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TOSSランドNo: 7093449 更新:2013年08月21日

【修正追試】杉原千畝・・・6000人のユダヤ人の命を救った日本人


【修正追試】杉原千畝・・・6000人のユダヤ人の命を救った日本人(小林義典氏原実践の修正追試)

1.授業について

TOSS福井の小林義典先生の構想追試で、<杉原千畝の授業>を実践した。
修正点は、NHKの「その時歴史は動いた」と、反町隆氏が主演をした「杉原千畝物語」の映像を織り交ぜた点、後半の外務省での名誉回復、息子さんからの手紙、救われたユダヤ人本人のインタビュー映像を入れたことである。

2.実践の内容

ナチス・ドイツの迫害から逃れ,行き場を失ったユダヤ人を命懸けの行動で救った杉原千畝。戦時中のぎりぎりの場面において,人道を重んじた日本人の行為。
この行為から、子供たちに「日本人の気概や誇り」を教えるために修正追試をした。

(●写真『ガス室に消えた子どものくつ』提示)

_1

発問1:

何に見えますか?(列指名)

子供「靴です。」
子供「靴。」

説明1:

これは,ガス室に入れられて殺された子供が履いていた靴です。
1938年mヨーロッパのナチス・ドイツはユダヤ人の虐殺を始めました。
虐殺とは、人間を意図的に大量に殺すことです。国際法で、「集団殺害罪」という罪に問われる犯罪です。

※修正点
虐殺の定義については、「異常なやり方」という鮮烈性を押さえて、法律上の説明によって、淡々と伝えた。

指示1:

画面の地図で、ドイツを探してごらんなさい。

※修正点
地図帳をもっていない児童がいたので、パワーポイントにヨーロッパの地図を用意した。

説明2:

(●ヒトラーの写真を提示)
【説明】ナチス・ドイツを率いていた人です。ヒトラーといいます。

説明3:

(●ナチス・ドイツの侵略の地図を提示)
ナチス・ドイツは周りの国と戦争をし,ドイツの領土を広げていました。
この矢印は軍隊を進めた方向を表しています。

※修正点
地図帳で探す点を削除。

説明4:

虐殺されたユダヤ人は約600万人と言われています。
その中には子供が150万人含まれていました。

発問2:

ナチス・ドイツのやったことについてどう思いますか?(列指名)

子供「ひどいと思います。」
子供「残酷です。」
子供「人間のやることではないと思います。」

説明5:

1933年から,ヒトラーはドイツの首相になってすぐに,ユダヤ人を追い詰め苦しめる政策を始めました。
1941年には,ヨーロッパにいるユダヤ人を皆殺しにする計画を立てています。

発問3:

ユダヤ人はどうしたでしょうか?(列指名)

子供「逃げます。」
子供「安全な国に逃げようとすると思います。」

説明6:

ユダヤ人は安全な外国に脱出しようと考えました。
しかし,すでにナチス・ドイツが周りの国を占領していましたので,ユダヤ人を受け入れられる国がほとんどありませんでした。
多くのユダヤ人はナチス・ドイツ軍につかまり,強制収容所に入れられ,そこで死を迎えたのです。

指示2:

画面の地図でリトアニアを見つけてごらんなさい。

※修正点
ヨーロッパの地図をパワーポイントで提示。

説明7:

(●ナチス・ドイツの侵略の地図を提示)
当時,このリトアニアにいたユダヤ人にも危険が迫ってきました。
しかし,この国にいたユダヤ人には,危険から逃げる方法が一つだけありました。
日本の通過ビザをもらって外国に脱出するという方法です。

●日本領事館に訪れたユダヤ人の写真を提示

説明8:

当時のリトアニアは,ソ連に占領されていましたが,日本領事館に大勢のユダヤ人が訪れました。日本の通過ビザは日本領事館が発行することになっているからです。

発問4:

通過ビザはすぐに発行されたと思いますか。
発行されたと思う人?発行されなかったと思う人?

●杉原千畝の写真を提示

説明9:

リトアニアの首都カウナスにあった日本領事館には杉原千畝という外交官がいました。

発問5:

杉原千畝さんが通過ビザを発行するには多くの困難がありました。
どんな困難があったでしょうか。予想してノートに書いてごらんなさい。

子供「人数が多くて大変でした」
子供「ナチス・ドイツに脅されました」

説明10:

杉原さんが所属する外務省から,通過ビザを発行する条件として,次のような指示がありました。
①行先国に入る許可手続を終え完了していること
②交通費をもっていること
③日本で生活する費用をもっていること
しかし,そんな条件を満たしている人は,そう多くなかったのです。

当時ドイツと日本は日独伊三国軍事同盟を結ぶ直前だった。
従って,本来ならドイツがやっていることと反対のことを表だっては出来ない。
しかし,当時の日本は世界に先駆けて「人種平等」を国際社会に訴えていた。
ユダヤ人迫害は,日本の主張する「人種平等」に反する。
そこで,ユダヤ人であっても,日本国内の規則で公正に日本に受け入れることにした。
これは,1938(昭和13年)「猶太(ユダヤ)人対策要綱」として,日本政府で正式に決められたことである。

発問6:

しかし,領事館の前には大勢のユダヤ人がビザの発行を求めています。
ユダヤ人を襲う手はすぐそこまで迫っています。
杉原さんはどうしたでしょうか。予想をノートに書いてごらんなさい。

説明11:

杉原千畝さんは,外務省が求める条件を無視し,通過ビザを自分の判断で発行したのです。杉原さんの働きにより,当時リトアニアにいたユダヤ人のうち,およそ6,000人が何とか外国に脱出することが出来たといわれています。

●杉原千畝が発給したビザの写真を提示

説明12:

杉原さんが発行したビザです。ビザを発行されたユダヤ人が想い出にとずっと大切に保管していたものです。

説明13:

杉原千畝さんはこうおっしゃっています。
 「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。」

説明14:

杉原千畝さんはおよそ1か月間ずっと昼食抜きで通過ビザを書き続けました。
全て手書きです。書いても書いても,ビザの発行を求めるユダヤ人は増える一方でした。・・・ついには,ソ連から「領事館を出る」よう命令がありました。
しかし,杉原さんはそれを無視してビザを書き続けました。命がけでした。・・・そして,もうこれ以上リトアニアにいられないというぎりぎりまで,リトアニアから出る列車に乗る駅のホームでも,杉原さんは通過ビザを書き続けました。その時の再現映像です。

●「杉原千畝物語」から、該当のシーンを視聴させる。

発問7:

出発する時、何と言っていましたか?

許してください,みなさん。わたしには,もうこれ以上,書くことはできません・・・・・。
みなさんのご無事をいのっています。

発問8:

杉原さんが助けたユダヤ人は6,000人とも8,000人とも言われています。
杉原さんがやったことをどう思いますか。

子供「自分の命よりユダヤ人の命を助けてすごいと思います。」      
子供「最後までビザを書いたのでよかったと思います。」
子供「日本の外務省やソ連の言うことを無視して6000人も助けたなんてすごいなと思いました。」

説明15:

戦後の杉原さんの運命です。

ルーマニアで終戦

ソ連の「強制収容所」へ連行

終戦から2年後日本へ

発問9:

やっとの思いで、戻った外務省からは、何と言われたと思いますか?

子供「御苦労さま」
子供「大変だったが、戻れてよかった。」
子供「命が助かってよかった。」

説明16:

「実は君のポストはもうない。退職してもらいたい。例の件によって責任を問われている。」と言われます。退職金は僅か数万円だったそうです。

同僚からは、「杉原はユダヤ人からお金をもらったから、金には困らないだろう?」という根も葉もない悪口を言われます。

そして、長い間忘れ去られていました。

子供たちはあまりにも不遇な対応に驚いていた。

発問10:

杉原さんは、損な人生だったのですか?

子供たちの意見は、半々だった。
それぞれの理由を言わせる。

説明17:

45年後です。

●「杉原千畝物語」から、自宅に電話がかかってくるシーンを視聴させる。

説明18:

 イスラエル大使館からの呼び出しでした。
 1985年1月18日,イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」賞を送られました。日本人として初めての受賞でした。
 イスラエル王国に、「顕彰碑」も置かれました。
 しかし、杉原さん、病気のため出席できませんでした。

説明19:

次に外務省です。

●NHK「その時歴史が動いた」の中から、外務省からの名誉回復と、碑文の着工式の映像を視聴させる。

説明20:

杉原さんが救った人々です。

●NHK「その時歴史が動いた」の中から、2000年12月11日に大阪で開かれた、杉原千畝生誕100年記念式典の様子を視聴させる。

発問11:

映像の中で、杉原さんが救った命は、現在、何人になったと言われていますか?

子供「3万2千人」

説明21:

救われたユダヤ人達の言葉です。

●NHK「その時歴史が動いた」の中から、2000年12月11日に大阪で開かれた、杉原千畝生誕100年記念式典の様子から、救われた2名の言葉を視聴させる。

説明22:

息子さんからの言葉です。

●NHK「その時歴史が動いた」の中から、「イスラエル王国に、「顕彰碑」が置かれ、代わりに式典に出かけた息子さんから、病床の杉原千畝さんに宛てられた手紙を朗読している映像を視聴させる。

発問12:

杉原さんの人生は損でしたか?

子供たちの意見が、一気に損ではないという意見に傾いた。
子供「大変だったけど、こんなに大勢から感謝されて、幸せだと思う。」
子供「息子さんから、『こんなに立派な両親をもって幸せだと改めて思う』って言われて嬉しかったと思う。」

説明23:

杉原さんの晩年の言葉です。

●NHK「その時歴史が動いた」の中から、番組の最後、杉原さんの晩年の言葉の朗読を視聴させる。

指示3:

今の映像の言葉です。
全員で読みます。

私のしたことは、外交官として間違ったことだったのかも知れない。
しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。
大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。

説明24:

「諸国民の中の正義の人」顕彰碑半年後、杉原千畝さんは、86歳で永眠されます。

※修正点
 原実践では、この後、樋口季一郎氏の事例や、近年,日本の外務省外交資料館で発見された資料の中には、杉原氏のほかにも,ウイーン,ハンブルグ,ストックホルムなど欧州12箇所の日本領事館で,ユダヤ避難民へ,数百件のビザが発行された記録が見つかっているという事例を紹介しているが、一旦ここで、授業を終え、別の時間に扱うことにした。

指示4:

今日の学習の感想をノートにまとめておきなさい。

3.子供たちの感想

1.
杉原さんはいろいろな人に感謝されて、自分の子供からも尊敬されてすごいと思った。
あんなすごいことを当然のことをしただけというのはすごいと思いました。

2.
ぼくはビザを書いてあげた人々が電話をかけ続けて、45年も会いたいと思い続けたことがすごいと思いました。
日本人で、はじめて外国の賞を取ったというのもすごいと思いました。
最後に、「当然のことをしたまでです。」と言ったのもすごいと思いました。

3.
ユダヤ人は、杉原さんのことを忘れずに、ずっと感謝していたのだと思います。
杉原さんが死んでしまってから、外務省が何かをしても意味がなく、遅かったのだと思いました。
しかし、ユダヤ人や世界の人々は優しいと思いました。
当たり前のことを当たり前にすることは、大切だと思いました。

4.
忘れ去られてしまっていたけど、最近になっていろいろなことがあり、
奇跡だと思いました。自分では大したことではなく、
当然のことをしたと言っているのを考えると本当だと思いました。

5.
2000年になってやっと認められたけど、
病気で亡くなってしまったのが残念でした。

6.
杉原さんは、1カ月に2193枚のビザを書いて人を助けてすごいと思いました。
手の痛みにたえながら、ビザを書き続けて、すごいと思いました。
あと、ユダヤ人の人々に何十年後に再会できたのもすごいと思いました。
日本に帰ってきたら、ひどい扱いをされたけど、後で認められてもらいすごいと思いました。
2193枚ものビザを書いたのに、「大したことをした訳ではない。当然のことをしただけです。」
と言えるのはすごいと思いました。

7.
杉原さんは、ユダヤ人を助けた、45年後にユダヤ人と再会できてよかったと思いました。
いいことをすれば、いいことが返ってくるんだと思いました。
杉原さんは、自分の命をかけてしたことを自慢もせずに、当然だと言って、すごくいい人だと思いました。

8.
杉原さんは、すごいことをしたのに、退職しろと言われておかしいと思った。
今で例えると、いじめられている人を助けたのに、それを止めようとしているようなことだから、
国はおかしいと思った。
でも、その後、杉原さんは、式典などで祝福されていた。
人は人にいいことをすれば、必ずいいことが何十年も後になって返ってくることがわかった。
なので、私も人に優しくしたい。
また、当たり前のことをきちんとできるようにしたい。

9.
ここまで苦しい日々だったと思うのに、
イスラエルに呼ばれ、感謝された後、「幸せだった」と言えたのはすごいと思った。
そこまでユダヤ人のために、ビザをつくったかいがあったと思ったと思う。
ただ、とても後になって、手の平を返したように外務省の対応が変わったことはひどいとも思った。
でも、息子にたくさんの感謝や優しい言葉をくれて幸せな方が多かったんだなと思った。
だから、自分も助けられる人がいれば、必死に命をかけても助けようと思った。
しかも、あれだけ大勢の人を救い、たくさんの感謝をされても、
なお、「大したことはしていない。当然のことだ」と言って謙遜するその心はとてもすごいなと思った。

10.
杉原さんは子に尊敬される格好いい人だなと思いました。
助けたユダヤ人の方にも会い、奇跡だと思いました。
見殺しというのは一番辛いことだし、悪いことをして罪を受けるより、命を救う方が大切だと思いました。

11.
杉原さんは、ユダヤ人のために、がんばり続けたのに、人々の頭から忘れ去られていくのはかわいそうだと思った。
駅のホームでギリギリまでビザを書き続けた杉原さんは、すばらしいなと思った。
人のためなら、がんばれる人になれるようにしたい。
45年後に、杉原さんの本当のがんばりを認めてくれる人が、日本に会いに来てくれる杉原さんは、
とてもうれしかったんだと思います。
杉原さんのおかげで、6000~8000人の人を助けられたので、これからもヒトに感動を届けられるのだと思います。
そばにいる、何千人もの人を当たり前のように助けられるのは、すごい。
何千人もの人の命を助けたのだから、大したことをしてないというのは、間違っている。

12.
やっぱりいいことをしたら、45年もかかったけど、
返ってくるのだなと思いました。
しかも、あの後、幸せでしたかという質問で、
ひどいことをされたのに、幸せと言っていたのが優しいなと思いました。
こんなすごいことをしたのに、当然のことだと言えるのはすごいと思いました。

13.
私は、杉原さんのお陰で、命を救ってくれた人に、感謝の言葉を言われた後、
あなたは幸せでしたか?
と聞かれた時、何と答えるのか、ドキドキしていました。
あれから、辛いことがあったのに、「幸せです。」
と答えていたのが、すごくいい人だと思いました。
そして、「大したことはしていない。当然のことだ。」
と言える杉原さんをすごいと思いました。

14.
いいことをしたら、時間はかかるかも知れないけど、
いいことが回ってくるのだと思いました。
杉原さんは、子供にも、今の日本人にも生きているユダヤ人にも尊敬されている、
すごい人だと思いました。
杉原さんは、すごいことをしたのではなく、当然のことをしただけと言っているけど、
それくらい心の優しい人だと思いました。

15.
杉原さんは、大したことをした訳ではない。
当然のことをしただけです。
と言ったのがすごいと思いました。
ぼくもいいことをすれば、何十年もかかって、必ず返ってくると言うことが分かったので、
僕もいいことをしたい。

16.
杉原さんは、生き残ったユダヤ人と再会して奇跡だと思いました。
自分はこのことをすごいことをしたと思います。

17.
杉原さんは、ユダヤ人の人にビザを書き続けて、約2000枚書いたのは、本当にすごいと思うし、
助けると言う気持ちを行動に移すのは、すごいと思いました。
杉原さんが、ビザを書いてもらったユダヤ人の人が生きていて本当によかったと思いました。
杉原さんの息子さんからも、感謝の言葉をもらってよかったと思います。
大したことをした訳ではないと思っている杉原さんはすごいと思いました。

18.
ユダヤ人を助けたことを初めは認められなかった杉原さんも、
認められて、ユダヤ人からすごく感謝されていて、
ユダヤ人を救ったことが世界に認められてよかったと思います。

19.
杉原さんが、昔は退職してや悪口を言われたりしたけれど、
長い月日が終わって、ビザを書いてもらった人が、お礼を言ってくれたりして、
良いことを自分がしたら、自分に返ってくるということが分かりました。

20.
忘れられて50年も経って、やっと名誉が回復したなんて、日本はどこを見ているのだろうと思いました。
外務省から、退職させられる時だって、体色はしょうがいないかも知れないけど、せめて、記念碑とかそういうものを作ってあげたらよかったのではないかと思いました。
でも、法律違反をしたから、しょうがないと思う気持ちもあります。
でも、息子さんからも、ユダヤ人からも、イスラエルからも褒められたり、
お礼を言われたりして、杉原さんの行ったことは正しかったと思いました。
ぼくだったら、そのようなことはできないと思います。
しかも、大したことをした訳ではないというのは、とてもすごい人だと思いました。

21.
杉原さんは、ビザを書いてもらったユダヤ人は45年後ずっと覚えててくれていたので、
ユダヤ人もいい人だなと思いました。
息子さんも感謝の言葉を書いていて、最後も認められたので、杉原さんは、とてもいい人だと強く思った。

22.
杉原さんはひどいことをされてしまったけれど、
最後には助けてあげた人達や、息子さんからの感謝の言葉をたくさんもらえてよかったと思いました。
努力が報われるには、時間がかかることも分かりました。
また、杉原さんは、このことを自慢する訳でもなく、
当然のこととすることができるのも、すごいと思いました。
尊敬します!

23.
杉原さんは、約3万人の命を救っててすごいと思いました。
イスラエルの国があるのは、杉原さんが、ユダヤ人を救ったからだと思います。
杉原さんは、イスラエルの人を救い、国をつくったのだと思います。
利他が、45年、大きく返ってきてすごいと思いました。

24.
ユダヤ人を救った杉原さんはすごいと思いました。
ビザを何枚も書いたところです。
救ったユダヤ人は、すごい感謝していたところもすごいと思いました。
杉原さんは人を救うことは当たり前と言ったところが、格好いいと思いました。
ぼくは、これから、友達に優しくしたいと思いました。

25.
一生懸命書いてユダヤ人が助かってうれしいと思いました。
何かいいことをすれば、いいことが返ってくると改めて思いました。
杉原さんが言ったことは、私にとっては、すごいことだと思います。
でも、杉原さんにとっては、大したことではないと言っていたので、
私も当然のことをがんばりたいです。

26.
ここまできてやっと、杉原さんのしたことが認められてよかったと思いました。
助けられたユダヤ人の人達も、杉原さんのことを、天使だとか救世主などと言って
ありがとうの言葉を言えて、ユダヤの人々もうれしかったと思います。
杉原さんの息子さんが、自分の両親がこんなに偉大な両親でよかったと言われて、
とてもよかったと思いました。
ユダヤ人の人を助けて、ビザを作るのは、当時は、本当に危ないことだと思いました。
杉原さんは大したことをした訳ではない、当然のことをしたのですというので、
救われた人は、何千人もいるので、すごいと思いました。

27.
何か褒められることがうれしいのではなく、ユダヤの人達を助けることができたのが、杉原さんにとってうれしいことなのではないかと思いました。
助けた相手に会うことができたのは、命をかけてでも、ビザを発行してよかったと思える出来事だったと思います。
自分のしたことを、「えらいだろう」と自慢することなく、「当然のことをした」
と考えていたことにもすごいと思いました。

28.
私が、もしユダヤ人で、杉原さんが、助けてくれたら、
杉原さんは神様だと私は思います。
だって、命を救ったのですから。
本当にすごいことだと私は改めて思います。
私だったら、こんなことはできないと思います。
きっと杉原さんが子供のころ、利他や
当たり前のことをしていたんだと思いました。
私も、人に優しくしたいです。
杉原さんは大きなことをしたのに、当然のことをしたと言えるなんて、
本当にいい人だと思いました。
私もあんな人になりたいです。

29.
たくさんの命が救われたのがよかったと思いました。
幸せの言葉があったのがみんなの心だと思いました。
命が救われたのが奇跡だと思いました。
息子さんの言葉があって、みんなから感謝されて命が救われた人もうれしそうでよかったです。
この「当然のことをしただけです」と杉原さんは思っているけど、
命が救われた人はとてもうれしかったと思っているはずだと思いました。

30.
杉原さんが助けたユダヤ人の人々が生きていてよかったと思いました。
でも、外務省が2000年にやっと名誉を称えて遅いと思いました。
杉原さんは息子さんに、「こんな立派な両親をもって幸せです」
という感謝の手紙をもらってよかったと思いました。
杉原さんは、「大したことをした訳ではない。当然のことをしただけです。」
と言っていたので、驚きました。
杉原さんは、このことが、当然と思えるなんてすごいと思いました。
私も杉原さんのようになって、当然だと思えるようになりたいです。

31.
また、ユダヤ人に会えてよかったと思いました。
ユダヤ人の国もできて、杉原さんのパスを今でも、しっかりもっていてすごいです。
ユダヤ人は、何を言っても足りないぐらい、うれしいんだ、ありがたいんだという気持ちがよく分かりました。
私はユダヤ人の「アンネ・フランク」という本を持っています。
その本を見て、私は、日本は何で助けてあげないんだろう?と思いました。
でも、中には助けていた人はいるんだと思いました。
私がユダヤ人だったら、きっと杉原さんに、「ありがとうございます。」や「うれしいです。」や
「あなたのおかげです」という言葉では足りないくらいお礼をし、たくさん話したりしたいと思いました。

【参考資料】

1.小林義典氏「杉原千畝・・・6000人のユダヤ人の命を救った日本人」
2.藤岡信勝氏『教科書が教えない歴史①』産経新聞社
3.ホロコースト記念館ホームページ
4.Reich・帝国
5.第三帝国の野望(毎日新聞)
6.6000人の命のビザ-杉原千畝生誕100年記念事業委員会ホームページ
7.志門塾生涯学習部(講座内容) (2)樋口 季一郎
8.正義の人(杉原千畝と樋口季一郎)
9.「我が子に伝える誇りある近代史」第6話 人種差別の壁を崩した日本


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