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TOSSランドNo: 3447122 更新:2013年01月01日

やまなしノートは、こうして生まれた4


「やまなし」授業記録   6年4組 99年2月18日(木)

~五月は何を表し、十二月は何を表すのか~

(小田原)  はい、今日は、2月18日木曜日2時間目です。今日から「やまなし」の「指名なし討論」に入ろうと思います。ちょっとやってみようと思い、あっ、ちょっとと言うか、第1回目です。どんなふうになるか、ビデオとテープとに分かれてやってみようと思います。子どもたちのテーマは、テーマを与えたのは、「五月は何を表し、十二月は何を表すのか」 です。先程、休み時間に質問がありました。「二つに分かれないんですか。」とかね、そんなのがありました。まだね、二つに分かれるもなにも、みんながどんな意見を持っているのか、さっぱり分かりません。それで、二つに分かれたりとか、そういうことは、今日はしません。 今日は、自分の考えを発表して、その友だちの考えを聞いて、「自分はあの人には、同じ意見だ。」、「いや、あの人とはちょっと違うぞ。」というのを自分でメモを取りながら、簡単にね、「この人は同じだ。」とか、「この人は自分とはちょっと違う。」「この人は新しい意見だ。」または、「この人にはちょっと質問してみよう。」とか。そういうふうなことを「指名なし討論」でやっていきます。自分が聞こうと思った。ある人が言って、自分が聞こうと思って立ったんだけれども、他の人が言われて、すぐ質問できなかったとしますね。また、何人かで、遅れてしまったとしますね。それでも自分が質問したいことが、たまっていた場合は、何人後でもかまいませんから、さっき、例えば、小西くんが言ったことについて、ちょっと質問したいんですけどとかいうふうに、質問してもいいです、別に。すぐ後から質問しなくても、できる時にやってみてください。それでは、やってみましょう。誰からでもどうぞ。

(H) 私は、五月も十二月もやまなしとかばの花の時期に合わせてあるんだと思う。一の方で、 最後はかばの花が出てくる。別になくても一の最後は別に困るわけでもなさそうなのに、か ばの花びらが出てくるということは、宮沢賢治の思い出か、何かに関係しているのではないだろうか。よく山の中を歩いたりもしていたみたいだから、かばの花びらが流れていくのを見たのが、印象深かったとか。かばの花が実は大好きだったーとか。十二月も同じような理由なんだと思う。この話では、花や実は、やまなしとかばの花びら。この二つだけだ。もちろん、水の中なのだからともいえるが、その水の中にでも、この二つは入ってきている。なぜ、宮沢賢治はそこまでしてこの二つを入れたのだろうか。やまなしは、たしかに題名だからと言われるかもしれないが、かばの花びらには、全く関係しない。このことから、私はかばの花びらは、何か、大切な役割を果たしていると考える。そして、かばの花びらは、やまなしと二つセットで、何か、役割を果たしているのだと思う。絶対五月と十二月がこれだ!とは、まだ言い切れないが、この二つの考えから、一応、今のところは、やまなしとかばの花びらの時期に合わせているのだと考える。

(N) 私はこのテーマについて、次のように考えました。私の考えは、この作品は、妹の死を嘆いて書いたと考えます。ということは、トシとの思い出を大切にしようということで、教科書に載っている十二月を先に書いたと考えました。では、今からその説明に入ります。賢治は、大正十一年十一月二十七日に、自分をいつも応援してくれていた最愛の妹゛トシ″をなくしてしまいます。その時、賢治は、嘆き悲しみ、 かなり辛い思いをしたと思います。その悲しみの中から十二月の場面ができ上がったのだと思います。実際、教科書の文から分かることは、かにの兄弟の会話のやりとりが多く見られます。これは、賢治と妹のトシと遊んだ時のことを思い出しているのではないでしょうか。では、今からみんなの?ベスト10から出してもらった五番の「やまなしは何を表しているのか」と今回のテーマをひっくるめて考えていきたいと思います。私とお母さんで考えたことは、もしかしたら、やまなしというのは、「トシの魂」を表しているのではないかと思います。その理由の一つは、トシの好物は、なし類だったということです。二つ目は、全文視写の八~十の部分を読むと、幸せな気持ちになれるということは、賢治はトシのことを思い出しているのだと思います。さて、次は五月の説明に入ります。最初に十二月を書いてみて、いく月か経った時、これをどう話にしようと思ったのではないでしょうか。賢治は、改めて考えてみると、トシの死によって、命の尊さを知り、その命をクラムボンという物に置き換えて表現したのではないかと思います。では、このクラムボンは何か、を考えてみるというのもおもしろいかもしれません。私の考え分かっていただけたでしょうか。以上で私の考えを終わります。

(小田原)  誰でもいいんですよ。自分の考えを発表すればいいんです。今のに関連していなくてもいいんですから。どうぞ。または、今のを聞いて考えをまた付け加えて言ってもいいですね。

(I)二枚の幻灯とは、五月と十二月だと思う。五月は、かわせみが魚を食べる、そんな残酷なことが書いてある。クラムボンは殺されたとか、死ぬことがたくさん書かれている。十二月は、かにの親子の会話がとても生き生きしている。この十二月は、とても雰囲気のいい十二月です。五月は、とても悲しい。十二月は、楽しい月です。賢治は、こう言いたかったと思う。人生は、楽しいことがあれば、悲しいことがある。

(T)ぼくは、十二月は、くだものが取れにくいから、これをかにに恵みとして与え喜ばそうとしたんだと思う。五月は、こいのぼりがのぼる時期、だから「鯉がのぼって、そしてのぼりきれず力尽きて死んだ」これを表現したかったんではなく、こうしてかわせみを出させて食わせて「自然のサイクル」というものを見せたかったんだと思う。そして、これじゃあ悲しい雰囲気だから、楽しい表現としてかにを喜ばすためやまなしを与えた。そして、雰囲気を戻そうとした。だから、クラムボンは後半に出さなかったんだろう。これは、宮沢賢治が童話の中で、かに、やまなしじゃなくて「童話の中の神様」として考え書いたから、こうなったんじゃないかとぼくは思います。だから、五月は、悲しみ、十二月は、喜び・・・(聞き取れない)

(O) まずはじめに、五月は何を表しているのかについて、それは死だと思う。そして、十二月は生だと思う。その理由を言うと、五月では、教科書の八ページから十ページにかけて、かわせみが突然現れ、そして、そのかわせみが、かにたちの見ていた魚を食べて魚は死んでしまう。このことからかにたちは、自分たちの目の前で「死」を体験する。このことから、私は、五月は死を表しているのだと考えた。次に十二月がなぜ生かという理由を言うと、それは教科書の十一ページから十六ページ、つまりこの物語の終わりまでは、かわせみ出てこなくて魚が食べられて死ぬこともなく、クラムボンが出てきて、「死んだ」や「殺された」という「死」にまつわる言葉やできごとなども起こっていない。つまり、十二月は、五月と反対で平和なのだと私は考えた。このことから、五月が死なのだから、それと反対の十二月は生なのだと思った。このことから、対立するものや言葉は何なのかとして、考えていたことと同じく、やはり生と死だと思う。それほど、この二つの言葉は、この「やまなし」という物語の中で大切な言葉であり、主題にも近い言葉ではないだろうかと考えたからだ。以上のことから、私は五月は、死を表していて、十二月は、生を表しているのだと考えた。

(M)この月は、水の冷たさを表していると思います。例えば、クラムボンが、かわせみとやまなしを間違えた。だから、わざと月をずらしたと思います。ぼくは、水の冷たさだけを言ってません。かばの花も、それと同じだと思います。P十ページ
の左から四行目を見てください。賢治のやさしさが表れています。つまり、あたた かい気持ちです。気持ちと水とは合わないけど、あたたかすぎでもおもしろいとあまり楽しくない。だから、冷たいことも入れたと思う。だから、五月は、あたたかさ、十二月は、冷たさをいいたかったと思う。

(S)ぼくは、このテーマについてこのように考えます。五月は主として出てくる物は、魚とかわせみだ。五月は、魚を食べる場面がある。つまり、生VS死を表している。十二月は、やまなしが落ちてくる場面が出てくる。これは、やまなしとの関
係を表している。「やまなし」 の五月は、主に魚とかわせみが出てくる。「やまなし」の五月は、生VS死、ということが言いたいとぼくは思う。十二月は、主にやまなしとかにが出てくる。かにの会話について詳しく書いています。そこまで詳しく書いたということは、何か原因があると思います。クラムボンにしても、かににしても、賢治の妹トシの魂の生き物と思う。五月は、クラムボンが殺されたりして、とても暗いイメージが浮かぶ。十二月は、かにの会話が目立ち、とても明るいイメージが浮かぶ。そういったことから、生と死や明るい、暗いなどを表していると思います。

(小田原)  Sくん、十二月は何て言った?やまなしとかにで。五月は、生と死でしょう。十二月は何て言ったの。

(S)   十二月は、かにの会話がとても明るい。

(小田原)  明るい命?

(S)   イメージ。

(小田原)  明るいイメージ。

(O)   五月は、物語の中では、かにの成長を表している。かわせみ、クラムボンも出てくる。(声がこもって聞きづらい。)

(小田原)  尾関くん、ちょっと待ってね。声がこもるでしょう。だから、みんなの方を向いて。そうしないとせっかくの話がもったいない。

(O)   はじめから?

(小田原)  最初から。

(O)五月は、物語の中では、かにの成長を表している。かわせみ、クラムボンも出てくる。実際、やまなしの熟す期間とも考えられる。が、それなら、十二月を初めにもってくる。五月の最後に出てくる「白かば」は、やまなしと同じように、五月頃に白い花を咲かせる。これ、やまなしのように落ちてくる。たかが花でも、これは重要な意味を表している。それは,慰めや励ますといったので、十二月のクライマックスをより高めるための前座でもあり、一つの物語で、第一の人生を表すと思う。十二月は、第二の人生、クライマックス、二つ目の物語といった人間で言えば、晩年をスリルを味わいながら楽しむという感じ。やまなしという大切なものも出てくるが、あわの争い等で、あまり、中身が濃くない。しかし、賢治は、妹の好きなものと、自分の記憶を結びつけた想像力はすごいと考える。

(K)   ぼくは、はっきり言うと、トシと今回なぞになっている「五月は何を表し、十二月は何を表しているのか」は、大きな関係があると思います。その理由は、まず原文を見てください。 原文の十二月の所が、十一月になっている。十一月何が起こったか?そして、十一月はトシが亡くなった月である。つまり、賢治は、「トシの魂は、まだぼくの作品の中に生きている」と思って、悲しみを紛らわしたのではないのだろうか。それが、ぼくの十二月についての考えだ。問題は、五月の方だ。五月に起こったことで、特に目を引くような物がないのだ。 これは、あくまでもぼくの推測だが、五月には賢治のトシといっしょの悲しい思い出があるのではないのだろうか。ぼくは、このように考えました。みなさんは、どう考えますか?

(N)Kくんに質問ですが、原文で十一月って書いてあるのに、なぜ教科書は十二月って書いてあるのですか。

(K) それは、この本(絵本)に書いてありました。そのまま読みます。第二章は、発表以来十二月となっていますが、後に発見された下書き原稿では、十一月になっていること。第二章の頭に「そこの景色も夏から秋の間にすっかり変わりました。」とあること。「熟したやまなしが谷川に落ちるのは、十二月では遅すぎるという説をここではとり、十一月と書きまし た。」と、ここにも書いてあります。つまり、原文・・・この「やまなし」という作品を発表した後に、原文が見つかったため、他のいろんな本では、十二月とされていたのではないでしょうか。

(T) 五月は、賢治がやまなしを発表した月です。そして、十二月は作品を最も多く発表した月です。これだけでは、何を表す?という質問に答えていません。だから、私はこの題についてこう考えます。五月と十二月は、何かと何かを月に置き換えたのだと思います。年表に、十二月は、賢治が何かに刺激された、と書いています。賢治を刺激した人物、それは、石川啄木です。つまり、私が考える五月と十二月は、作者宮沢賢治と石川啄木だと思います。また、本に書いてあったのだが、本当は、十二月ではなく十一月だったそうです。賢治は、十月に謎を隠そうと思ったのではなく、本当にやまなしのことについての十二月を書こうと思ったのではないのでしょうか。まだはっきりとはわかっていませんが、私はこう思います。
(M) Tさんに質問です。最初に言った何かとは何ですか。

(T)   何かと何かというのは、五月と十二月のことです。

(小田原)  なければ、終わっていいですか。

(K) それは簡単に言うと、かにの移り変わりを表していると考える。五月というのは、春である。十二月というのは、冬である。それは、五月の春というのは、まだ幼い。それがわかるのは、「こわいよ、父さん。」という所から分かるというか見えてくる。十二月というのは、 ちょっとまあやっぱり少しは大人になって、対抗意識が出てきている。そこが分かるのは、「ぼくの方が大きいもん。」という所から分かる。そして、最も分かる文は、P11「かにの子供らは、もうよほど大きくなりました。」絵で言うと・・・変わったのは、それだけではない。季節も変わっている。しかし、なぜ五月~十二月へとなっのだ。五月は、かにの変化、季節の変化を表している。

(I)五月は、まだ生き物たちの幼い頃を表し、十二月は、成長していることを表しているんだと思う。魚は、五月は何だか動きがいっぱいある。そして、十二月になるとゆっくりした動きになる。また、「やまなし」とは、かばの花が成長してできた実ではないかと思う。そうだとすれば、かばの花は確かに成長している。そして、P11の「かにの子供らは、もうよほど大きくなり、・・・」と書いている。このことからも、宮沢賢治は、生き物の成長を伝えたかったのだと思う。

(H)Iくんに質問があります。なぜ、成長を宮沢賢治は表したかったのですか。

(I)やまなしの中では、五月から十二月にかけて、成長しているものは多いし、11ページにも成長しているようなものが書いてあるからです。

(小田原)  Iくん、そうじゃないですよね。成長してあることが書いてあるから、どうして、その成長している部分を書いたのか。それは書いてあるからって言ったでしょ。「ぼくは野球をしたからです。」「野球をしたかったのは、なぜですか。」「野球をしたからです。」じゃないでしょ。だから、どうして賢治は、そういった生き物の成長を伝えたかったのか。それについて答えなさい。なぜ、他のことを書かずに、賢治は生き物の成長のことについて書いたのですかというのが、Hさんの質問です。今の時間、他の人発言してもいいですよ。待っておく必要ありませんから。また後からiくんが考えがまとまれば、答えてください。

(Y五月は自然の怖さ、悲しみを表し、十二月は、自然からの幸せ、喜びを表していると思います。まず、五月には、かわせみがやって来て、魚を持っていきます。そのことで、父がにの話を聞いて、弟がには、脅えます。それが、五月の「自然の怖さ」です。それに、五月は、「死んだ」とか、「殺された」とか、悲しい言葉が出てきます。その言葉から、「悲しみ」がわかります。次に十二月です。十二月には、やまなしが落ちてきます。そのやまなしを見て、後を追っていく間に、「幸せ」がいっぱいだし、「喜び」も感じられます。つまり、 落ちてきたやまなしは、「自然からの幸せ」だと思います。だから、五月は、自然の怖さ、悲しみを表し、十二月は、自然からの幸せ、喜びを表していると思います。

(K) 「やまなし」の五月は、主に登場人物として、かわせみと魚が出てくる。魚は、水中では、我が物顔で泳いでいたが、とうとうかわせみに食べられてしまう。このように、強い者が栄え、弱い者が滅びる。このことは、自然にもよくある。四字熟語で表すと、「弱肉強食」を表しているのです。次に、十二月の考えです。十二月は、やまなしとかにが主として出てくる。やまなしは、偶然にもかにが住んでいる水中に落ちた。そのやまなしは、どこにいくのだろうか。そして、やまなしはどうなるのだろうか。この疑問は、宮沢賢治が他の物と混流させたのではないだろうか。これは、死である。実際に、トシが亡くなっている。賢治の最高傑作「銀河鉄道の夜」のように、賢治とトシが主人公の二人として、入れ替わったように、 かには賢治、やまなしはトシではないだろうか。なぜやまなしがトシなのか。賢治がトシの魂はどこに行くのだろう。銀河なのか。それとも・・・と考えたのではないのか。これは、やまなしがどこに行くのかとつながるだ。このテーマの考えは、五月は弱肉強食、十二月はトシの死を嘆いているのだと思う。要するに、「自然、社会の厳しさに負けないよう、生きのびろ」ということだ。「生きのびる」大切さを教わりながら、かには成長したのです。これがぼくの考えです。

(小田原)  もういいですか。今日のところは。いいです?はい、じゃあ十分前です。今、授業の終わりの。最初の討論で、先生はびっくりしたことがたくさんありすぎて、今、ちょっと頭の中が混乱しています。それくらいみなさんの今発表した人たちのことっていうのは、中身が濃すぎるぐらいあります。問題は、これ、今、発表したばかりですから、みんなも必死になって聞き取ったと思います。聞き取ったんですけれども、書いたりとかしていても頭の横からというか、耳の横から抜け落ちていくことっていうのはたくさんあって、大事なところっていうのが、どれだけみんなのノートの中に残っているのかというのがあります。それで、一応、五月は何を表し、十二月は何を表すかということは、先生も書き取ってみましたけども、書き取れなかった所もあります。たった一回聞いただけではね、例えば、いろんなこと言っていましたよね。「弱肉強食」だの、「死を表す」、「生を表す」。この間やっと知った「生」が出てきたぐらいなのに、急に、「トシの魂は・・・」ということになると、「え~、何じゃあ」みたいな感じの人も中にはいると思います。五月、十二月のことについてだけを討論するのは、今回一応ここで切ります。また、次回、他の所について、討論を重ねていって、どうしても五月と十二月のことについて、もう一度かえって、振り返って、意見をもう一度しっかりまとめたいというふうな流れになってくれば、もう一度やるかもしれません。必要がなければ、これでおしまいです。先生は、ビデオに撮っててよかったなあと思いました。先生のこうやって話すよりも、これはもう後日談ですけれども、ぜひとも聞きながら、伴先生にと思っても伴先生遠いでしょ。向山先生にと思っても向山先生遠いでしょ。だから内村先生に連絡をとって、みんなのこのテープとビデオ、ビデオの方になると思いますが、今日木曜日ですから、金曜か土曜日には、内村先生に会ってですね、みんなの第一回目の討論のこの様子を見せます。たぶん、内村先生はびっくりすると思います。びっくりしていますかねえ、内村先生。たいしたことないなあって言うかもしれませんね。ちょっとそれは楽しみにしてください。第一回目の討論の。また、内村先生には、またテープか何かに吹き込んでもらいましょう。じゃあ、今日、発表しなかった人、しなかった人もした人もまあいますけれども、こんなもんかなあとわかんなかったらね、今、自分のこんな意見を発表していいんだろうかとかね、同じような意見だけれどもいいのかなと思って、躊躇した人もいるかもしれません。どうぞ。 せっかく自分が考えたことですから、人と違ってる、間違ってるんじゃないかと思っても、どうぞ、発表してください。自分の意見を発表するからこそ、友だちの意見がはっきりとわかるようになるんです。あっ、ここは、自分の意見と同じだ。ここは、自分の意見と違うというのが。それが何にもないと、全部聞いたら、いいことあるなあ、いいこと言うなあ、こっちも聞いたら、こっちもいいことあるなあ・・・。あっちもこっちもええなあみたいな感じになりますから。自分の意見を最後まで押し通す。そういうことも大事ですし、友だちの意見を聞いて、なるほどと思えば、その意見を取り入れていくと。そういったことも大事だと。 あと残りの時間ですけれども、今から紙を配ります。紙を配って、今日のみんなの、他の人たちの討論を終えて、自分はこの人に賛成だとかね。または、こんなふうに見ていけばいいんだというのをはじめてわかったとかね、そういった自分の気づいたこと、わかったこと、 しかし、まだはてなも残る、本当に自分の解釈はこれでいいのだろうかとかね、そういったことを紙に書いてください。もし、二枚目、三枚目が、ほしくなった人は、取りに来てください。日付も忘れないでね。

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