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TOSSランドNo: 4426402 更新:2013年08月15日

授業中の子ども理解の重点とは?


1.目で理解していく

 体育で飛び込みの授業をする機会がある。初めて会う子供といきなり授業を行なうのである。
 子供の実態はまったく分からない。どの子供が跳べてどの子供が跳べないかは、事前には分からない。
 そういう子供たちとの授業を成立させるには、瞬間的に子供理解をしていく以外にない。
 この子供は教師に何を求めているのか、授業でどのようになりたいのかを咄嗟に理解していくのである。
 子供の求めていることに答えていく中で授業は成立する。飛び込み授業の最初の頃は、それが出来なかった。
 何を手がかりにして子供理解を行なえばよいのかが、つかめていなかったからである。
 何度か繰り返す中で出来るようになった。子供理解のコツをつかんだのである。それは子供の目を見て、瞬間的に理解する方法である。
 飛び込みの授業で子供を理解するのに一番よいのは目である。目の輝き、目の曇り具合を見て判断していくのである。
 跳び箱の抱え込み跳びで示範の場面があった。「跳んでみたい人いますか」と聞いた。何人かの子供が手を上げた。
 跳ぶイメ-ジを作るのであるから、上手に跳べる子供でなければならない。誰を指名するかを決めるのは、目の輝きである。
 「絶対に跳べる」という子供の目は輝いている。必死になって教師の目に訴えてくる。そういう子供を指名すると、ほとんど期待する跳び方をしてくれる。
 逆に目をそらす子供がいる。目の輝きの弱い子供がいる。そういう子供は自信がないのである。
 個別指導はそういう子供を対象にする。グループ学習を行なっている時に、そっと補助をしてあげる。
 「うまい。上手になったよ」と声を掛けてあげる。その瞬間、子供の目がパッと輝く。
 「もう少し高い所で跳んでごらん。必ず跳べるから」と声をかけると、不安げな目になる。
 その時、視線を合わせる。「大丈夫、君なら必ず跳べる」と励ましの視線を送る。子供は教師の視線に答え、見事に飛び越すことが出来た。
 目は正直である。言葉を交わすよりも子供を理解することが出来る。目の輝きで子供が理解できるようになってから、私の飛び込みの授業はよくなった。
 子供の目を見て、補助をしてほしいのか、助言を求めているのか、誉めてほしいのかを咄嗟に理解していくのである。

2.声で理解していく

 飛び込みの授業で共通しているのは、子供も私も緊張していることである。
 初めて会う教師に対して、子供は大きな不安を抱いている。しかも回りには参観者が取り囲んでいる。
 挨拶をして授業が始まっても動きは硬くぎこちない。話し声もほとんどない。
 飛び込み授業で行なう最初は、子供の心をほぐすことである。緊張している心をゆるめ、授業に参加させることである。
 器械運動の場合、準備運動で足打ち跳びを行なう。自由に練習させたあと、「3回足が打てたら合格です」と挑戦させる。
 挑戦をさせると「失敗してしまった」「2回しかできない」「うまくできない」どの声が出てくる。
 子供の声を手がかりにして、「どうして失敗してしまったの?」と問いかけをしていく。
 「逆立ちになってしまい、背中から落ちてしまいました」という声を聞いて、失敗の原因を理解していくのである。
 挑戦している子供の間を歩きながら、子供のつぶやきを拾い集めていく。その後に上手に出来る子供に示範させる。
 「A君に足打ち跳びをしてもらいます。どこが上手か発見してください」と言葉掛けをする。
 腰を伸ばして、逆立ちに近い姿勢になって足を打てば、たくさん打てることには気がつく。
 しかし、どうしたら逆立ちに近い姿勢になれるかは分からない。ここで大切なのは、挑戦の時に逆立ちに失敗してつまずいていた子供のへの指導である。
 「逆立ちで失敗して、背中を打った」という声を教師が理解して、指導の手を打っていかなければ子供は変わらない。
 「両手を床から離して、腰のあたりから着手していくと上手に逆立ちに近い姿勢になっていきます」と指導する。
 その後、もう一度挑戦させる。最初に失敗した子供の所に行き、きちんと出来るようになったのかを確かめる。
 子供の声を聞き、子供理解をしながら授業を行なっていくのである。
 飛び込みの授業をしていて、子供が必ず心を開く場面がある。1年生から6年生まで共通している。
 それは「足ジャンケンおんぶ」というゲームである。2人一組になって足ジャンケンをする。負けた人は、勝ったら人をおんぶして10歩歩くのである。
 このゲームを行なうと、どの学年からも必ず歓声が上がる。「あっ、負けちゃった」「やったー」「勝ったぞー」という声があちこちから出てくる。
 子供の表情は一変する。緊張していた顔に笑顔が出て、表情が和らぐ。声を出すことによって緊張がほぐれるのである。
 子供の歓声と声を聞いて、子供の緊張が解けたことを理解する。
 相手のいない場合には、教師が相手になってあげる。すると子供はさらに心を開き、リラックスする。
 子供に声を出させ、子供の本音を拾い集めていく中から子供理解が出来る。子供が自由に声を出し、しゃべれる場面を作っていくのである。

3.補助で理解していく

 1997年6月、甲府市で法則化体育上達講座が開かれた。若い女性の教師の参加が多かった。
 跳び箱の実技講座では、抱え込み跳びを行なった。その中に跳べない教師がいた。生まれて一度も跳んだことがないという教師である。
 うさぎ跳びから段階を踏んで練習した後、跳び箱での練習が始まった。マットを重ねて、その上でうさぎ跳びを練習する。
 マットでのうさぎ跳びが出来れば、跳び箱での抱え込みに必要な腕支持と突き放しが出来るからである。
 一通り練習方法を紹介した後で、「まだ跳べない方いらっしゃいますか。いたら私がここで跳べるようにいたします」と言った。
 すると、若い20代の女性が「お願いします」と名乗りを上げてくれた。
 「それでは、一枚のマットの上でうさぎとびをしてみてください。どのくらいうさぎ跳びが習熟しているかを見させていただきます」。
 一枚のマットの上でうさぎ跳びをしてもらった。すると、足-手-足という正しいうさぎ跳びが出来ていた。
 そのうさぎ跳びを見て、「大丈夫、抱え込み跳びが出来ます」声を掛けた。
 その次は、跳び箱を3段にしてその前に安全マットを跳び箱と同じ高さに設置した。着地の恐怖心を取り除くためである。
 「安全マットに手を着いてうさぎ跳びをしてください」。
 跳び箱に着手するよりも安全マットに着手した方が跳びやすい。有効着手角度が大きくなるからである。
 挑戦すると見事に跳べた。横の跳び箱を跳び越えることが出来たのである。5回ほど練習した。
 その後、踏み切り板を離して跳び箱に着手して跳ぶように指示した。跳び箱に着手して安全マットに着地するのである。それも跳ぶことが出来た。
 いよいよ4段の横の跳び箱に挑戦である。安全マットはなく、普通のマットが一枚置いてあるだけである。
 「私が補助しますから、思い切り跳んでください」。
 不安そうな顔をして私の顔を見つめた。生まれて初めての経験なのである。跳び越える瞬間の恐怖心が伝わってくる。
 目で促すと彼女は走ってきた。左手で彼女の左の二の腕を掴み、右手でももの上を支えながら補助をした。
 ぐっと体重の重さが私の腕にかかった。マットに着地するまで、腕を持ちももを支えた。
 2回目に挑戦させた。今度も補助をしたが1回目よりは軽くなった。彼女の腕支持と突き放しが強くなったのである。
 3回目の挑戦でも補助を行なった。ほとんど私の腕に重みがかからなくなった。そこで、「もう大丈夫です。必ず、一人で跳べます」と言った。
 参加者全員の目が彼女に集中している。跳ぶことを決意した彼女は、思い切り跳んだ。見事に横4段を抱え込み跳びで跳び越せたのである。
 一斉に拍手が起こった。跳び終わった彼女の顔が笑顔に変わった。
 講座の終わった後のアンケ-トに「根本先生の信じ込ませる技術がすごかった」と書いた教師がいた。
 確かに、一つの動きをさせた後「必ず跳べます」と繰り返していった。しかし、これは信じ込ませるために言ったのではない。暗示をかけるために言ったのでもない。
 うさぎ跳びの跳び方を見て、どれくらい腕支持と突き放しが習熟しているのかを診断したのである。
 そして、確かに習熟していると理解したから「必ず出来ます」と言ったのである。
 補助を繰り返す中で私の腕にかかる重みがなくなり、跳び越すために必要な腕支持と突き放しが習熟したと理解できたから、「必ず跳べます」と言ったのである。
 一つ一つの出来るための習熟過程にそって指導し、一つ一つの技能が定着したことを理解しながら言葉掛けを行なっていったのである。
 だから、信じ込ませたのではない。跳ばせる指導を行なった成果なのである。「信じ込ませる技術がすごい」と感想を書いた教師には、補助で私の腕にかかっていた重みが軽くなっていったのが分からない。
 見ていただけでは分からない変化が、補助を通して理解できるのである。直接体に触れ、スキンシップを通して理解できることがある。
 いつもつも補助することは出来ないが、場面に応じて行なっていくことが必要である。
 講座の終わった後、若い女教師が「ありがとうございました。生まれて初めて跳ぶことが出来ました」と声を掛けてくれた。
 子供の場合も同じである。補助によって理解していくことが出来る。

 1997年2月8日、奈良女子大学付属小学校で第5回日本体育教育技術学会が開かれた。その中で、岩井邦夫氏と根本正雄の立ち会い授業が行なわれた。岩井氏の3年月組の学級で二人が授業を行なうのである。
 奈良へ向かう新幹線の中で、私の心は「岩井学級の子供達と授業が成立するだろうか」という不安な気持ちと、「早く体育授業の法則化を実証したい」と期待する気持ちが半々であった。
 法則化体育授業研究会は「いつでも、どこでも、誰でも」できる体育授業を目指している。これまでに私は全国で飛び入りの授業をさせていただき、体育授業の法則化の可能性を追求してきた。
 初めて出会った子供たちと授業を行なうのである。子供の実態は担任の先生から資料を事前に送ってもらっている。しかし、資料と実態とが一致しない場合もある。事前にお願いした動きづくりが十分に出来ていない場合もある。
 だから、実際に子供に会って動きを見るまでは不安な気持ちである。実態調査でどんなに技能が高くても、私のイメージの動きと異なる場合がある。
 新幹線の中で、岩井学級の子供の姿を思い浮かべていた。岩井氏の著者や書かれた論文から動きを予想していた。多彩な動きがあり、技能的には高いことは予想できた。しかし、一つ不安なことがあった。
 それは、岩井氏と私の授業スタイルが異なる事である。岩井氏の授業は子供がめあてを持ち、自分達で場づくりを行ない活動していく。それに対して私の授業は動きの原理・原則を子供と一緒に発見し、動きを出来るようにしていく内容である。
 岩井氏の授業は子供が自らのめあてに向かって主体的に活動していくスタイルである。私の授業は教師が全体に課題を投げかけ、考えながら動きを確かめていくスタイルである。 岩井氏の授業スタイルで学んできた子供達と、はたして授業が成立するのだろうかという心配があった。授業が成立すれば、私の主張している体育授業の法則化が実証される。しかしうまく行かなければ、私の主張が十分でなかったことになる。
 立ち会い授業には兵庫教育大学の小林篤氏、鳴門教育大学の山本貞美氏をコメンテーターにお願いしてあった。私は私の全存在かけて授業に望んだ。
 岩井氏の授業は予想通り、一人一人がめあてを持ち主体的に活動し、技能の高い動きをしていた。その動きを見て、私は「私の考える授業が成立する」と確信を持つことが出来た。開脚跳びに必要な基礎感覚・基礎技能が十分に育っていたからである。
 今まで不安だった気持ちが消え、「はやく、授業がしてみたい」という気持ちに変わった。実際やってみると、今までの飛び込み授業の中では得られなかった「授業の楽しさ」を味わうことが出来た。
 開脚跳びの授業であったが予想以上の動きであった。これは岩井氏の授業の成果である。同時に一時間の授業として成立することができた。私の考えている体育授業の法則化の可能性を実証することが出来たのである。
 細かい所での問題はあったが、私が授業の成立として最も大切に考えているのは「楽しい」ということである。子供が心を開き、教師と心が通い会うことが出来たかどうかである。それがなければ、どんなに技能が高くてもよい授業とはいえない。
 初対面の子供と心の通う、楽しい授業が出来たことに満足感を得ることが出来た。体育授業の法則化の条件が岩井氏の学級にも通用することが分かった。
 それでは、いつでも、どこでも、誰でも出来る体育授業の法則化の条件とはどんな内容なのであろうか。それが分かれば多くの人に役立つ。
 一つは動きの原則である。誰もが運動が出来るための原理を明らかにすれば、いつでも、誰でも授業することが出来る。開脚跳びの原理は腕を支点とした体重移動である。跳べない子供には、腕を支点とした体重移動を体感させればよい。
 もう一つの条件は、授業の原則である。

 私は次の4点を考えた。

 1.授業を成立させる片々の指導技術
 2.出来るようにさせる指導技術
 3.授業を組み立てる指導技術
 4.子供の反応に対応する指導技術

 開脚跳びが出来るだけなら動きの原理だけで十分である。しかし、一時間の授業が楽しく出来るためには、授業の原則を活用していかなければ難しい。
 動きの原則と授業の原則の両面があって、体育授業の法則化は可能となる。岩井学級の子供達はすでに動きの原理に基づいた動きをしていた。あとは、授業の原則に基づいて行なうだけであった。
 実際の授業は私のイメ-ジした楽しい内容となった。


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