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TOSSランドNo: 3736399 更新:2013年01月06日

チョウは桜に止まるのか? 〜小林幸雄の観察日記〜


チョウは桜に止まるのか?~小林幸雄の観察日記

TOSS作州教育サークル 小林幸雄
「ちょうは桜に止まるのか」は,必ず4年の授業開きで行うものである。
普段何気なく見ていた桜の見方がガラリと変わるとても知的な授業である。
私にとっても,印象に残る実践の一つである。
さて,2009年の春,この授業を行って間もない日のことであった。
いつにない発見があった。まさに,小林幸雄の観察日記が始まったのである。
以下,桜の授業と合わせて紹介する。

1.歌詞を板書する

授業が始まると,黙って次の歌詞を板害する。

ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉にとまれ 
菜の葉にあいたら 桜にとまれ   
桜の花の 花から花へ
とまれよ 遊べ 遊べよとまれ

春らしくのどかな歌である。
板書にあわせ,自然に子どもたちは歌を口ずさみ始めた。
一通り板書した時点で,

指示1:

『ちょうちょ』という歌の一部です。歌いましょう。さんはい!

と指示して一回歌わす。
「うまいなあ。まるで音楽みたい。(笑いが起きる)
とってもうまいから,先生,もう一度聞きたくなりました」
と言って,もう一回歌わせる。
理科の時間,いきなりの歌である。
いつもとは違う雰囲気を味わいながら,子どもたちはにこやかに歌った。歌いおわった後,

発問1:

分かりにくい言葉はありませんか?

とたずねると,
「あいたら」という言葉が指摘された。
「あいたら」は,西日本で使われる方言の一つだ。
「飽きたら」と同じで,「十分満足したら」という意味であることを告げた。

2.チョウはサクラに止まるのか?

そして,次のように問う。

発問2:

チョウは、桜に止まるのでしょうか。

・ 止まる(19名)
・ 止まらない(9名)
予想させた後は,必ずノートに理由を書かせる。書けた子からノートを持って来させる。
このように,発問と指示は必ず連動しているのである。
私の場合,椅子に座って待つことが多い。
ノートを座ってみると,落ち着いて見ることができるし,
目線が子どもと同じ高さになることで,子どもたちも気楽に話すことができるのである。
さて,原則として,どんな意見でも全て認め,力強く誉めることである。

3.意見の発表

ノートを一通り見た後,それぞれの意見を発表させた。
以下に,主な意見を記す。
【止まる派】
 ・ 桜には蜜があるから。
 ・ 菜の花にチョウが飽きたのだから止まる。
 ・ 桜は花だから止まる。
【止まらない派】
 ・ 桜に止まったちょうを見たことがない。
 ・ 桜には小さい鳥がいるので,ゆっくり蜜が飲めない。
 ・ 「桜に止まれ」で,「止まった」とは書いていない。
 ・ ○○公園の桜を見た時も,チョウは一匹もいなかった。
意見が途切れたところで,傾向を挙手で調べた。
・ 止まる派(19名→6名)
・ 止まらない派(9名→22名)と変わっていた。
ここでは正解を告げない。

4.観察に出かける

指示2:

では,実際に見に行きましょう。

と言うと,子どもたちは,校門のそばにある桜に向かって駆け出して行った。
ちょうど,桜は,八分咲きだった。
子どもたちは,桜の木をしげしげと眺めながらちょうと捜す。
しかし,一匹のチョウもいない。
歌詞とは違うことに子どもたちは気付くのである。
チョウの代わりに,見かけたのが,花アブとミツバチだった。
まさに,花から花へと元気に飛び回っている。
ちなみに,特例のギフチョウを除き,チョウはサクラの花に止まることはない。
サクラはミツバチ,ハナアブの仲間などによって花粉が媒介される。

5.小林幸雄の桜の観察日記

以上が,これまで何度も行ってきた実践である。
ところが,2009年異常ともいえる高温が3月半ばに続いた。
偶然,私は思いがけない光景に出くわすのである。

(1) スジグロシロチョウが桜に止まった!

2009年4月11日(土)昼過ぎ,家内と散歩に出かけた。
この日は、山道に向かうルートで散歩をしていた。
歩き始めて10分も経たない,ちょうどそのときである。
この年初めて遠くにモンシロチョウらしき姿が見えた。
何と20メートルほど先にある桜の花(比較的,低い位置に咲いていた小枝)
その白いチョウがちょこんと止まったではないか。
私は,一瞬,驚いた。
これまで,桜の周辺を飛びまわるチョウを見たことがなかったからである。
なおかつ,チョウが桜に止まることなどないと固く信じてきたからである。
ところが,確かに止まったのである。
あわてて近づくと再び,舞いあがり,もう一度桜の花に止まった。
一瞬のことではあるが,蜜を飲もうとするかのような姿勢で止まったのである。
私は、あわてて走り寄った。
そのチョウは,モンシロチョウではなく,スジグロシロチョウであった。
スジグロシロチョウとモンシロチョウとは,やや生息域が異なる。
スジグロシロチョウは,山間や山裾,もしくは,やや暗い環境を好むと言われている。
白い羽に黒い筋が見えた。スジグロシロチョウである証拠だ。
このとき,カメラがあったらと悔やんだ。
むろん,家にカメラを取りに戻る余裕などない。
スジグロシロチョウは,ほんの一瞬,桜に止まったきり,他の場所をひらひらと飛んでいってしまったのである。
スジグロチョウは,桜の花から花へと蜜を求めて飛んでいる様子ではなかった。
何かの勘違いか,あるいは,試しに桜の花にでも止まってみるかという感じに見える行動であった。
急遽,散歩を取りやめ,あわてて家に戻ってカメラを取り出した。 
家内も犬も急に散歩は取りやめになってしまった。
家の周辺の桜に,モンシロチョウやスジグロシロチョウが飛んできているかどうか確かめたくなったのである。 
まず,家の周辺に咲いているソメイヨシノを見てみた。
モンシロチョウやスジグロシロチョウはいなかった。目に付いたのは,小さなアブと大きな図体のクマバチが見えた。
モンシロチョウは,桜の近くをひらひらと飛んではいるものの,桜には全く興味がないという感じであった。
その後,私は、スジグロチョウが好む山裾に咲く桜に目を付けた。
山裾に咲いているソメイヨシノが3本咲いているのである。
我家から50メートルほど離れた場所にある。
そこには,ひょっとしたらスジグロシロチョウが飛んでくるかもしれないと思ったのである。
近づいてみると,偶然にも、私の後方からやってきたスジグロチョウが,一瞬、目の前の桜の花びらにはっきりと止まった。
あまりにも近すぎてカメラを向けたものの,ピントが合わない。
せっかくのシャッターチャンスを逃してしまった。
これで2度,目撃したことになる。
同じ日に,しかもわずか30~40分の間に,2回も目撃した衝撃は大きかった。
私はまるで少年のような心地で興奮していた。
桜には,花アブなどが蜜を求めてくるが,モンシロチョウは来ないと教えていた。
確かに,スジグロシロチョウはサクラに止まった。
では,モンシロチョウはサクラに止まることもあるのではないか。
この手で証拠写真を撮るべく,しばらく私は桜の木の周辺でじっと待っていた。
1時間程度,待っていた。
すると,またまたスジグロシロチョウが,やってきた。
やっとの思いで1枚撮れた。
望遠なのでくっきりとは撮れていないが,確かに桜の花に止まっている。 
この時も,花から花へと飛ぶアブなどは異なる動きであった。
一瞬,止まってみたという感じの行動であった。
未練など微塵もないかのように,素早くサクラから遠ざかってしまったのである。
その後は,夕方近くまで粘ってみた。
しかし,その日は、二度とスジグロシロチョウはもどって来なかった。

(2) 再び観察に出かける

その晩,インターネットであれこれ検索してみた。すると、私と同じような瞬間を目撃した人がいることが分かった。
私が見たスジグロシロチョウである。モンシロチョウではない。
翌日,私は,TOSSデーが終わった後,再びカメラを持って昨日目撃したサクラの木の観察に出かけた。
待つこと,1時間あまり。
その間に,さまざまなチョウが飛んできた。
モンキチョウ,スジグロシロチョウ,それに,一見,ギフチョウのように見えるきれいなチョウも見えた。
しかし,全く桜には、興味がないという感じで通り過ぎるだけであった。
ところが,1時間あまりたったときのことだった。
不意に,目の前にスジグロチョウがひらひらと飛んできたかと思うと,しっかり桜の花びらに止まったのである。
震える手にもどかしさを感じながらシャッターを押した。
シャッターを押した瞬間,体全身が熱くなった。
スジグロチョウはサクラに止まることがある。このことが証明されるものである。
しかし,スジグロシロチョウは,花びらを2度変えて止まりなおしたものの,後は,未練もなさそうに桜の木から遠ざかってしまった。
なぜ、スジグロシロチョウは,桜にとまってもほんの一瞬なのか。
なぜ,モンシロチョウではなく,スジグロシロチョウばかりが桜に止まるのか。
なぜ,今年は,何回も(計6回)スジグロシロチョウが桜に止まる瞬間を目撃したのだろうか。
このことは,異常気象がもたらすものなのか。
私には,いまだに分からないことだらけである。

______________
(3) 童謡「ちょうちょう」の由来について

『蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか』(草思社)稲垣栄洋著によると,次のような変遷を経て現在の童謡になったという。
唱歌「ちょうちょう」は,スペイン民謡のメロディに国学者の野村秋足が詞をつけたものであるが,
もともとは尾張地方のわらべ唄だった。

蝶々とまれ
菜の葉にとまれ
菜の葉がいやなら
この葉にとまれ

この歌詞に野村秋足は,日本の春のシンボルであるサクラを詠みこんだ。
最初に作られた歌詞は,次のようであった。

ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉にとまれ
菜の葉にあいたら 桜にとまれ
桜の花の さかゆる御世に
とまれよ 遊べ 遊べよとまれ

これが,戦後、国家主義を排除する意図から「桜の花の 花から花へ」に改訂されてしまった。
これが,現在歌われている唱歌である。

ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉にとまれ
菜の葉にあいたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ
とまれよ 遊べ 遊べよとまれ

つまり,もととなった「わらべ歌」には,科学的にみて問題はない。
蝶々(モンシロチョウ)が,菜の葉にとまるのは,産卵するためである。
モンシロチョウは,幼虫が、食べることのできるアブラナ科の葉を
ドラミングして(足で葉っぱをさわって)卵を産み付けているのである。
ただし,現在の唱歌が全く科学的に見て不自然とも思えない。
なぜなら,「菜の葉にあいたら 桜にとまれ」という表現である。
「もし,菜の葉に飽きたら」という仮定のもとで,「桜にとまれ」と記しているからである。
しかし,現実には,菜の葉に飽きたりはしない。
あくまでも仮定を前提に楽しい雰囲気,春らしい雰囲気をかもし出すために,意図的にこのような表現にしたのではないだろうか。
おそらく,国学者 野村秋足も,モンシロチョウの習性を知っていたはずだ。
桜にモンシロチョウが飛んでくる姿を見たことはなかったはずである。
それを,意図的に「もし,菜の葉に飽きることがあれば,日本の春のシンボルである桜に止まりにおいで」と
ユーモラスに,またロマンチックに語りかけた表現にしたのではないだろうか。
当然ながら,科学的に見てモンシロチョウが葉の葉に飽きることはない。
このことは、前掲書にも詳しく述べられているとおりだ。

(4) 子どもたちに語る

子どもたちに私自身,夢中で観察したことや思ったことなどをありのままに語った。
モンシロチョウは桜には来ないが,スジグロシロチョウは飛んでくることも語った。
私の語りに,子どもたちは興味津々聞き入った。
合わせて,「わくわくずかん 昆虫編」を開いて,モンシロチョウとスジグロシロチョウは,
同じチョウの仲間でありながら,好きな食べ物や幼虫の食べ物が異なることを改めて確認した。
サクラに止まるチョウがいることは,確かである。
しかし,それは,本当に花の蜜を求めるものではないかもしれない。
はっきり言えることは,チョウによってはっきりと好みが違うことである。
また,唱歌に歌われているチョウは,モンシロチョウを指すことである。
子どもたちは,益々,自然の営みに興味を持ってくれた様子であった。
何より私が少年のようにカメラを片手にチョウが飛んでくるのを待つ様子が,目に浮かぶようだったと喜んだ。
やはり理科は感動なのだ。
以上で,小林幸雄の観察日記を終わる。
これもドラマと言えるのだろうか。


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