TOSSランド

コンテンツ登録数
(2019/08/21 現在)

21650
TOSS子どもランド TOSSオリジナル教材 TOSS動画ランド TOSSメディア TOSS-SNS TOSS公式(オフィシャル)サイト
TOSS子どもランド
TOSSランドアーカイブ
TOSSランドNo: 7256543 更新:2013年08月24日

向山型社会の全体象-原典を疑え-


A 脅威の向山洋一社会科指導一覧

東京学芸大学付属世田谷中学校教育実習生時代

1 社会科第2学年指導案(世界史)「第1次大戦と日本」【文字資料】

1967年向山氏は23歳であった。指導案には、授業最初の15分が問答と書いてある。終わりの20分が講義となっている。教育実習当時は、討論にはまだ至っていない。
授業開始15分の子どもとのやりとりは、1967年2月14日(火)2時間目の飯塚先生の授業の影響とも考えられる。その日の実習簿に向山氏は次のことを書いている。
発表という形式はやりにくいにちがいない。自分で教えた方が、簡単だろう。
しかし、『教育』という事を考えるとき、子供達の発表は、きっと大切な事だと思う。
僕は、教師になったら、問答、討議、発表といった教育方法を、深めてみたいと思う。
先生だけの講義では「教育」はできないと僕は思う。その意味で、今日の授業で、生徒の発表を見られたのは大変よかった。
 現在の指名なし討論の原点がここにあると考えられる。
(参考文献:向山洋一年齢別実践記録集第1巻65〜76頁参照)

2 農家の仕事と新しい農村【文字資料】

1967年9月22日(金)3校時の指導案である。目標が次の様に書かれている。
共同経営の現実の条件と、その問題点を青森のリンゴの共同化、森田村の事例を通して具体的につかませる。
 また、指導上の留意点に次のことが書かれている。
津軽平野にリンゴの生産が集中する理由についてできたらふれる。
 教師修業十年33〜35頁に「何故、青森県が日本一のリンゴの生産地になったのか」の授業が載っている。“実は昔、ぼくは、教科書に「気候が適しているため」という文があったのを変に思って、一週間位かかって調べたのだった。ほとんどどこにものっておらず、青森県史の中に見つけたのである。”とある。教育実習時代の教材研究が原点になったと考えられる。
(参考文献:向山洋一年齢別実践記録集第1巻140〜141頁、教師修業十年33〜35頁)

3 日本の工業【文字資料】

1967年9月26日(火)4校時、27日(水)4校時、29日(金)3校時の指導案である。授業の概要は次である。①工業で何を学びたいかを発表する。②工業について何を学びたいかを発表する。③工業を学ぶ道筋について話し合う。④工業と私たちのくらしの関連について理解させる。
(参考文献:向山洋一年齢別実践記録集第1巻150〜151、154〜157、160〜161頁)

大森第四小学校時代

4 三年社会「私たちの大田区」【映像資料】

1968年11月1日(金)の社会科の授業である。向山氏は新卒1年目、25歳である。導入で、一時一事の原則を使いこなしている。現在の指名なし発表・指名なし討論は行っていない。しかし、授業全体で70を越える児童の発言がある。新卒の頃から向山学級は異次元だった。
(向山洋一秘蔵CDシリーズ2 三年社会「私たちの大田区」参照)

5 視聴覚教育研究協議会中間報告・安全なくらし【文字資料】

1968年11月11日(月)、向山氏は新卒1年目、25歳である。
あらゆる学習は常に討論の状態になろうとあこがれる
と書かれている。(向山洋一年齢別実践記録集第1巻40頁より引用)
 また次の文もある。
発言をする児童の数は、全体を通して20名〜29名(学級児童数32名)をつねに保っていた。
そのため、大半の授業は、45分の中40分ぐらいを児童同しの意見の交換ということになった。
この頃から向山氏の授業は驚異的であった。(向山洋一年齢別実践記録集第1巻49頁より引用)
 また、発表はクラスを8班に分け、発表させていた。
(向山洋一年齢別実践記録集第1巻37〜61頁参照)

6 視聴覚的教材を活用して学習効果を高める指導法について【文字資料】

1969年の社会科の指導案である。向山氏は当時4年担任、25歳であった。“写真・統計図表を分析して、二期作の立地条件を考察する学習”を提案している。授業では以下の資料がOHPで提示されている。①二期作風景(写真)②気象図 ③台風侵入図 ④地形図。資料を活用し、二期作が行われるにいたった自然条件を考えさせている。
(向山洋一年齢別実践記録集第2巻185〜187頁参照)

7 社会科指導案「追求力を高め持続させる用件は何か」日本の農業【文字資料】

1970年7月9日(木)第5校時、向山氏は26歳であった。向山氏は当時5年生担任である。
①日本の農業が「二重構造」と呼ばれるほどの重多大な問題を有しているのは誰しも認める所である。その二重構造を打破すべく出された@構造改善事業」農業基本法の推進も、必ずしもうまくいっていないのは、マスコミ等に報道されている所である。貿易の自由化、経済の高度成長ともからみ、決して日本の農業の未来は明るくはない。それが農業人口(特に若年人口)の減少、過疎地帯の発生を生み出していることは、あまねく知られている。
②本校の児童は、京浜工業地帯の片隅、中小工場の密集地にその生活を送る関係上、農業については、わずかの知識を持つのみで、概念的な認識の域を出ない。(しかし、工業の問題は、他方において農業の問題であり、過密の問題は過疎の問題でもあるという内的関係は有している。)
③以上の点からして、本単元をあつかう場合は、できるかぎり農業の実態を知らせることと、農業の問題は単純に解決するものではないという問題意識を常に持たせ続け、その上で、それを解決する努力を学ばせる必要があるように考える。
(向山洋一年齢別実践記録集第2巻190〜191頁より引用)
 向山氏の視点は常に大きく、日本社会が直面する現実の問題に正対している。これは、現在の“領土問題”に関する授業などでも同じである。
(向山洋一年齢別実践記録集第2巻190〜205頁参照)

8 低学年社会科の課題【文字資料】

1971年2月25日(木)、京浜教育サークルに提案された。向山氏は27歳であった。1年生、2年生の社会科の目標について提案している。
(向山洋一年齢別実践記録集第5巻30〜31頁参照)

9 授業・地球の歴史【文字資料】

 1971年6〜7月、向山氏は当時27歳。人間の歴史の前に、地球の歴史の授業をしている。教科書を離れた内容で、壮大なテーマの授業であったと子どもらの感想文から推測される。
(向山洋一年齢別実践記録集第4巻44〜59頁参照)

10 社会科プリント・テスト 自然破壊・戦争について【文字資料】

1971年8月11日(水)、向山氏は27歳であった。朝日新聞(夕刊)の記事「自然破壊の代償 富士山有料道路に土砂くずれ 樹木の立枯れ響く 根腐れで土止めきかず」を題材にして、次の様に書いている。
自然のじゅんかんについての学習を“地球の歴史”の中でふれた。そして自然の法則のきびしさはどこにでもつらぬかれているということを。その例として富士スバルラインの例をあげ、自然の法則を無視したこの道路は、必ず自然のしかえしをうけるだろうと予告した。それから一ヶ月、早くもそれはあらわれた。君たちが学習したことのたしかな証拠として、プリントする。
(向山洋一年齢別実践記録集第4巻10〜11頁より引用)
 向山氏の視点は常に最先端の日本社会が直面する現実の問題に正対している。

11 自然地理学入門Ⅱ<四年>【文字資料】

1972年9月8日に京浜教育サークルに提案された。向山氏は28歳であった。提案内容は小学校1年生から小学校五年生までの指導計画が提案されている。圧巻の内容である。
(向山洋一年齢別実践記録集第5巻14〜29頁参照)

調布大塚小学校時代

12 六年一組学級憲法 6年【文字資料】

1978年5月24日(水)の6年1組学級通信『スナイパー』に掲載されている。向山氏は当時34歳であった。子どもたち各々の描く6年1組学級憲法が掲載されている。『スナイパー231号』には、向山氏の6年1組学級憲法が掲載されている。
向山私案
①6年1組は、向山洋一による専制(先生)支配の学級王国である。
②生徒はいかなる命令・指示とも服さなければならない。
③専制(先生)君主は、司法・立法・行政の三権をあわせ持ち、権限を行使する。
④法律のしばしばの変更は防げない。「うるせぇ~」(防音防止条例発令)→「何か言え!」(同・解除)
 (『授業の腕をみがく146〜152頁』・『向山洋一年齢別実践記録集第13巻58〜65頁』参照) 

13 社会科学習指導案研究経過資料(工業地帯)【文字資料】

1980年10月28日(火)、向山氏は当時37歳であった。工業地帯の条件では「仮説化の能力」の分析が行われた。「仮説化の能力」の意味内容を向山氏は次のように限定している。
「〜であれば工業地帯である。(になりやすい)。」「工業地帯であれば、〜である。(見られる。)」という説を創ることができる。
但し、次の条件をつけ加える。
① 自分で調べて証明できると考えられるもの。
② 本などを見てはならない。
 仮説化の能力について、36名の児童について、項目をプロット、一覧表をいくつも作成し、仮説化の能力について検証している。圧巻の授業である。
(向山洋一年齢別実践記録集第19巻66〜81頁参照)

14 卑弥呼はどこにいたかーまぼろしの邪馬台国 6年【文字資料】

 1981年6月上旬、6年3組向山学級で実践された授業だ。向山氏は当時37歳であった。魏志倭人伝の原典から、邪馬台国がどこにあったか推測する授業であった。向山氏は常に原典の資料当っている事がこの授業からもわかる。
『向山洋一年齢別実践記録集 第19巻』182~197頁

15 大田区研究推奨校 社会科研究経過資料(歴史授業)【文字資料】

1981年12月3日(水)第5校時「福沢諭吉と人間へのめざめ」の研究授業を行っている。当時向山氏は37歳だった。 研究の中で、歴史の授業の流れを構想している。 

(1)前の時代の特徴をひとことで言いなさい。
   【例】御恩・奉公
(2)今の時代の特徴をひとことで言いなさい。
   【例】下剋上
(3)この時代を代表する人を一人選びなさい。
   【例】豊臣秀吉
(4)この人は時代をどのように生きようとしましたか。できるだけ簡単に述べなさい。
   【例】戦いの中で生きて、天下統一をしようとした。
(5)(4)を証明するできごと、エピソードを5つ述べなさい。
   調査(個人)→班ごとに表にする。(KJ法)
              ↓
          最も象徴的なことを一つ選ぶ。
              ↓
          発表する。
              ↓
          他の班との違いを
(6)この時代について、誰か一人を選んでその人を通して説明しなさい。

(向山洋一年齢別実践記録集第19巻13頁より引用)
 どの歴史の時代においても追試可能な歴史の授業の流れを書き出している。1984年に行われる有田氏との立ち会い授業「江戸時代の人口」が発表される3年も前の段階で、完成度の高い授業構想ができていることに驚かされる。

16 水道の授業【文字資料】

1982年4月23日、38歳 での実践だ。普段の授業の記録が文字資料として残っている。『授業の知的組み立て方』72〜106頁に掲載されている。驚異的なのは、最初の指名なし発表の指示が残されていることである。対応も残っている。導入で仕掛ける授業の代表例といえる授業だ。

17 立ち会い授業「江戸時代の人口」【映像資料】

1984年12月1日、向山氏は当時41歳であった。同年に教育技術法則化運動が発足し、その直後の授業であった。授業の名人、有田和正との立ち会い授業により、名人芸の授業と法則化の授業が対比されている。
(『教え方のプロ・向山洋一全集13教師に衝撃が走った「立ち会い授業」』参照)

雪谷小学校時代

18 パイナップル 【文字資料】

1989年の実践。パイナップルの実り方、パイナップルの切り口、パイナップルの甘い場所。どれも子どもたちに知的興奮を与える発問ばかりだ。調べ学習へもつなげやすい教材である。
(『教育トークライン』東京教育技術研究所(1990)(1993、7)参照)

19 雪国のくらし 【映像資料】

1990年3月2日(金)、向山氏46歳の実践である。「雪国の人は損をしていないのか」というテーマで授業は展開された。授業冒頭で「雪国の人は損をしていると思う人、手を挙げてごらんなさい。」「損をしていないと思う人。」と指示をし、子どもに手を挙げさせたことで、子ども自身が自分の意見を確定して授業に臨むことができる組み立てが鮮やかだ。
(ビデオ『向山社会科授業 雪谷小4年「雪国のくらし」』参照)

20 「新聞の読み方」の基本を教える【音声資料】

1991年1月8日(火)、向山氏47歳の実践である。新聞の読み方を通して、「情報を読み取る」とはどのようなことをいうのかを示した貴重な提案授業だ。
①日付
②出展
③タイトル
連載記事の場合、④シリーズの何回目か
⑤定義を扱う
【例1】「酸性雨」とはひとことで言って何ですか。
【例2】「酸」とは何ですか。
【例3】「酸」に反対する語は何ですか。
⑥本文範読する
言葉の定義をひとことで端的に言わせること、言葉を絞り込ませること、反対の概念を考えさせることを通して、定義させるお手本と言える授業だ。
(向山洋一デジタルアーカイブシリーズ授業篇【2】社会科授業の方法2~15頁参照)

21 地球環境教育「オゾン層の破壊」【音声資料】

1991年1月21日(月)、雪谷小学校5年生で授業参観で行われた授業である。向山氏、47歳の時の実践だ。
一つの社会科っていうのはね、絵だとかグラフだとか見てね、何かが言えたり考えられたりするのは大事な事ですね。割り込んででも意見言いなさい。席同じとこにずーっと座っているのがいいってわけではないんですね。動いたほうがいいんですね。
(向山洋一デジタルアーカイブシリーズ授業篇【2】社会科授業の方法第4巻75頁より引用)
向山学級では、子どもたちが自由に教室を動き回ったり友達と相談したり、資料を見に行ったりすることがよいこととされていた。内部情報が蓄積されるからこそ、ダイナミックな討論へと発展するのだ。
(向山洋一デジタルアーカイブシリーズ授業篇【2】社会科授業の方法第4巻参照)

22 写真(類)読み取り意見分類表―雪小モデルと環境サイクル図【映像資料】

1991年1月28日(月)に行われた研究授業だ。向山氏、47歳の時の実践である。
写真読み取りをして出た子どもの意見を「雪小モデル」という分類表を元に明確に評定した授業だ。また、同じ研究発表の中で、環境サイクル図も扱っている。日本の教育界において、極めて価値の高い提案を1つの授業で同時に行ったのである。驚愕の事実である。

23 「EMサイクルの授業」実践発表【映像資料】

1994年11月7日(月)の研究授業実践である。環境サイクル図でも使った「サイクル」という考え方をEMにも転用している。サイクルとは、①「輪っか」②「輪廻」③「循環」という考え方で良いと定義している。また、EMを授業する上で大事なことは、一つは地球上の大きなサイクル、もう一つは人間と自然界とのサイクルと定義している。深い教材研究をした上で、端的でわかりやすい言葉で定義するところがさすが向山氏の腕前である。
(『向山洋一の環境教育』82~87頁参照)

池雪小学校時代

24 北方領土問題【映像資料】

1998年4月19日(日)、京都リサーチパークでの授業だ。向山氏は当時54歳であった。その日はロシアからエリツィン大統領(当時)が来日しており、北方領土返還が大きなテーマになっていた。そこで、向山氏はペリー来航の時の日本人の対応を授業しようとしていたが、エリツィン来日もあった、急遽、北方領土問題の授業をしたのである。
 授業の概要を考える。

 ①実態調査
それでは、北方領土が日本のものであるということを先生方は生徒に教えると思うのですが、どの程度に本のものであるかという根拠を示してお答えいただきたい。五種類いいますので挙手してください。
一番目、北方領土は絶対に完全に100%日本のものである。100%根拠があると思う人です。
二番目、根拠はあるが、若干弱い部分もあるので、90%程度は日本のものであろうと思う人です。
三番目、北方領土は、ロシアにも言い分があり、その言い分の中には、若干認められるものもあると思う人です。つまり、70%ぐらいは日本の領土だと思う人です。
四番目、北方領土はどっちもどっちで、それぞれに言い分があると思う人。だからまあ50%。日本びいきからいって50%ちょっとぐらい。
五番目、いや、北方領土は完全にロシアに言い分があると思う人です。
 
②条約など、事実の資料に基づき判断するという流れで行われた。このときは「日露通好条約」「カイロ宣言」「ポツダム宣言」「日露和親条約」が資料として用いられた。この授業スタイルは後の領土問題を授業する上での授業の基本型と言える授業スタイルである。
(『学校は蘇る! 子供が変わる魔法の授業とは!』向山洋一(扶桑社)24~35頁参照)

25 ぺリー来航―日本人の気概【文字資料】

北方領土の授業とセットで行われた授業である。ペリー来航の授業も①実態調査から始まっている。
黒船が来た時、当時の日本の国政を預かる、幕府のあるいはその末端にいる人々はどのように感じただろうか。三択で考えてもらいます。
A、黒船の来航の意図そのものがわからない。
B、びっくりしておろおろした。
C、すごいのを持って来たが、それを真似してつくってしまえ。
 次は②事実の資料に基づき判断するパーツである。ペリー来航当時の「江戸の町並みの写真」、役人が黒船に入り、「船の設計図」を描いているという2つの事実を示し、最後にもう一度最初の発問をした。わずか20分の授業で会場の意見が変わった授業であった。
(『学校は蘇る! 子供が変わる魔法の授業とは!』向山洋一(扶桑社)35~55頁参照)

B TOSS大阪しあわせサークルでの完全コピー追試研究会

1 完全追試一覧表

<第1講座> 【東京都水道の授業】
[必要なもの]  一升瓶
[参考資料]   『授業の知的な組み立て方』p73(1982、4)

<第2講座> 【写真(類)読み取り意見分類表―雪小モデル】
[必要なもの]
[参考資料]   『東京都大田区立雪谷小学校研究紀要』(1991、1)

<第3講座> 【「新聞の読み方」の基本を教える】
【伸びやかな討論 社会科見学のおかし】
[参考資料] 向山洋一デジタルアーカイブ「社会科」など
   
<第4講座> 【地球環境教育「オゾン層の破壊」】
[参考資料] 向山洋一デジタルアーカイブ「社会科」など

<第5講座> 【雪国のくらし 4年】
[必要なもの]
[参考資料]   『向山洋一の環境教育』教育技術の法則科運動中央事務局編(1997、8)

<第6講座> 【自然地理系統案―京浜教育プラン】
[必要なもの]
[参考資料]   『向山洋一年齢別実践記録集第5巻』東京教育技術研究所(1972)

<第7講座> 【工業地帯の分布】
[必要なもの]
[参考資料]   『向山洋一年齢別実践記録集第16巻』東京教育技術研究所(1980)

<第8講座> 【四民平等の社会になったか】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1981)

<第9講座> 【福沢諭吉と人間へのめざめ】
[必要なもの]
[参考資料]   『向山洋一実物資料集第7巻』明治図書(1981)

<第10講座> 【六年一組学級憲法 6年】
[必要なもの]
[参考資料]   『現代教育科学』明治図書(1981、11)
『スナイパー』『授業の腕をみがく』明治図書『向山洋一年齢別実践記録集 第13巻』(東京教育技術研究所)

<第11講座> 【身近にある切実な問題―多摩川は誰のもの 6年】
[必要なもの]
[参考資料]   『社会教育』明治図書(1982,12)

<第12講座> 【卑弥呼はどこにいたかーまぼろしの邪馬台国 6年】
[必要なもの]
[参考資料]   『社会教育』明治図書(1983)

<第13講座> 【江戸時代の人口 6年】
[必要なもの]
[参考資料]   『授業研究』明治図書(1984)

<第14講座> 【やしの実~パイナップル】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1990)

<第15講座> 【なぜりんごはとれるようになったのか】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1993、5)

<第16講座> 【パイナップル(雪谷小4年1989)】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1993、7)

<第17講座> 【EM・サイクル図(新潟・上海など)】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1994)

<第18講座> 【写真から読み取る(上海1996)】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1996、9)

<第19講座> 【ぺリー来航―日本人の気概(池雪小6年生1998】
[必要なもの]   写真 (現在北海道の宮崎先生に問い合わせ中)
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1999、4)

<第20講座> 【エネルギー教育(那覇1999)】
[必要なもの]
[参考資料]   『教育トークライン』東京教育技術研究所(1999、7)
※第4講座まで完全追試済 第5講座以降は実施予定講座
参考文献:谷和樹著作集No.1 p.170

2 デジタルアーカイブと雪小モデル映像分析-原典を疑え-

本指導案A-22、写真(類)読み取り意見分類表―雪小モデルと環境サイクル図【映像資料】の授業について述べる。
 この授業が行われたのは、1991年1月28日である。右の写真1はその映像をキャプチャーした写真だ。向山氏がゴミの写真を当時、最先端のカラーの拡大機で拡大して、提示している。
 研究紀要には、『ウータンの別冊』から写真をとってきたことが書かれている。大阪府立図書館に行って、ウータンの別冊をすべて調べたが、どこにも載っていなかった。別冊ではない、ウータン全てを調べたがそれでも載っていなかった。しかし、向山氏のゴミの写真に近いゴミの写真は入っていた。それが左の写真2である。念のため、向山氏が編集者に問い合わせて、特別に写真をもらった可能性を考え、1991年以降のウータン、ウータン別冊も調べたがない。編集者に問い合わせても、左の写真しか使われていない。よって、ウータンにはないと確信した。
 次にウータンでない可能性を考えた。私はニュートンを調べた。すると、出て来た。それが、右の写真3である。
 写真1の向山氏が用いた写真と同じ写真である。更に追求してみる。教室ツーウェイに次の事が書かれていた。研究所が新しくなって、そこにカラーコピー機が入った。雪谷小の写真読み取りの写真はすべてこのカラーコピー機で行われた。カラーコピー機の担当は編集長の向山氏である。コピーしている向山氏の写真が載っている。向山氏が手に持っている写真は、ウータンの写真2である。つまり、向山氏はウータンの写真を使おうと思っていたと推定できる。ニュートンの1991年1月号に新しい写真が載っていたので、使う写真を直前に変えたのだ。よって、ウータンの写真2もコピーしてあったのだ。
 更に、追求する。『デジタルアーカイブシリーズ2社会科授業の方法第5巻』は研究授業の約一ヶ月後の1991年2月23日の授業である。向山氏は「違う写真ですが、似ている写真です」と言って写真を掲示する。恐らく写真2を使ったと推定できる。なぜなら環境系雑誌に夢の島の写真はこれ以外に無いからだ。

資料が無ければ、原典を疑い、調べ尽くすことが重要である。

C 教師に衝撃が走った立ち会い授業

1 衝撃の立ち会い授業の概要

(1)日時 1984年12月1日(土)
(2)場所 筑波大附属小学校有田学級にて(小6)
(3)単元 「日本の歴史—江戸時代の人口」
(4)授業者 大田区調布大塚小学校 向山洋一
(5)1984年12月1日という時期について
 この授業は、教育技術法則化運動が始まった1984年に実施された授業である(第一回の法則化論文の〆切は同年10月20日)。全国の教師が注目した授業であった。
 『授業の腕を上げる法則』向山洋一著 明治図書出版 197〜198頁に次の事が書いてある。
法則化運動応募論文のポイントは何か?
二つに分けられる。
一つは発問・指示である。
一つは留意事項である。
このことが明瞭に示されなくてはならない。
 『授業の腕を上げる法則』の後書きが書かれたのが、1985年1月1日である。つまり、立ち会い授業の一ヶ月後である。つまり向山氏は立ち会い授業で法則化論文のポイントを意識して書いたことは明白である。
(6)研究主題
日本の歴史を理解するための資料を活用できる能力を育てる授業であるためには、どのような発問と指導をすればよいだろうか
 ここでは、指示と留意事項をまとめて「指導」としている。
(7)研究主題について
①現在私は教育技術法則化運動をすすめている。
 これは、ある限定された授業の場面では、よりよい教育方法・技術があるのだという仮定のもとに、全国から多くの方法・技術を集め、毎期10冊程度の規模で出版し、全国の教師に追試してもらい、修正を加え更によい方法・技術を教師の世界の中に残していくことを主眼とした運動である。
②本時の研究主題もこの立場から「歴史資料」を活用できる能力を育てる授業をめざしたものであり、「発問」と「指導」の点から、方法・技術を一般化(法則化)していくための素材であることをねらいとしている。
③本時の内容を私が授業するのは初めてである。
 本時の授業を構想するために、ヒントになったのは次の2著である。

 ・たのしくわかる『社会科6年の授業』歴史教育者協議会編 あゆみ出版
    P115.江戸時代の人口の変化(の図)……資料A

 ・『たのしい授業』1984年8月号 仮説社
    P102.人口の変化をてがかりにして見る日本の歴史 板倉聖宣

④「社会科6年の授業」の「人口の変化図」に強い疑問を持ったのがことの始まりである。しかもそこには、「資料活用を育てる」「資料を吟味する」「事実をもとに歴史を考える」などの重要な問題が含まれていた。しかし、これだけでは素材にしかすぎない。他の資料で補教し、しかも授業として組立てなければならない。とりわけ、誰でも追試できる一般手順を示さなくてはならない。そうしようと意図して本時を構成したわけであるが、成功したかどうかきびしく吟味していただきたい。
 このことからもこの授業は向山氏が示す法則化論文の範であることがわかる。
(8)本時の指導
①資料Aを配布して指示する「この資料を見て考えられることをノートに書きなさい。<数分後に数名発表させる>
②「この資料を見て『どうしてかな』『どうなっているのだろう』と思うことをノートに書きなさい。<数分後・黒板に発表させる>
③「この資料には、次の文章がついていました。へんだと思うところをとなりの人と相談しなさい」<数分後、発表させる>
④資料B(「江戸時代の人口推移」『日本の人口』関山直太郎)を配って指示する。
 「2つの資料をくらべて、へんだなと思うことをノートに書きなさい」
⑤討論を指示する。「みんなで話しあって、疑問を1〜2〜というようにまとめなさい」
⑥「疑問に対する推測をノートに書きなさい」<発表させる>
⑦「どのように確かめたらいいか、となりの人と話しあいなさい」<発表させる>
⑧いくつかの疑問について答えて残りは自分達の課題とさせる。
(9)お断わり
 以上が私の授業の予定であるが、私は「有田学級」の子供には、その日に初めて出会う。「2人で」の予定が「班で」というように変更するかもしれない。本来なら、このように発問・指示を文章化した指導案は異例なのだろう。しかし、方法・技術を一般化するためには、ぜひとも必要なことであると考えているのである。
 これはまさしく教育技術法則化運動を意識した論文であるからこそ「発問・指示」を文章化したと読み取れる。また、『教え方のプロ・向山洋一全集13教師に衝撃が走った「立ち会い授業」』149頁に次の様に書かれている。
名人芸とは何か?
それは次の四つで成り立っている。
一 教師と子どもとの応答がある。
二 子どもに対する評価がある。
三 子供の意見を選択できる。
四 子供への示唆がある。
(中略)
「法則化運動」が目指すのは「黒帯程度」「初段程度」の授業なのである。
これなら、誰でも可能である。
そのために私の授業では「応答、評価、選択、示唆」を極力排除した。
名人芸と法則化運動の授業の違いは、立ち会い授業の相手として有田和正氏がいたからこそできたことであった。
 以上のことから、立ち会い授業での向山氏の授業はまさしく「法則化運動の授業」であることがわかる。

2 原典を疑う 図説歴史6は存在するのか

1)向山氏が提示した資料の1つ目が右図の「江戸の人口の変化」(資料A)である。この資料の出典は『図説歴史6』学研となっている。しかし、いくら探してもこの学研の『図説歴史6』は見当たらない。大阪市立図書館で蔵書検索を行ったがヒットしない。次に国立国会図書館で検索してもない。次に大学図書館の全館で検索してもヒットしない。この本は実在するのだろうか。
 次に学研に問い合わせた。学研で検索してもらったがヒットしない。学研の本なのに、学研でも分からないとはどういうことなのか。
(2)向山氏は1984年12月1日、筑波大附属小学校有田学級の立ち会い授業にて、向山氏は様々な資料の元の本を提示している。例えば、『たのしくわかる社会科6年の授業』歴史教育者協議会編、関山直太郎著『日本の人口』、平凡社の『世界大百科事典』や『統計でウソをつく法』である。しかし、なぜだか、学研の『図説歴史6』だけは参考文献にあがってこない。また、向山氏も授業では次の様に言っている。
これはさっき言ったように、この本『たのしくわかる社会科6年』に出てたわけです。この本の資料のもとになったのが、学研の『図説歴史6』です。これがもしか間違えたとするならば、これのもとが間違えたということです。これのもとですから、たぶん大きな本だろうと思いまして、百科事典の一番大きいやつ、平凡社の『世界大百科』
というのがありますが、これを調べましたらば、この中に、十六年という数字が出てきます。
 「これがもしか間違えたとするならば」と向山氏は言っている。これがのこれとは、学研の『図説歴史6』である。「もしか間違えたとするならば」ということは、“学研の図説歴史6がもしも、間違えたとすれば”という意味である。つまり、向山氏は学研の『図説歴史6』を見ていないと推定できる。向山氏が見ていないということは恐らくその本を探したが見つからなかったということだと推定できる。つまり、歴史教育者協議会編の『たのしくわかる社会科6年の授業』の出典が誤植である可能性がある。
(3)歴史教育者協議会に問い合わせる。
① 歴史教育者協議会のホームページより、メール、電話にて問い合わせた。すると、歴史教育者協議会事務局長の丸浜昭(まるはまあきら)氏と連絡が繋がった。その結果、当時を良く知る佐々木勝男氏が資料の引用元を調べた。
② 佐々木勝男氏は、PHPの『日本二千年の人口史』鬼頭宏著が引用元だという。しかし、『日本二千年の人口史』は初版が1983年である。引用先の『たのしくわかる社会科6年の授業』は初版が1978年である。つまり、『日本二千年の人口史』は資料1の引用元ではない。
 歴史教育者協議会事務局長の丸浜昭氏より、鬼頭宏氏は人口学者で、その師匠の本ではないかと助言をいただいた。wikipediaによると、鬼頭氏は速水融(はやみずあきら)氏の弟子である。
 そこで、速水氏の著書で1978以前の著書を検索し、すべてに目を通したが、資料1の元は発見できなかった。
③ 『たのしくわかる社会科6年の授業』の著者に連絡する。
 1978年7月当時、東京都町田市立高ヶ坂小学校教諭であった谷田川和夫(やたがわかずお)氏に電話にて連絡をとった。しかし、「当時、学研は小学生向けの学術書を多く出していた」とのことであった。
 次に、同じく著作に関わった田所恭介(たどころきょうすけ)氏に電話で連絡をとった。しかし、電話の故障中らしく繋がらなかった。

3 平凡社、世界大百科事典は向山氏の授業後どのように変わったか?

(1)向山氏の授業が1984年12月1日である。平凡社の『世界大百科事典』は1966年に初版が発行されてから、1981年4月20日初版発行のものまでは、向山氏が授業で誤りを指摘した資料「江戸時代調査の全国人口」が掲載されている。しかし、次の1988年4月28日初版発行のものからは「江戸時代調査の全国人口」の資料は掲載されていない。向山氏の授業が平凡社の世界大百科事典を変更させたのである。
(2)発行年と掲載について
①1966年初版発行
 人口のページは第12巻の36頁からだ。40頁に「第1表 江戸時代調査の全国人口」が掲載されている。
②1972年4月25日初版発行 1972年版
 人口のページは第16巻の68頁からだ。72頁に「第1表 江戸時代調査の全国人口」が掲載されている。
③1981年4月20日初版発行 1982年印刷
 人口のページは第16巻の68頁からだ。72頁に「第1表 江戸時代調査の全国人口」が掲載されている。
④1988年4月28日初版発行 1992年印刷
 人口のページは第14巻の288頁から291頁までだ。しかし、どこにも、「江戸時代調査の全国人口」は掲載されていない。
⑤1988年3月15日初版発行 2003年版
 人口のページは第14巻の288頁から291頁までだ。しかし、どこにも、「江戸時代調査の全国人口」は掲載されていない。
⑥1988年3月15日初版発行 2005年2月1日改訂版発行 2007年9月1日改訂新版発行 2009年6月1日2009年 改訂新版発行
 人口のページは第14巻の291頁から294頁までだ。しかし、どこにも、「江戸時代調査の全国人口」は掲載されていない。

D 向山型最先端社会科教育

1 向山氏は若き頃から現在まで最先端社会科教育を実践していた

(1)日本の農業(本指導案、A-7より)
 1970年7月9日(木)。26歳の向山氏の授業である。日本の農業の二重構造を授業している。向山氏の視点は常に大きく、日本社会が直面する現実の問題に正対している。
(向山洋一年齢別実践記録集第2巻190〜205頁参照)
(2)富士スバルラインの環境破壊(地球の歴史)(本指導案、A-9より、重要なので再掲)
 1971年8月11日(水)、朝日新聞(夕刊)の記事「自然破壊の代償 富士山有料道路に土砂くずれ 樹木の立枯れ響く 根腐れで土止めきかず」。向山氏は27歳であった。
自然のじゅんかんについての学習を“地球の歴史”の中でふれた。そして自然の法則のきびしさはどこにでもつらぬかれているということを。その例として富士スバルラインの例をあげ、自然の法則を無視したこの道路は、必ず自然のしかえしをうけるだろうと予告した。それから一ヶ月、早くもそれはあらわれた。君たちが学習したことのたしかな証拠として、プリントする。
(向山洋一年齢別実践記録集第4巻10〜11頁より引用)
 向山氏の視点は常に最先端の日本社会が直面する現実の問題に正対している。
(3)北方領土問題(本指導案、A-24より)
 1998年4月19日、京都リサーチパークでの授業だ。向山氏は当時54歳であった。その日はロシアからエリツィン大統領(当時)が来日しており、北方領土返還が大きなテーマになっていた。そこで、向山氏はペリー来航の時の日本人の対応を授業しようとしていたが、エリツィン来日もあった、急遽、北方領土問題の授業をしたのである。
 向山氏は急遽予定を変更してでも、常に最先端社会科教育を実践している例である。
(『学校は蘇る! 子供が変わる魔法の授業とは!』向山洋一(扶桑社)24~35頁参照)

2 向山型最先端環境教育

(1)夜の地球
 向山氏がNASAから借りてきた、夜の地球のポスターを使った授業である。そこから、エネルギー教育へと発展している。化石燃料があと数十年で枯渇すること、核エネルギーの再利用をすれば、あと千年はもつという事実を教えている。現在も日本が直面している最先端エネルギー課題を正面から授業している。
(2)地球温暖化
 1997年12月に京都市の国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)京都議定書が採択された。日本は1990年比6%の二酸化炭素削減を国際社会に約束した。しかし、二酸化炭素6%削減はどれほど難しいかが『旧文化教師は真っ赤な嘘を「事実」としてどう教えたのか』(2004年3月17日発刊)に掲載されている。またエネルギー教育シンポジウムを開催し、多くの教師がエネルギーについて学ぶ場をつくっている。現在ではシンポジウムは100回を越えて開催されている。

3 向山型まちづくり教育・観光教育

(1)まちづくりテキスト
 2008年10月1日、観光庁が設置された。地域の良さを子ども達に教えるためのテキストが必要であった。全国の市町村のまちづくりテキストをTOSSの教師が作った。
(2)子ども観光大使
 まちの良さを子どもが知り、広めていくシステムの一つである。エネルギー資源が少ない日本で、観光資源は貴重な資源の一つである。まちづくり教育は日本の子どもたちにとって必要な教育の一つである。向山氏は常に、日本の教育課題に正対している。

4 向山型社会貢献活動

(1)子どもTOSSデー
 地域の子ども達を集め、授業や遊びを行う。地域での交流が減った現在、有意義なイベントとなっている。
(2)親守詩大会
 親学推進の一環として、親守詩大会が全国各地で開催されている。
(3)震災復興授業実践
 震災復興授授業をTOSS教師が様々な場で行っている。また、サマーセミナーなど多くのセミナーでテーマとして取り上げられている。現在の日本に必要な最先端教育課題に常に正対している。

F 参考・引用文献

①『向山洋一年齢別実践記録集第1・2・4・5・13・19巻』
②『向山洋一秘蔵CDシリーズ2 三年社会「私たちの大田区」』
③『授業の知的組み立て方』
④『教え方のプロ・向山洋一全集13教師に衝撃が走った「立ち会い授業」』向山洋一著 明治図書出版
⑤『たのしくわかる社会科6年の授業』歴史教育者協議会編 あゆみ出版
⑥『統計でウソをつく法 数式を使わない統計学入門』ダレル・ハフ著 高木秀玄訳 講談社
⑦『日本の人口』関山直太郎著
⑧『世界大百科事典第(1966年4月20日初版発行版12巻)・(1972年4月25日初版発行版16巻)・
 (1981年4月20日初版発行版16巻)・(1981年4月20日初版発行版16巻)・
 (1988年4月28日初版発行版14巻)』 平凡社
⑨『吹塵録』勝海舟著
⑩『日本二千年の人口史』鬼頭宏著 出版:PHP研究所
⑪『授業の腕を上げる法則』向山洋一著 明治図書出版
⑫『旧文化教師は真っ赤な嘘を「事実」としてどう教えたのか』向山洋一著 明治図書出版
⑬『教え方のプロ・向山洋一全集20「授業研究」で教える力を伸ばす』向山洋一著 明治図書出版
⑭『授業の腕をみがく』向山洋一著 明治図書出版
⑮『教え方のプロ・向山洋一全集7知的追求・向山型社会科授業』向山洋一著 明治図書出版
⑯『教え方のプロ・向山洋一全集44向山型社会・研究の方法』向山洋一著 明治図書出版
⑰『教え方のプロ・向山洋一全集23京浜社会科サークル授業の原風景』向山洋一著 明治図書出版
⑱『旧文化教師は真っ赤な嘘を「事実」としてどう教えたのか』向山洋一著 明治図書出版
⑲『向山洋一デジタルアーカイブシリーズ【2】社会科授業の方法』東京教育技術研究所
⑳ ビデオ『向山社会科授業 雪谷小4年「雪国のくらし」』


0回すごい!ボタンが押されました

コメント

※コメントを書き込むためには、ログインをお願いします。
New TOSSランド