学級崩壊に共通していることがある。
それは、教師が学級のボスになっていないということである。
授業についての力量は高くなくても、学級経営がそこそこできれば学級崩壊は防ぐことができる。それは、統率者としての力量があるからである。
では、統率者としての力量が低いとは、具体的にどうことなのか。
おもに、次の4つが挙げられる。
(1)教師が言ったことが揺らぎ、徹底させることができない
→指示系統が不安定である。
(2)一部の子(やんちゃな子、反抗的な高学年女子)に遠慮してしまう
→不公平である。
(3)いけないことをいけないと叱れない
→制御できない。
(4)授業がつまらない
→指導者としての権威がない。
それぞれについて詳しく述べる。
(1)については、空港の管制塔を思い浮かべてみると分かりやすい。
飛行機の安全な離着陸のためには、管制塔の指示が極めて重要になる。指示が揺らいだものであれば、空港は混乱をきたし、時には大惨事となる。
また、指示が揺らぐような管制塔では、機長からは信頼されない。そのような空港は誰も利用しない。
しかし、学級は違う。利用しないということが通用しない。
通常、子どもは我慢して教室にいないといけない。我慢が限度を超えると、学級崩壊が待っている。
(2)については、若い教師が陥りやすい。
女性であればやんちゃな男の子に、男性であれば高学年女子に怯んでしまうことがある。怯んだら最後である。子どもは、そういった教師の怯みを見逃さない。足元を見られ、教師の権威は地に落ちる。
それは、あっという間である。一人だった反抗者が、次第に増え、気づけば手遅れとなる。
(3)について、教師は子どもにとって「恐ろしい」存在という一面をもつことが必要である。
恐ろしいからといって、怒鳴ったり、脅したりするわけではない。
畏敬の念に近い。
教師に対して、「恐ろしさ」を抱いていれば、子どもの行動の歯止めとなる。
「これ以上やると先生に叱られる。だからもうやめよう。」
こう子どもが思えば、歯止めがかかっている状態になる。この歯止めが効かなくなったのが学級崩壊だとも言える。
(4)について、谷和樹氏は次のように言っている。
「授業の技量が高ければ学級で起きる諸問題は解決する。」(文責:桑原)
授業は学校生活の8割以上をしめている。そこでの成果が、学校生活に与える影響はとても大きい。
授業が安定していれば、生活も安定するものである。
また、子どもに力をつける授業をすることが、教師の権威へとつながっている。権威が確立していれば、学級崩壊はまず起こらない。
どんなクラスの子どもたちでも、「かしこくなりたい」「自分を成長させたい」という願いをもっている。
担任に統率力があり、自分たちをよい方向に導いてくれるリーダーであると分かれば、学級崩壊は1日あれば立てなおすことができる。いや、会った瞬間に立てなおっていると言っても過言ではない。
最も大切なのは、「教えてほめる」ということである。
先生にほめられると、子どもたちは、うれしくて意欲が増す。
特に出会いの3日間が勝負である。
しっかり教え、ほめて、ほめて、ほめることが必要だ。
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