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TOSSランドNo: 1143337 更新:2012年12月01日

日本人の気概を育てる授業「明治の鉄道開通」


 向山洋一氏は、次のように言う。
   日本の子どもに、日本の歴史を教える以上、前向きのものでありたい。希望が持てるものでありたい。
                      向山洋一氏「向山洋一全集7 知的追求・向山型社会科授業」121頁

 明治の鉄道建設は、向山氏の主張のように、「前向きなもの」で、「希望がもてるもの」である。ほんの少し前までちょんまげを結っていた日本が、明治に入って数年で、自国の手で鉄道を造ってしまったのである。これは、欧米諸国を驚かせる出来事であった。
 この授業では、鉄道建設の経緯を教えることを通して、明治の指導者が、日本を欧米に負けないような強い国にするために、近代化を推し進めていったことを理解させること、そして、「日本のすばらしさ」を感じさせることをねらいとしている。
 なお、この授業プランは、NHK総合テレビ「その時歴史は動いた」(平成13年12月12日放送)がベースになっている。
 2002年6月8日「第3回TOSS社会全国大会」で行った模擬授業である。

1.授業の流れ(反応は、サークルでの模擬授業のもの) Webワ-クになっていますが、申し訳ございませんが、著作権の関係でアップできません。

指示1:

 この絵を見て、分かったこと、気づいたこと、思ったことをノートに3つ以上書きなさい。
  (実際に私が使った錦絵とは違いますが、yahooで「開業当時の錦絵」と検索すると、使える錦絵が出てきます)

・ 船がたくさんある。
・ 人力車がある。
・ いろいろな服を着ている人がいる。 
・ 海の上を汽車が走っているのなぜか。
・ 和服を着ている人や洋服を着ている人がいるので、明治時代の様子を表していると思う。  など

説明1:

 この絵は、明治の初めの頃の日本の様子です。
 1872年(明治5)9月12日、新橋・横浜間に鉄道が日本で初めて開通しました。距離は29km。
 この鉄道開通に力をつくしたのが、大隈重信と伊藤博文です。
 ペリーが日本に来る1年前、長崎にロシアのプチャーチンが機関車の模型を持って きました。佐賀藩では、2年後に、技術書を手がかりに、蒸気機関車の模型を作り走らせました。その様子を17歳の大隈は見ていました。
 伊藤博文は、幕末、22歳の時にイギリスに留学しました。伊藤は、西洋文明の発展、特に工業の発達と鉄道網の発達に驚きました。
この2人が、「日本を新しい国にするには、是非とも鉄道を造らなければならない」と考え、鉄道建設の建議書を政府に提出したのです。建設に必要な資金は、現在の額で880億円。当時の政府の歳入の3分の1でした。

発問1:

 政府の中心人物は、大久保利通(イラスト提示)でした。
 大久保は、鉄道建設の提案に賛成だったしょうか、反対だったでしょうか。

賛成、反対のわけを聞く。(サ-クルの模擬授業では、11名中9名が賛成、2名が反対であった。)

    賛成…外国に追いつくために、鉄道建設が是非とも必要だと考えていたから。
    反対…880億円かかると言っていたので、お金がかかりすぎるから、反対した。

説明2:

 反対でした。お金がかかりすぎるからです。
 大久保たちは、予算は鉄道より軍備を優先すると主張しました。それに旧幕府との 戦争で外国に莫大な借金をかかえていたのです。
 鉄道建設は正式に決定されましたが、政府内での反対者が多く、予算を確保することができませんでした。

発問2:

 大隈と伊藤は、資金の確保で悩みに悩みました。では、大隈と伊藤は、資金の確保をどのようにしたのでしょう。
  A どれだけ利益が出るか示し、国内の商人から集めた。
  B 国内の商人から半分、残り半分は外国から出してもらった。
  C 全部外国から出してもらった。
 ノ-トに書きなさい。

 挙手分布(サ-クルの模擬授業では、ほぼ同じ人数で3つに分かれた。)
  わけをそれぞれ聞いた。

説明3:

 大隈と伊藤は、鉄道建設に当たって、「鉄道臆測」という収支計画書を作りました。
 初年度の利益は、267万7000両、5年後からは毎年400万両のもうけが見込めると計算し、商人に呼びかけました。
 しかし、鉄道という得体の知れないものに金を出せないということで集まりませんでした。

発問3:

 その大隈と伊藤のもとに、アメリカ公使館の書記官ポ-トマンが現れました。
 「政府に金がないのなら、アメリカが鉄道を造ってあげよう。ただし、鉄道の運営権はアメリカのものです。」
 大隈と伊藤が、この提案を受け入れましたか。断りましたか。

 挙手分布(サ-クルの模擬授業では、断ったの方が多かった。)
      理由として、植民地になる危険性を言っていた。

説明4:

 断りました。鉄道を軸に、その周辺の土地が植民地になることを恐れたからです。

 資金の確保で困っていた時、イギリスが手をさしのべてくれました。イギリスは、その頃国策を変えていたのです。イギリスの植民地の国々での反乱が多く起こっていたからです。日本を植民地にするのではなく、貿易相手国として成長させようと国策を変えたのです。
 当時、明治政府に影響力の強かったパ-クスが、そして、イギリスが協力してくれたのです。資金は、イギリスのオリエンタル銀行から借りることができるようになりました。しかも、建設の主体はイギリスではなく、明治政府・日本としたのです。

発問4:

 お金の問題は解決しました。(最初の絵図を提示)しかし、次の難関がありました。
 土地の一部の買収が進まなかったのです。新橋横浜間の地主、薩摩藩の屋敷などが立ち退きを拒否したのです。
 では、土地の問題を、大隈や伊藤はどう解決したでしょう?ヒントは、絵の中にあります。

・ 海上に石垣を積んでレ-ルを敷いた。

説明5:

 50m沖合に高さ4mの石垣を組み、その上に線路を敷いたのです。イギリスの技術者エドモンド・モレルの協力を得て、全長29kmのうち10kmが海の上を走るという世界で例もない鉄道が、こうしてできたのです。

 (開通式の絵図を提示。<この絵図は、Googleのイメ-ジ検索で「鉄道関連錦絵」と入れます。すると、三和テッキの「鉄道関連錦絵」のHPに飛びます。その右上の絵図です。>)
 明治5年9月12日。駅には、鉄道を見に来ようと大勢の見物客でにぎわいました。午前10時、天皇陛下を乗せた1号列車は、新橋駅を出発。わずか53分で、横浜駅に付きました。歩いて10時間かかっていたのが、1時間で行けたのです。
 後に汽車に乗った、反対派の大久保は、こう書き記しています。
「鉄道の発展なくして国の繁栄はありえない。」(「大久保利通日記」下巻)
 蒸気機関車を発明したスチ-ブンソンが蒸気機関車の営業を始めて、わずか47年で日本は追い付いたのです。日本がヨ-ロッパの国と肩を並べることができるということを世界に見せつけたのです。その後、鉄道は日本各地に広がっていくのです。
 最後に、我々の先輩がしたことについての感想をノ-トに書きなさい。

2.模擬授業の感想(勤務校の先生2人)
・ 国の繁栄のことを第一に考えて、いろいろな苦労をしながらも、伊藤博文と大隈重信は、鉄道を実現させたので、すごいと思います。明治のころの苦労があったか らこそ、今の便利な生活があるのだと思います。
・ 鉄道を作る知識もお金も最初はなかったのに、鉄道を現実のものにしたので、すごいと思いました。私だったら、絶体に無理だと最初からあきらめてしまったと思い ます。 明治の人たちの努力があって、今私たちは遠くにも便利な電車を使うことができているのだなあとありがたく思いました。


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