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TOSSランドNo: 3147789 更新:2013年08月15日

サンフランシスコ講和条約 4月28日


1 講和条約

説明1:

 国どうしの戦争は、どこかで“けり”をつけなければなりません。
 昔は、敗者の財産を全て奪い、人々を皆殺しにしました。あるいは奴隷としたり、属国として生産したものを搾取し続けることもありました。
 しかし、こうしたことは非道とされるようになり、法的決着となります。
 近代国際法では、喧嘩した仲間が合い寄って講和会議を開け、というルールになっています。
 講和条約というのは、話し合いで、領土はこれだけもらう、いくら賠償金を払え、それでご破算だ、もう二度と昔のことは言いっこなし、という約束です。以後不満があっても、一旦講和条約が定まったあとは、恨みっこ無しで、普通につきあうというわけです。これが法の常識、国際常識です。
 講和条約で正式に戦争が終わります。日清戦争の下関条約、日露戦争のポーツマス条約、大東亜戦争のサンフランシスコ講和条約がそれです。

2 占領下の日本

説明2:

 しかし、大東亜戦争は、“降伏したら終わり”という簡単なものではありませんでした。
 講和条約が結ばれるまでの間に、アメリカによる占領期間というものがありました。
 6年8ヶ月の占領期間で、GHQは、同じ敗戦国ドイツやイタリアではやらなかった国際法違反を、堂々といくつもやりました。
 本来、国際法では「敗戦国の憲法をいじってはいけない」というのは常識でした。しかし、帝国憲法を改正して日本国憲法を作りました。
 戦争で負けた責任はあくまでも国家の責任であって、個人の責任にしてはいけない、ということまで、GHQは平気で踏み込みます。東京裁判が開かれ、戦争指導者が犯罪者となり、命が奪われました。

3 サンフランシスコ講和条約締結

説明3:

 当初は、占領がどれくらい続くのか分かりませんでした。
 ところが、昭和25年6月25日の朝鮮戦争開始によって事態は一変します。
 ソ連は、アメリカとともに戦ってきたはずが、米ソ冷戦構造が始まりました。共産主義のソ連陣営・自由主義のアメリカ陣営の奪い合いが始まりました。アメリカにとって、日本という国がなくなって東洋に平和がくると思っていたのに考えられない展開でした。
 日本がいなくなった満州、中国、朝鮮が次々に共産主義の支配下になっていきました。
 マッカーサーは、すぐさま対応しなければなりません。
 日本を協力させる方向で独立回復へと占領政策を転換させ、突然サンフランシスコ講和条約を出してきて、ばたばたと締結にこぎつけました。

4 主権回復の日

説明4:

 サンフランシスコ講和条約の中身を見ましょう。
第一条
(a) 日本国と各連合国間との戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b) 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。
第十四条 連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。
 この代償として、わが国は、満州、朝鮮半島の鉄道や工場、ダム、国や企業が持っていた建物、設備、預金などすべてを放棄しました。また、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどアジア各国に対して、賠償金を支払い、戦後処理を行ってきました。
 講和条約が昭和27年4月28日発行。
 アメリカの占領下にあった日本が独立を回復し、国際社会に復帰した日です。


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