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TOSSランドNo: 2210022 更新:2013年08月24日

感動の道徳 「中村久子の生き方」


乙武洋匿著「五体不満足」の表紙の写真を提示。(人物部分A4大に拡大)

指示1:

この写真を見て、思ったこと、感じたことを書きなさい。

「うれしそう」であるとか「電動車椅子のこと」について出てくる。

中村久子の写真(着物を縫っている写真)を提示する。

指示 この写真を見て、思ったこと、感じたことを書きなさい。

「暗そう」とか「何をしているのか」が出てくる。

説明1:

実は、この写真の人も乙武くんと同じで両手両足がないのです。
 
この写真は口で着物を縫っているところなんです。(板書・中村久子)中村久子さんは、明治30年に飛弾高山に生まれ、3歳のときに突発性脱疽が原因で両手両足を切断したのです。生涯、両手両足がないまま生きたのです。昭和43年に71歳で亡くなりました。

 

発問1:

発問 では、中村久子さんができなかったことは、次の内でどれでしょうか。
        ①ハサミを使う。
        ②子どもを生む。
        ③包丁を使う。
        ④掃除をする。

説明2:

実は、全てしていたのです。普通の人と同じように生活できたのです。乙武くんと同じですね。

発問2:

さて、乙武くんは大学生ですが、中村久子さんは、20歳からあることをして働いていました。次のうちでどれでしょう。
        ① 着物を縫って働いていた。
        ② 見せ物小屋で働いていた。
        ③ 絵や書を書いて働いていた。

この発問をしてから見せ物小屋の説明を入れた。「芸や技を観客に見せる小屋のことです。」と言った。
最初の写真が「着物を縫っている写真」だったので、①を5名、③を3名が選んだ。②はだれも選ばなかった。

説明3:

説明  実は、どれも正解なんです。しかし、お金をもうけていたのは主に「見せ物小屋」だったのです。見せ物小屋で、お裁縫や編み物、刺繍を芸として見せてい ました。23年間もそこで働いたのでした。

発問3:

お裁縫や編み物はだれにならったのでしょうか。

これはお母さんとすぐに出てきた。

説明4:

お母さんです。11歳の頃からいろんなことを母から教えてもらいます。

発問4:

まず最初に教えてもらったのは、何の使い方だと思いますか。次の中のでれでしょう。
    ①はさみ
    ②ほうちょう
    ③編み物

ここで、なぜそれを選んだか発表してもらった。
「包丁は危険なので最初に教えてもらったのではない。」
という意見や
「はさみはもっと早くできるようになっていた。」
という意見が出た。

説明5:

説明 ハサミの使い方なんです。手もない、足もない久子が「できない」と言うと次のように言ってお母さんに叱られたこともありました。
「できないからと言って、やめてしまったら人間は何にもできません。どんなことでもしなければならないのが人間なのです。できないことはないはず。やらねばならんという一心になったらきっとやれるものです。できないというのは横着だからできないのです。このほどき物をしなさい。」

発問5:

久子が、もし、ここであきらめていたらどうなっていたでしょう。

これはすぐに「できなくなっていた」と出てくる。

説明6:

そうですね。何もできなくなっていたのです。
 
あきらめなかったから、それ以後、久子は洗濯や掃除、包丁を使うことなど、いつのまにか家の仕事はすべてできるようになったのです。
 そして、結婚して2人の子どもも生み、育てたのです。
 後に中村久子さんの娘さんが次のように言っています。
「わたしがこの世に生を受けたとき、すでに母の両手、両足はかく、手のない母、足のない母に育てられました。ですから、それが当たり前ー母は口で何でもする。それは手がないから当たり前なんだと、見過ごしてまいりました。服も着物も、全部母が口でつくろってくれました。「破れちゃった」「ホックがとれちゃった」「ボタンがなくなちゃった」と言って、母の前に出しますと、母は「そうぉ」と笑って朝学校行くまでに、きちんと直してくれていました。」

 

発問6:

こんなこともありました。ある時、久子は道ばたで片腕のない男性が物乞いをしているのを見ました。このとき久子がしてことがあります。どんなことをしたでしょう。

「お金をあげた。」「話をしてあげた」が出てくる。
しかし、意見を言っているうちに一人だけ「しかった。」と出てきた。

実は、「お金を投げ与えた」のです。しかし、次に久子はその男性を「そのざまは何事か」と大きな声で叱ったのでした。
 
このように、久子は前向きにそしてひたむきに勇気を失わずに生きたのです。

発問7:

昭和12年に久子はヘレンケラーと対面しています。ヘレンケラーはこのとき久子の体にさわり「わたしより(  )な、そしてわたしより(   )な人」と言い熱い涙を流して久子をぎゅっと抱きしめました。

 さて、(  )にはどんなことばが入るでしょうか。

えーあのヘレンケラーと・・と驚く子がいる。
(ちいさな)と(大きな)とか様々な意見が出てくる。全ての意見を「すばらしい。これでもいいですね。」と誉める。

説明7:

わたしより(不幸)な、そしてわたしより(偉大)な人」と言ったのです。

指示2:

今日の授業の感想を書きましょう。

児童の感想

両手両足がないのに、それ以上なんでもできてすごい。中村さんのお母さんの一言がなかったら何もできないと思う。 (5年男子)
 
久子さんの生き方や、前向きな進み方がわかった。自分よりひどくない人に叱ったなんてすごい。(5年女子)
 
中村久子さんが、あのヘレンケラーと会ったなんて知らなかった。人間どんな障害があっても、それはまわりの環境次第でどうにかなると思う。特に久子のお母さんは、ヘレンケラーのサリバン先生みたいな人だったんだろうと思う。ほんとにこの人がいなければ久子さんは、なにもできなかったと思う。(5年男子)
 
手足が短いのにわたしたちのしていることが普通にできるのはすごい。でも、その分だけくろうしたと思う。この久子さんのことを聞いていると、誰かが言っていたようにかわいそうだとは言えない。(6年女子)
 
中村久子さんが、ヘレンケラーに会っているのにびっくりした。手や足が短いのにいろんなことができて、普通の人のように子どもを出産したことがびっくりし、感心した。(6年女子)

中村久子さんは、手足がないのに、普通の人みたいに家事をしていたり、ぬいものや絵や書を書いたり、働いたりしてすごいなと思った。はさみやあみものや包丁を使ったりしてすごい器用だなと思った。(5年女子)
 
とても感動した。不自由な人の気持ちがわかった。手足がないのに、ほとんどのことをやっていた。不自由の人の中で中村久子さんは、人一倍仕事をしたと思いました。(5年男子)

手や足がないのにふつうの人と同じ生活をしていたのがとてもすごいと思った。久子さんのお母さんはおこってえらいと思うし、久子さんもその男の人におこったのはとてもえらい。 (6年女子)


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