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TOSSランドNo: 9612601 更新:2013年08月21日

【修正追試】日本人の気概を育てる授業「明治の鉄道開通」(上木信弘氏原実践)


【修正追試】日本人の気概を育てる授業「明治の鉄道開通」(上木信弘氏原実践)

 2002年6月8日「第3回TOSS社会全国大会」で上木信弘氏が行った模擬授業を見て、授業コンテンツを作り、自分のクラスの6年生の児童に追試した。

1.授業の流れ

指示1:

この絵(錦絵)を見て、分かったこと、気づいたこと、思ったことをノートに3つ以上書きなさい。

「船がたくさんある。」
「人力車がある。」
「海の上を汽車が走っている。」
「和服を着ている人や洋服を着ている人がいる。」

説明1:

 この絵は、明治の初めの頃の日本の様子です。
 1872年(明治5)9月12日、新橋・横浜間に鉄道が日本で初めて開通しました。距離は29km。
 この鉄道開通に力をつくしたのが、大隈重信と伊藤博文です。
 ペリーが日本に来る1年前、長崎にロシアのプチャーチンが機関車の模型を持って きました。佐賀藩では、2年後に、技術書を手がかりに、蒸気機関車の模型を作り走らせました。その様子を17歳の大隈は見ていました。
 伊藤博文は、幕末、22歳の時にイギリスに留学しました。伊藤は、西洋文明の発展、特に工業の発達と鉄道網の発達に驚きました。
この2人が、「日本を新しい国にするには、是非とも鉄道を造らなければならない」と考え、鉄道建設の建議書を政府に提出したのです。建設に必要な資金は、現在の額で880億円。当時の政府の歳入の3分の1でした。

発問1:

 政府の中心人物は、大久保利通(イラスト提示)でした。
 大久保は、鉄道建設の提案に賛成だったしょうか、反対だったでしょうか。

賛成、反対を挙手で確認した後、理由を訊いた。
賛成…鉄道をつくるのは外国に追いつくために必要だから。
反対…お金がかかりすぎるから、今は戦争ができるようにする準備をした方がいいと思ったから。

説明2:

 反対でした。お金がかかりすぎるからです。
 大久保たちは、予算は鉄道より軍備を優先すると主張しました。それに旧幕府との 戦争で外国に莫大な借金をかかえていたのです。
 鉄道建設は正式に決定されましたが、政府内での反対者が多く、予算を確保することができませんでした。

発問2:

 大隈と伊藤は、資金の確保で悩みに悩みました。では、大隈と伊藤は、資金の確保をどのようにしたのでしょう。
  A どれだけ利益が出るか示し、国内の商人から集めた。
  B 国内の商人から半分、残り半分は外国から出してもらった。
  C 全部外国から出してもらった。
 ノ-トに書きなさい。

挙手で確認。
手が止まってしまう子は、選択するだけなので、
「書けたら座ります。全員起立。ノートに何も書かないことは一番わるいことです。」
と告げて、書かせる。
まずは、自分の意見をもたせて授業に参加させることが大切だ。
わけをそれぞれ聞いた。

説明3:

 大隈と伊藤は、鉄道建設に当たって、「鉄道臆測」という収支計画書を作りました。
 初年度の利益は、267万7000両、5年後からは毎年400万両のもうけが見込めると計算し、商人に呼びかけました。
 しかし、鉄道という得体の知れないものに金を出せないということで集まりませんでした。

発問3:

 その大隈と伊藤のもとに、アメリカ公使館の書記官ポ-トマンが現れました。
 「政府に金がないのなら、アメリカが鉄道を造ってあげよう。ただし、鉄道の運営権はアメリカのものです。」
 大隈と伊藤が、この提案を受け入れましたか。断りましたか。

 挙手で確認する。
 子供たちの意見は、丁度半々になっていた。
受け入れた派は、「丁度いい提案だから。」と言い、断った派は、「多額のお金を借りて、恩を着せられる」と言っていた。

説明4:

 断りました。鉄道を軸に、その周辺の土地が植民地になることを恐れたからです。

(修正部分)原実践では上の説明だけで、次へいってしまうが、子供たちには、非常に分かりにくい。そこで、次の補足説明を加えた。

説明5:

鉄道ができると、いざとなれば、外国の軍隊が、一気にやってくることができるし、鉄道の周辺の土地を外国が買って自分のものにしてしまうのです。当時のヨーロッパはそうやって、みんな、植民地にしていたんだ。ちゃんとそのことを伊藤も大隈も見抜いていたのです。

この説明を加えると、子供たちは口々に「すげぇ!」「伊藤博文も大隈重信も頭いい!!」と褒め称えていた。

説明6:

 資金の確保で困っていた時、イギリスが手をさしのべてくれました。イギリスは、その頃国策を変えていたのです。イギリスの植民地の国々での反乱が多く起こっていたからです。日本を植民地にするのではなく、貿易相手国として成長させようと国策を変えたのです。
 当時、明治政府に影響力の強かったパ-クスが、そして、イギリスが協力してくれたのです。資金は、イギリスのオリエンタル銀行から借りることができるようになりました。しかも、建設の主体はイギリスではなく、明治政府・日本としたのです。

(修正部分)歴史上の人物に誇りがもてるように、次の事実の補足説明を加えた。

説明7:

イギリスがこのように考えが変わっていたことも、ちゃんと伊藤と大隈は見抜いていたのですよ。

ここでも、子供たちは、「すごい!」と驚いていた。

発問4:

 お金の問題は解決しました。(最初の絵図を提示)しかし、次の難関がありました。
 土地の一部の買収が進まなかったのです。新橋横浜間の地主、薩摩藩の屋敷などが立ち退きを拒否したのです。
 では、土地の問題を、大隈や伊藤はどう解決したでしょう?ヒントは、絵の中にあります。

子供たちは、なかなか気付かなかったようだが、熱心に絵を見ていた。
「先生、前に来て、見てもいい?」と尋ねてくる子もいた。
ノーヒントで出てくればいいが、出て来なかった時には、「レールが敷いてある場所をよく見て御覧」とヒントを出してもよい。
すると、「海の上に石垣を積んでレ-ルを敷いた。」と意見が出てきた。
正解を告げると拍手が起きた。

説明8:

 50m沖合に高さ4mの石垣を組み、その上に線路を敷いたのです。イギリスの技術者エドモンド・モレルの協力を得て、全長29kmのうち10kmが海の上を走るという世界で例もない鉄道が、こうしてできたのです。

次は、開通式の錦絵を提示しながら、ゆっくりと弁士のように語る。

説明9:

 明治5年9月12日。駅には、鉄道を見に来ようと大勢の見物客でにぎわいました。午前10時、天皇陛下を乗せた1号列車は、新橋駅を出発。わずか53分で、横浜駅に付きました。歩いて10時間かかっていたのが、1時間で行けたのです。

説明10:

 後に汽車に乗った、反対派の大久保は、こう書き記しています。

「鉄道の発展なくして国の繁栄はありえない。」(「大久保利通日記」下巻)

説明11:

 蒸気機関車を発明したスチ-ブンソンが蒸気機関車の営業を始めて、わずか47年で日本は追い付いたのです。日本がヨ-ロッパの国と肩を並べることができるということを世界に見せつけたのです。その後、鉄道は日本各地に広がっていくのです。

指示2:

我々の先輩がしたことについての感想をノ-トに書きなさい。

2.児童の感想

①明治の頃に頑張った人がいたから、今の鉄道があると知って凄いなと思った。
②いろんな工夫をして鉄道を敷いたから、頭いいなと思った。


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