアとジュニアの交流でレベルアップを図っていく以外はないと思う。今までそのように指導してきたつもりである。
 柔道の基本技術と指導技術、審判技術は当然として、サモア柔道の発展の方向性を定めていこうとしたのも協力効果だと思っている。

d)障害点等問題点 
 これからの最大の課題は私が帰国し、交代隊員が来るまでの柔道スクールの運営である。現状維持さえ難しいと考えている。帰国前には、カウンターパートにスクールの規模を縮小して任せていくつもりだが、毎日コツコツと活動していくことが苦手なのでどうなるか見当がつかない。
 二つ目の課題は、柔道衣の管理・調達方法である。現在はまじめに練習に来ている生徒のみに貸与しているが、いつ来なくなるかわからないので紛失する可能性がある。現在までに十数着はすでに紛失してしまった。かと言ってディポジットをとると高所得者だけのスポーツになってしまう。当然一般のサモア人に柔道衣を簡単に購入する能力は少ない。しかし、いつまでも貸与ではやっていけないのでいつかは切り替えなければならない。また、子供用の柔道衣は1着50タラ(約3000円)で製作することにしている。(家政隊員との協力)
 三つ目は、資金の問題である。国の予算はまったくないので自力で集めるしかない。現在は、入会金年間ジュニアクラス5タラ(300円)、シニアクラス10タラ(600円)を集めている。(小学生ぐらいの子が入りたくても5タラがなくて入れないときは、自宅の草刈りをやらせ5タラを入会金にしたこともある。)、入会金は、安易にクラスに入って来て、すぐにやめてしまう生徒をなくすために始めたもので、資金集めが主な目的ではなかった。当然、運営資金としてはまったく足りない。大会、遠征ををするたび瓶集め、中古バザー、会社回りをして資金作りをしなければならない。これは、活動を広げて行く上で重要な問題である。
 四つ目は、この暑さである。年中30℃を越えるので長時間の練習は興味を失わせるだけである。いかに短時間で効率よく技術伝授とともに実力を養成できるかが課題である。
 五つ目は、ナショナルチームの育成である。これは、資金面とも関連するが特別な強化が難しい状況にある。工夫が必要である。また、早く柔道をサモアでポピュラーなものにしてスポンサーを見つける方法もある。
 六つ目は、ポリスクラスの指導である。素質、体力は申し分ない。仕事の一環として参加しているので一部の熱心な警官を除くといやいや行っている物がかなりいる。その上、しばしばメンバーが入れ替わる。問題はあるが、ポリスクラスは貴重な人材が多いので、出席をとり、署長(柔道協会長でもある)に報告しながら継続すべきである。
 七つ目は、興味・関心の持続の問題です。空手はビデオ、映画が有名だが、柔道はまだまだマイナーである。また、一つしか柔道スクールがないので試合を優先することが難しい。そこで、セルフディフェンス指導などを取り入れ、興味を湧かせる努力を続けていく必要がある。

2.一般状況

a)「協力活動」を終えて(感想・意見)
 「ホッ」としているのが本音である。最初の頃の活動、西サモアの生活、語学に対する不安からやっと解き放たれる感じである。
最初の頃の「仕事はない」「西サモアを知らない」「言葉ができない」の3重苦から考えると一応自分が考えていた活動の8割はできたと思っている。もっと違ったやり方もあったかもしれないが、これが自分のペースだったと思う。また、自分なりのペースを受け入れてくれた西サモアにも感謝している。その他、いろいろな助言・援助をしてくれた在サモア日本人の皆さんにも感謝している。それらがなかったら今の結果はなかったと思う。
もう西サモアの生活が日常になってしまったので来週帰国するのもまだ実感がない。活動も、2年の短期集中の活動というよりは、これから何年でも続けられるペースだったと思う。
 実際は次の交代隊員までの期間があいてしまった。その間カウンターパートと生徒達がうまくやれるか心配である。2年間かけて運営しえきたものもこの引き継ぎ期間がうまくできなければあっという間にまた一からの出直しになってしまう。
 現在カウンターパートが指導し始めて2日目であるが、さっそく消えかかる兆候が見える。一瞬にしてやってきたものが消えかかるのはわびしく、さびしく感じる。しかし、これだけは彼らに任せるしかない。
考えてみると私の活動は「不安」ではじまり「不安」で終わる。
西サモアに柔道が根付き発展することを切に願っている。

b)事務局への要望等
 要望・希望は三つある。
 一つは、東京オフィスと西サモアオフィスの連携をよく行ってもらいたい。
赴任当時、柔道衣が携行機材かどうかで当惑した経験から痛切に感じた。(実際は西サモアオフィスの裁量でことなきを得ましたが)それは、要請書に柔道衣30着の携行と書いてあり、東京オフィスの国担当の人にも確認し、「任国へ行き、サモア人のサイズを確認したら申請書を送ってください。」と言われ西サモアへ赴任した。すぐに当時の調整員に相談したが「君のはいいけど他のはダメだよ。」と言われた。要請書(その調整員が書いたもの)の記述の件、国担当との段取りの件を話したが、なの事情説明もなしに頭ごなしに「自助努力しなくちゃダメ。」と連発された。自助努力はわかるがその横柄な無責任な言動に気分を害した。自分の書いたものに責任をもってもらいたいと思った。また、実際の支援機材申請書を提出する時もすでに提出したはずのまったく同じ物を2ヶ月後にもう一度書かされた。いったい2ヶ月はどうなってしまったのか。くわしくは、どうなっていたのかわからないが、もう少し連携をスムーズにしてほしい。
 二つ目は、支援機材を申請してから到着するまでの時間が長すぎるので、短くしてほしいということである。私の場合、ほとんど初代隊員だったが柔道衣を手に入れるまでに申請から4ヶ月、(それでも西サモアオフィスに最短ルートで手に入れてもらった。)赴任から7ヶ月かかった。それも東京オフィス経由だったら1年たっても来たかどうか分からなかった。東京からの電話で「今年は予算がオーバーしているので1年ぐらいかかると思います。」と言われた。畳については7月に申請を出して9月に書き直させられ、到着したのが1月末である。申請から7ヶ月、赴任から1年2ヶ月である。つまり、柔道らしくなるのに1年2ヶ月を要した。2年しかない任期でその上事務上のトラブルがありではたいへん困る。活動計画も到着を見越して立てているものばかりである。現に畳はI.O.C柔道セミナーで使用する予定だったが到着はセミナー開始2日後だった。
 三つ目は、日本での研修制度の中に柔道も認めてもらいたいということである。柔道では、級までは任国の柔道協会の裁量で授与することができるが、初段以上は日本へ行かねばならない。また、オリンピック・世界選手権の参加規定に「初段以上」という規定が追加されたのを考えると柔道選手の日本でのJ.I.C.A研修を認めてもらいたい。それは、西サモア柔道にとってたいへん助かり、オリンピック・世界選手権が近くなる効果は大きいと考えている。
 以上三つが活動を通じて感じた要望である。
その他のJ.I.C.A、J.O.C.Vの援助にはたいへん満足し、感謝している。

第2回西サモア柔道大会-86kg級決勝

Tournament

優勝者(左-86kg級と+86kg級)

Champions

クイーンズランド国際柔道大会(前列左から3人目の列)

Queenslandinternationaltournament

西サモアの2年間を振り返って

私の任期もそろそろ終わろうとしています。私にとってサモアの生活は,公私両面において自分なりに満足できるものだと思っています。それは,良い事ばかりであったという意味ではなく,それは,良い事もあったが,それ以上にいろんな問題やいやな事がありました。そして,この国,サモア人,私の活動,JOCV事務所に対して不平不満を持ち,ときにはがっかりして,ときには怒りを覚えました。けれども今は後悔していないということです。なぜなら,それらの問題に対して自分なりに前向きに対処してきたと思うからです。そして,たとえ失敗でも楽しみながら,ワクワクしながら活動できたと思っています。それらの問題とは,たとえば,私の活動の中心の柔道教室であったり,国内大会,クィーンズランド国際柔道大会,それに伴う資金集め,道場開き,柔道衣の入手,IOCの柔道セミナー,独立記念パレードに生徒と共に柔道衣で参加,テニストーナメント,ゴルフ,交通委員会の雑事,そして,その他の私生活でのいろいろ。それらの事で,時には助けられ,自分でも楽しみ,時には孤独で,また足も引っぱられもしました。それに怒ったり,陰でささやかれる無責任なうわさに気分を害しました。そして,後悔もしました。けれどいつもそんな時,誰かに助けられたように思えます。それらの事で何が協力で何が優しさで何が友達か,何で自分はここへ来たかなどが少し分かった,いや感じとれるようになった気がしました。何度もいじけて投げやりになりそうになりました。自分に彼らは,忍耐と自信と寛容とを教えてくれたように思えます。
 ここでそれら一つ一つを書き記したいのですが,これはまた別の機会にしたいと思います。
 さて,ここでは私の西サモア生活にとって欠かせなかった「言葉」について書きたいと思います。
 私がここサモアへ来た時はとても神経質になっていました。いつもこれからの活動,特に柔道のことが気になってしかたがありませんでした。この時は,私の心の中には将来の不安しかありませんでした。
 それと言うのも,サモアへ来る前にテレビでサモアの番組を見ました。そこでは,サモアの生活,風景,人々を映していましたが,ちょうどその中に私が教える事になっている警察官のパレードがありました。私は,彼らの体の大きさにびびりました。「はたして,私で大丈夫か?」とういのが正直な気持ちでした。それが神経質になっていた原因でした。その時は何度も何度もビデオで警官のパレードを見て,「腕も太い,足も太い,胸板は厚い,こわそうな顔・・・どうしよう。」と何度嘆いた事か。そして,これはビルトアップしかないと思い最低でも80kgに太ろうと私の過食症は始まったのです。
 そしてここへ来て,嘆き・あきらめともとれる二つの決意をしたのです。それは,
一つ,もし,柔道でサモア人に負けたら帰るしかない。
二つ,もし,生徒が一人もクラスに来なくなったら帰るしかない。
でした。追い打ちをかけるように友達の一人にも「もし,負けたら腹をきるしかねえなあ!」と言われ,「まったく人ごとだと思って・・・でもやっぱそうか。」といじけたものです。それから5ヶ月間はまじめにトレーニングに打ち込みました。
 ちょうどそのころ一冊の本を読み始めました。それは「徳川家康」全26巻吉川英治著です。そしてその中の「公私一如」とそのくだりに興味をもちました。そしてノートに書き留めたのです。それは,「私において楽しむことが公の道にも通ずる。」「心にゆとりをもって進め,さもないと八方ふさがりになる。」「公が私より優ると,立派な人生ほど苦の生涯になり下がる。」というものでした。その時,私は勝手に公と私は一体のようなものだから,私において楽しめばきっと公もうまくいくに違いないと解釈しました。実際は,私の勝手な解釈で本当の意味はもっと奥深く違うものだと思っています。その時は,そんなことはどうでもよく,私には,私にゆとりをもたらせてくれたその言葉が必要だったのです。すでに日本の忙しい生活で,生活とは?,仕事とは?という疑問を忘れてしまっていました。それをこのサモアの雰囲気とその言葉がまた思い起こさせてくれました。それは,私に余裕を与え,いろいろな事へ向かうエネルギーをくれました。ちょうど私は,大きな大会前のスポーツ選手のようで,もしもとてもあがってしまったら私は何もできず,もしリラックスできれば良いプレーができるのです。
 実際の生活で私を救ってくれたのは,その言葉だけでなくいろいろな人の協力・援助でした。それらの方々にはとても感謝しています。けれどもその言葉に出会った事は,私のサモア生活のちょうど転換点になりました。
 また,ここサモアへ来るチャンスを与えてくれたJOCV・JICA に深く感謝申し上げます。

 ここには,成功らしき物語を書きました。しかし,実際のものはもっと地味で,ただのうぬぼれ,または自分への慰めでしかないかもしれません。でも今ははっきり言ってわかりません。きっと,将来の私の生活がそれを教えてくれるような気がします。
    (西サモア青年海外協力隊派遣25周年記念文集 一部略)

サモアから学んだこと

 「サモアの柔道選手が一人,シドニーオリンピックに参加することになりました。」その電話は,この夏,私にとって何よりうれしい出来事でした。サモアのあの暑い柔道場が瞼の裏を駆けめぐり,同時に目頭が熱くなるのを感じました。そして,シドニーオリンピックの開会式,私のカウンターパート(助手)であったセミ・エパティがサモアの役員として入場してきました。日本で何人の人が彼に注目したでしょう。サモアから帰国して10年目を迎えたこの年,4代目サモア柔道隊員が,サモア人選手一人を連れてシドニーに向かいました。青年海外協力隊初代柔道隊員として,サモアに派遣された平成元年12月には考えも及びませんでした。私が,駆け抜けたサモアでの2年3ヶ月,いったいサモアは,協力隊は,何を教えてくれたのでしょう。サモアより帰国するときに書いた文集に,「将来,私にとってサモアでの生活とは?,また,ボランティアとは?の答えを知ることができるでしょう。」と記されています。
 サモアでの生活,それは,私が,日本人が,忘れかけていた「生活」そのものでした。サモアに着いて,村でホームステイをしたときに感じたあの懐かしさ,そう私が子どもの頃,いなかの祖母の家で感じていたあの懐かしさに似ていました。日本に比べたら,水がない,布団がない等不便さばかりですが,そこには,微笑み,あいさつ,もてなし,そして暖かい会話がありました。なにかに抱かれて過ごす安心がそこにはありました。まるで,映画「トトロ」に感じるあの古き良き日本そのものでした。私は,サモアを幸せにするために行きましたが,実際は,サモア人の方が私より幸せそうでした。著書「パパラギ」の中で物質文明を批判したサモアの酋長ツイアビ,彼は,人間の幸せを誰よりも知っていたように感じました。
 
 ボランティア,それは,他人の喜びが自分の喜びになることでした。サモアでの最初の時期は,「協力しに来たんだ!」という気持ちが強く,活動もうまく行きませんでした。協力するには,協力してもらわなければならないことを感じたとき,対応が変わりました。それは,何かをサモア人に要求するときにほんのひとこと「ファーモレモレ」と付け足したのです。それは,「お願いします。」ということばですが,それから活動は順調に発展していきました。そして,いっしょに活動するサモア人の笑顔が,私に喜びを与えてくれるようになったのです。人は一人では,幸せを感じることはできないこと,対等の人と人とのふれあいの大切さを知らされたのです。
 私は,サモアに柔道を教えましたが,サモアは,私に「生活」と「幸せ」を教えてくれました。サモアの第二国歌とされる「ウィーアーサモア」に,「ティーチ ザ ワールドヒューマニティ」という歌詞があります。私にとってボランティア活動とは,まさに人間性を取り戻してくれる旅だったのです。
 
追伸 
茨城大学柔道会より援助してもらった柔道着で活動は始まり,私の任期中は,警察での指導から小中高の児童生徒,一般人々へ活動を広げ,級検定の実施,国内大会の開催,国際大会(クイーンズランド国際)参加等を行ってきました。あれから,最初の国際大会に参加した2名の内1人(リチャード・アレ)はその後オセアニア選手権で2度の銅メダルを獲得(これがサモア柔道の最初のメダル),サウスパシフィック大会金メダル獲得,ベラルーシの世界選手権に参加等活躍しました。その彼も今は,30才,警察官として東ティモールに派遣されていると聞きました。今回シドニーに参加した選手は,ウォーターハウスといい,私の帰国した年に柔道教室に参加したそうです。そして,現在は上記の2人が2段の認定を講道館から得,さらに初段も5~6人いるそうです。この10年はサモア柔道にとっては大きく飛躍した年になりました。これも茨城大柔道会の援助が活動の立ち上げの一番大事な時にあったおかげだと今更ながら思い知らされました。先輩方の先見性と協力に感謝申し上げます。

青年海外協力隊(柔道)活動年表(平成元年12月~平成4年2月)

平成元年(1989)

     1月      1次試験
     2月      2次試験(面接)
     3月      合格発表
     4月
     5月
     6月
     7月
     8月      柔道講習会(3週間合宿) 於:講道館
     9月      事前訓練開始(3ヶ月合宿)
    10月
    11月      事前訓練終了
        下旬  日本出国
 
    12月      西サモア到着(途中ニュージーランド大使館を訪問する)
              サモア語講習(1週間)・アオポでの現地訓練ホームステイ(3週間)
平成2年(1990)
     1月      青年文化スポーツ省配属                   支援機材の申請(柔道衣) 
             サイクロン「オファ」来襲(100年ぶりの台風、2泊3日間、最大風速55m) 約1ヶ月間ライフライン寸断
     
     2月      柔道普及計画作成
              警官との事前練習会開始(~3月末)
     3月

     4月      第1回オリエンテーション(アピアパーク)
              高校生クラススタート(週3回)  於:アピアパーク体育館 レスリングマット

     5月      ポリスクラススタート(週2回) 
              シニアクラススタート(週1回)
              中古柔道衣8着到着(茨城大学柔道会より)

     6月      練習場が、アピアパークから警察署へ移動(レスリングマット利用)
              支援機材として柔道衣40着到着(JICAより)<申請から約5ヶ月>
              支援機材(柔道マット、色帯、得点板等)申請
              
     7月      練習場が、警察署からJICA事務所会議室へ(レスリングマット利用)
              新ポリスクラススタート(週1回) 

     8月
     9月
    10月
    11月
    12月

平成3年(1991)
     1月     IOC柔道セミナー(1週間) アピアパークにて(講師:パトリック・マホーン氏)
             大会最終日 大会を開催 シニアの部は、警察官が圧勝
            支援機材(柔道マット等)到着(JICA)<申請から7ヶ月>
     
     2月     シニアクラスが週3回へ(生徒からの要望)
            中古柔道衣40着到着(茨城大学柔道会より)
             支援機材(クッションマット)到着→道場設営開始
            JICA事務所 「道場開き」 

     3月     第1回昇級審査

     4月     ジュニアクラススタート(週3回)

     5月     入門料徴収開始(ジュニア5タラ、シニア10タラ)
             第2回昇級審査

     6月     独立記念日パレード参加
            第1回西サモア柔道大会開催(兼クイーンズランド国際柔道大会選考会)
              シニアクラスの生徒が優勝
            海外遠征資金集め開始(~9月上旬まで) 

     7月     ポリスクラスが週2回へ(警察署長からの要請)
            第3回昇級審査

     8月
     
     9月    9/14クイーンズランド国際柔道大会へ参加(-86kg、+95kg、無差別)選手2名派遣
             於:オーストラリア ブリスベン

    10月

    11月    第4回昇級審査
            3ヶ月の延長決定

    12月    サイクロン「ヴァル」来襲、3泊4日 最大風速75m  
           第2回西サモア柔道大会 2月に延期

平成4年(1992)  
     1月    第5回昇級審査

     2月    第2回西サモア柔道大会(兼オセアニア選手権選考会)開催
            帰国 

派遣前訓練(語学のダニエル先生と)

Daniel

独立記念日のパレード

Parade

シニアクラスの生徒たちと

Seniorclass2

寝技の指導中

Groundtechniqe

サイクロン「ヴァル」の被害

Val2

柔道協会主催のお別れ会(隣は会長)

Farewellparty1

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